今から20年前の1996年10月、『進め!電波少年』の名物企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」がゴールを迎えた。香港からロンドンまでヒッチハイクで向かう無謀な試みに挑んだのは、有吉弘行と森脇和成によるお笑いコンビ猿岩石だ。


この企画は4月13日に香港をスタートし、190日めの10月19日にロンドンにゴールしている。実質的な旅行期間は6ヶ月ほどしかない。その後に続くドロンズの南北アメリカ大陸縦断(約14ヶ月)、パンヤオのアフリカ・ヨーロッパ大陸縦断(約11ヶ月)と比べると驚くほど短い。
それでも、もっとも話題を集めたのは猿岩石であった。

スターになった猿岩石


出発前の猿岩石は、企画参加の条件「半年間スケジュールが白紙であること」に該当するまったく無名の芸人であった。ところが、旅の日々を記した『猿岩石日記』(日本テレビ出版)シリーズは累計250万部を超えるベストセラーとなり、インドにかけつけた爆風スランプによる猿岩石の応援歌『旅人よ~The Longest Journey』も大ヒット。
ゴールして2ヶ月後の12月には、秋元康プロデュース、藤井フミヤ・藤井尚之の作詞作曲による「白い雲のように」で猿岩石自身が歌手デビュー。
まったく無名の芸人がわずか半年で世間のスターとなってしまった。

ヒッチハイクで映しだされた外国の"リアル"


だが、旅はすべてが順風満帆であったわけではない。ゴール直後には、政情が不安定であったミャンマー、トルコ、イラン通過時に飛行機を使用したことが発覚し、問題視されることもあった。それでも、それ以外の場所には生身のアジア、ヨーロッパが映し出されていたといえる。

■発展途上だった中国
香港を出発して最初に入国した中国は、当時外国人の自由旅行が解禁されたばかり。街を行き交う大量の人民の姿やアスファルト舗装がされていない道路など、発展途上国としての中国の姿が映し出されている。

■インドの熾烈な階級社会
一ヶ月半にわたって滞在したインドでは、カーペット工場で働くも、日給は1人50ルピー(約150円・レートは当時)。
驚くべきことに、この相場は現在もほとんど変わっていない。
出生身分や学歴によって仕事や収入が規定されてしまうインドの熾烈な階級社会の一端をうかがわせた。

■まだEU未加盟だった国々
さらにアジアからヨーロッパへ進み、ルーマニアへ入るが、次の入国先であるハンガリーのビザ代(2人で160ドル)を工面するための仕事がまったく見つからない。東欧諸国は民主化から間もないころであり、慢性的な失業率の高さが問題となっていた。現地の人間にさえ仕事がないのに、言葉もろくに話せない彼らに仕事が見つかるはずはなかった。
現在これらの国家はEUに加盟しており、ビザどころか国境審査もなく通過可能である。
だが、20年前にはまったく異なる世界があったのだ。

フィクション的側面もあったヒッチハイク企画


猿岩石の旅は、あくまでもテレビの企画である点も確認されるべきだろう。猿岩石はお金がなくなった場合、現地で仕事を探していた。しかし観光ビザ入国の場合、すべて不法就労だ。
さらに、インドの次に入国したパキスタンはほとんど無一文で通過している。「パキスタンはイスラム教の国であり、イスラムには旅人に施しを与える文化がある」という理由であるが、これも虫がよすぎる話。
猿岩石の旅はガチンコでもあるが、フィクションでもある。誰もが同じことができるわけではない。

なにより、今同じような企画をやれば、ネットによって“真実”がまたたく間に拡散してしまう。さらに旅慣れたバックパッカーでなくとも、検索を駆使したアラ探しによって“検証”が可能だ。こうした行為は正当性があっても、マジックの種明かしを知るようでどこか味気ない。

20年前の猿岩石ヒッチハイク企画は、旅先からの手紙を受け取るようにゆっくりと味わえた。
それゆえに、6ヶ月という期間も決して短くはなかったのだ。
(下地直輝)