野球界は4年に1度の“世界甲子園”ことWBCで連日盛り上がっている。いまや一流のプロ選手が集結する代表チームに何の違和感もないが、初めてオールプロで結成されたのは04年アテネ五輪からだ。

その4年前の00年シドニー五輪野球日本代表チームのプロ選手は、セ・パの足並み揃わず24名中8名のみ。さらに過去の昭和の時代になると、真の日本代表結成なんて夢のまた夢だった。

だからこそ、いまだにオールドファンの間では「もしも80年代にWBCがあって、ガチのチーム編成したらどんなメンバーになっていたのか?」という話題で盛り上がる(実際に雑誌『スポルティーバ』では00年代初頭にその手の企画記事が掲載されていた)。

というわけで前回の本連載では「20年前の97年版侍ジャパン」を予想したので、今回はさらに10年さかのぼり30年前の「1987年の侍ジャパン」を勝手に選出してみよう。

1986年に起きた野球界の出来事


87年3月に開催される大会ということは、選考基準になるのは直前の86年シーズン成績だ。
巨人とのゲーム差0の超デッドヒートを制した広島と、近鉄に競り勝った西武が対戦した日本シリーズは、第8戦までもつれる大接戦に。“新人類”と呼ばれたヤングレオが3連敗後の4連勝を記録した。
個人タイトルに目を向けると、バース(阪神)と落合博満(ロッテ)がそれぞれ2年連続三冠王を獲得。

毎晩地上波テレビ中継で高視聴率を稼いでいた巨人では、クロマティが頭部死球で負傷退場翌日に代打満塁弾ををかっ飛ばし話題に。当時の人気No.1プレーヤー原辰徳は炎のストッパー津田恒実(広島)の直球をファールした際、左手有鈎骨を骨折。王監督はまたもや悲願の初優勝を逃した。

そんな中、鮮烈デビューを飾ったのは高卒ルーキーで3割・30本をクリアした清原和博(西武)。そして、あの歴史的名作ゲーム『プロ野球ファミリースタジアム』(略称「ファミスタ」)第1作目が発売されたのも86年12月の出来事だ。


長嶋ジャパンで落合博満も参加?


もちろん87年版侍ジャパンの中心は2年連続三冠王の落合博満だろう。だが、33歳の落合は86年オフに1対4の大型トレードで中日へ移籍した直後。新天地のキャンプでも独自の調整法を貫く落合が(のちの監督時代のWBCに対するスタンスも加味して)簡単に出場受諾するとは思えない。

そこでNPBが用意した切り札が、当時浪人生活中の51歳長嶋茂雄の代表監督就任である。長嶋引退試合に会社をサボって駆け付けたほどのナガシマファンで知られる落合。さすがのオレ竜も憧れの人から「う~ん落合君、ジャパンどうでしょう?」なんつって直々に口説かれたら断れないはずだ。
というわけで、ミスター監督就任を前提に無事「4番落合」を軸に87年版侍ジャパンオーダーを組んでみよう。


のちの黄金時代の西武スタメンが上位打線に?


1番ショートは86年パMVPを獲得した全盛期の石毛宏典(西武)。そのキャプテンシーを日本代表でも発揮してもらいたいところだ。
この石毛にアクシデントがあった時は、赤ヘルの核弾頭として21本、39盗塁の成績を残した高橋慶彦(広島)に代役を託したい。

2番センターはセ盗塁王を48盗塁で分け合った平野謙(中日)と屋鋪要(大洋)の争い。両者ともに外野でゴールデングラブ獲得と甲乙つけがたいが、プレーの安定度を考えスタメン平野、当時球界No.1のスピードスター屋鋪には代走守備固めの切り札としてスタンバイしてもらおう。

そして3番サードは若きスラッガーとして2年連続40本塁打を記録した秋山幸二(西武)。球史に残る名外野手として知られる秋山だが、意外なことに本格的な外野転向は87年シーズンからである。


86年にキャリア最多の36本塁打を放った原辰徳(巨人)は前述の骨折でリハビリ中のため選出外。掛布雅之(阪神)、宇野勝(中日)といったスター選手もそれぞれ故障や不振で苦しんでおり、代わりに松永浩美(阪急)や岡田彰布(阪神)らが内野バックアッパーとして重宝されそうだ。

こうして見ると「1番石毛、2番平野、3番秋山」という侍ジャパンオーダーはそのまま、のちの黄金時代の西武スタメンと同じことに驚かされる。

残りの打撃陣のメンバーは


4番DHはもちろん80年代最強バッター落合で決まり。全然関係ないけど愛息・福嗣君が生まれたのは87年8月である。

5番レフトは3割30本をクリアした石嶺和彦(阪急)、6番ライトは86年セ打率ランキング日本人トップの吉村禎章(巨人)。この両者は相手投手を見ながら打率.307、28本の真弓明信(阪神)との併用が現実的だろう。


注目の最年少選出・清原和博(西武)は気楽に打てる7番で起用。秋の日本シリーズでは王巨人を倒し、歓喜の涙を流すピュアで日焼けする前の清原が、日の丸を背負いどんなプレーを見せてくれるのか楽しみである。
ちなみに桑田真澄(巨人)は87年15勝とブレイクするが、1年目の86年は2勝に終わったため選出外とした。

二塁は大石大二郎(近鉄)と辻発彦(西武)の争い。あまり黄金時代前夜の西武から選出が多くなってしまうと堤オーナーに叱られそうなので、ここは打力に分のある大石をチョイス。

と言いつつ、捕手は伊東勤(西武)と達川光男(広島)のセ・パ優勝チームからそれぞれ選出。
伊東は3年連続二桁盗塁と貴重な走れる捕手というのも、短期決戦では魅力的だ。達川のささやき戦術とエアデッドボール芸が海外チームに通用するかは謎である。
知名度ではこの2人には劣るものの打率.274、19本の田村藤夫(日ハム)、パンチ力が売りで18本塁打を放った藤田浩雅(阪急)といった「80年代の打てるキャッチャー」の彼らに06年WBCの里崎智也的な役割を期待するのも面白いかもしれない。

怪物・江川卓も…投手陣を予想する


投手陣はセ・リーグ投手タイトルを総なめにしてMVPと沢村賞を獲得した北別府学(広島)、フォークボールを武器に13勝を挙げた遠藤一彦(大洋)、西武のダブルエースとして活躍した21歳の最多勝投手・渡辺久信と日本シリーズMVPサウスポー工藤公康のコンビが先発候補だ。
もちろん80年代を代表する怪物・江川卓にもエース級の働きが期待される。87年限りで電撃引退する江川だが、この大会で世界を相手に投げればモチベーションが上がり、あと数年現役を続けていた可能性も。

左腕ロングリリーバーとしては、当時投手王国だった広島の大野豊と川口和久が有力。さらに炎のストッパー津田恒実も健在。59試合に投げて防御率2.32の鹿取義隆(巨人)、23セーブのヒゲ魔人・斉藤明夫(大洋)、32セーブの石本貴昭(近鉄)らでブルペンを固めたい。

そして東尾修(西武)、村田兆治(ロッテ)ら昭和の大投手はそれぞれキャリアの晩年を迎えつつあり選出は厳しいが、38歳で14勝を挙げたアンダースローの山田久志(阪急)に現代の牧田和久のような役割を任せるのも面白いかもしれない。

もう長嶋さんも「ヘイ!カール!」なんて叫んでる場合じゃない。まだ大リーグが遠かった時代の夢物語。落合や清原がノーラン・ライアンやドワイト・グッデンと真剣勝負で対峙する姿が見たかったものだ。

【1987年版 侍ジャパン】
侍ジャパン監督:長嶋茂雄(51歳)
1 石毛宏典(遊撃/西武/30歳)率.329 27本 89点
2 平野謙(中堅/中日/31歳)率.270 11本 44点
3 秋山幸二(三塁/西武/24歳)率.268 41本 115点
4 落合博満(DH/中日/33歳)率.360 50本 116点
5 石嶺和彦(左翼/阪急/25歳)率.300 33本 96点
6 吉村禎章(右翼/巨人/23歳)率.312 23本 72点
7 清原和博(一塁/西武/19歳)率.304 31本 78点
8 大石大二郎(二塁/近鉄/28歳)率.290 16本 55点
9 伊東勤(捕手/西武/24歳)率.234 11本 40点
P 江川卓(投手/巨人/31歳)16勝6敗 率.2.69