このさんまの発言に対しネットユーザーは素早く反応。「もっと見たい」「60は早すぎるだろう」といった引退を惜しむ声が多い中、「代わりならいくらでもいる」や「引退したくても無理だろう」といった発言も見られた。そしてそんなユーザーたちの声に多く登場するのが上岡龍太郎の名前だ。
上岡といえば1997年の引退宣言の後2000年にそれを有言実行。「僕の芸は20世紀で終わり。21世紀には新しい人生を歩みたい」と言い残しアメリカへ渡った人物として知られている。そんな彼を引き合いに出し、ネットユーザーたちは、明確な引退基準があるわけでもない芸能界という世界で一線級の活躍をしていながら潔い去り際を見せた上岡を賛辞する。そして、果たしてそんなことがさんまにできるのか、と疑問を投げかける。
上岡の代名詞的番組といえる『鶴瓶上岡パペポTV』(日本テレビ系)の最終回引退SPの後半で、島田紳助が突如番組に乱入した後、花束を持ったさんまが登場するほど、さんまと上岡の関係が単なる先輩後輩でないことはよく知られている。
しかし上岡とさんまを同列で比較するのは少し安易に過ぎるだろう。もちろんどっちが上でどっちが下かという問題ではない。60年代から活躍する上岡の40年と今のさんまの芸歴とはまったくの別物ということだ。上岡は演芸場を生放送していたテレビバラエティーで活躍して全国区となったが、さんまはテレビバラエティーの元祖ともいえる『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)で知名度を上げた。この違いは、影響を与えてきた世代に大きな差をもたらしている。
上岡が無二の才能を持って多くの芸人から崇拝されているのは紳助などの発言からもよく分かる。しかしそうは言っても、まだテレビの普及率もままならない時代から活躍していた彼の笑いが届いたのは同世代付近に集中していると言える。毒やブラックユーモアといった評価のできる彼の笑いの質にも要因があるのだろうが、上岡の笑いが全世代に共通するものとは言いがたい。
一方で1981年から8年半に及ぶ期間、平均視聴率で17.8%という数字をたたき出した『オレたちひょうきん族』を見ていた大人はすでに年金を受け取る世代になっている。そしてその時代から常にテレビに出続けているさんまは今や全世代から認知される存在となった。
そんなさんまはテレビバラエティーそのものと言える。
テレビによってスターになり、やがてバラエティーそのものといえる存在にまでなった明石家さんま。今回の彼の引退発言はマンネリ化する今のテレビバラエティーへの警鐘とも取れる。そしてその真意は活気あるテレビの復活のために"そろそろオレを引退に追い込ませてくれ"ということなのかもしれない。
(文=峯尾)