いや、あった。
その店が、魚津に3軒だけという中華料理店の1つ、「朱喜」である。作者の沖田×華(おきたばっか)は「朱喜」の経営者・隆と妻・康子との間に生まれた。
「働かざる者食うべからず」が家訓なので、小学1年生のときから店の手伝いもさせられていた。近所のいかがわしい雰囲気が漂う店に出前の皿を取りに行き、店内に漂う異様な臭いに驚愕した。
小学1年生の子供が仕事を言いつけられているぐらいだから想像がつくが、一家の中心は当然「朱喜」だ。父の隆は仕事以外でまったく料理をしないので(そして母の康子は料理が下手)、食事の基本は「中華」である。祖母の家に行くまで、×華はみそ汁の存在を知らなかったという。
『蜃気楼家族』は、漫画家・沖田×華の99.5%自伝漫画だ。WEBマガジン幻冬舎に現在連載中で、最新刊の2巻には第42話までの連載分と、書き下ろし分の2話が収録されている。
いわゆるエッセイ漫画の範疇に入る漫画だが、その手の作品には食傷気味という人もぜひ手にとってみてもらいたい。ネタの密度が半端ではないからだ。エッセイとはその作者のプライバシーの「切り売り」である。中には一山いくらでも売ってほしくない身辺雑記というものもあるが、『蜃気楼家族』に描かれている「家族」の姿は尋常ではない。読者が普段漫画でしか読んだことがないような暮らしのありさまが(これも漫画だけど)、えんえんと綴られているのである。
第1巻の第4話「連絡帳は恥ずかしい」を読んだとき、「これを描くというのは根性が座ってるなあ」と感心したものだが、絶対に家族には了解をとっていないと思う。
話はゆるやかな編年体形式で進み、「朱喜」の日常や家族の出来事、店に来る珍客のことなどが雑記風に綴られる。ちょっと驚いたのが店に30円を握りしめてやってくるホームレスの存在や、バクチの借金を返さずに逃げ回っていて海に沈められた近所のおっちゃんの話などが途中でいきなり出てくることだ。潔癖な親だったら「見てはいけません」とわが子の目をふさぐような現実が当時はまだ見えていたのだということがよくわかる。ところどころで出てくるこうした凄絶なエピソードは、漫画家・沖田×華の貴重な貯金だ。
どの回も可笑しいのだが、キャラクターではなんといっても父親・隆の存在感が際立っている。
高校時代に野球部で甲子園まで行ったことと、3人きょうだいのうち自分だけが個人経営者ということが自慢の隆は、一家の暴君だ。子供が観ているテレビのチャンネルを勝手に替え、「このテレビはオレが稼いで買った物や」「好きなテレビ観たかったらお前の金で買え」と言い放つ。ガキ大将がそのまま大人になったような男なのである。
――父・隆は、外ヅラはいいが万年パンチパーマの野獣で/酔って屁をすると必ず「ミ」まで出してしまい/そのパンツをカラーボックスの裏に隠します/そして大掃除のときにまとめて発覚したことがありました。
えーと、これも大丈夫か沖田!
時たま深刻な夫婦喧嘩はあるものの、沖田家の生活は第1巻ではまだまだ平和なものだった。
第1巻ではまだ茫洋としていた『蜃気楼家族』という題名の意味が、この第2巻では明確になってきている。蜃気楼の語源は『史記』にあり、海底のハマグリ(蜃)が吐いた気が楼台を作り出すことから来ている。一旦はまとまって見えた家族が、実はハマグリの吐息のように危ういものだったということを沖田はこの作品で描こうとしているのだ。
沖田×華がどんな漫画家かご存知ない読者も多いと思うので、第1巻のカバー折り返しに書かれたプロフィールを転記しておく。
「1979年富山県生まれ、漫画家。高校卒業後、看護学校に通い、22歳まで看護師として病院に勤務。その後、風俗嬢(ソープ意外の全業種制覇)になって富山、金沢、名古屋で働く。2008年、『こんなアホでも幸せになりたい』(マガジン・マガジン)でマンガ家として単行本デビュー。他の作品に『ニトロちゃん』(光文社)がある」
沖田の実質的なデビューは、ライター・ゲッツ板谷の公式サイト(現在は更新停止中)に漫画を寄稿したのが最初だ。そこで編集者に発見されて、単行本が出ることになったのである(ちなみに私も同サイトを通じて面識があり、『こんなアホでも幸せになりたい』に登場しているので、興味がある人は見てやってください。ひどい役回りで出ています)。
もう一冊の著書である『ニトロちゃん』はシリアスなタッチのもので、沖田はアスペルガー症候群のために苦労した自身の学校生活を描いている。どんなに学校が辛くても、先生が嫌で仕方なくても、その日の給食を食べるためだけに登校し続けた少女の話である。この重さは『蜃気楼家族』とは表裏一体の関係にある。この作品を経由してから『蜃気楼家族』を読むと、その突き抜けた明るさに別の感慨を抱くようになるはずだ。
(杉江松恋)