先週土曜日より全国ロードショー中の映画『ひまわりと子犬の7日間』。巨匠・山田洋次監督のもとで20年にわたって共同脚本・助監督を務めてきた平松恵美子が初メガホンをとり、2007年に宮崎県で起きた実話を映画化した作品だ。


堺雅人演じる主人公の神崎彰司は、もともと動物園の飼育係として働いていたが、8年前に動物園が閉鎖し、現在は保健所の職員として働く毎日。動物園で出会い結婚した妻・千夏(檀れい)を5年前に交通事故で亡くし、里美(近藤里沙)と冬樹(藤本哉汰)という2人の子どもを男手ひとつで育てている。

ある日彰司は、畑を荒らした野犬の母子犬を捕獲する。生まれたばかりの子犬を守ろうと、人間を威嚇し続け吠え止まない母犬。保健所の規則では、収容してから7日間の間に引き取り手が見つからなかった場合、その犬は殺処分になる。凶暴な母犬に引き取り手が見つかるとは思えず、そうなれば乳離れもしていない子犬の命も助けることができない。
しかし、懸命な母犬の姿を見た娘の里美から「子犬とお母さんを一緒にいさせてあげて」と懇願され、彰司は母子犬の命を救うと約束する――。

去年3本の映画と2本の連続ドラマで主演を務めた堺にとって、2013年1本目の主演作となるのが、この『ひまわりと子犬の7日間』だ。人格破綻者の天才弁護士を怪演した『リーガル・ハイ』や、美しい所作で大人の色気全開だったドラマ・映画の『大奥』とは一変し、本作で堺が演じているのはごく普通の男。

「普通」が求められれば求められるほど、説得力のある芝居をするのは難しくなるように思う。一歩間違えれば絵に描いたような「善良な人」を演じてしまいそうなところだが、ゆるんだ表情とさりげない佇まいで彰司の朴訥とした存在感を体現した堺の力量に、改めてうならされる。

作品の舞台である宮崎県出身の堺は、3月16日(土)に行われた初日舞台挨拶で「宮崎の言葉でお芝居をするのが長年の夢でした。
自分にとって家宝のような作品です」と語った。パンフレットのプロダクションノートによれば、クランクイン前の打ち合わせの際、堺はその場で5段階の宮崎弁を披露し、どの段階の訛りでもできますと言い切ったのだという。

のんびりとした口調の宮崎弁は、この映画の重要なファクターだ。本作では、動物愛や親子の絆とともに「保護犬問題」というシビアなテーマも描いている。目を背けてしまいたくなることもごまかすことなく描写しているにも関わらず、物語全体がなんとも言えない温かさで包み込まれているのは、宮崎弁の優しい響きのおかげなのだろう。

また、標準語にはないイントネーションの言葉からは、さまざまな感情が読み取れる。

例えば、彰司は保健所に収容されている犬たちに何度も「だぁいじょうぶ」と語りかけるのだが、その「だぁいじょうぶ」からは、「犬を安心させてやりたい」という優しさと「お前たちを処分しなければならないかもしれない。ごめんな」というやり切れなさ、その2つが入り混じった複雑な思いがじんわりと伝わってくるのだ。

劇中では、彰司の幼なじみの獣医師・五十嵐美久役の中谷美紀や、保健所の先輩職員・安岡役のでんでん、彰司の母親役の吉行和子らも宮崎弁を披露している。初日舞台挨拶で、堺はこうも語った。「僕は訛り自体がすごく好きなものですから、自分の(故郷の)訛りを素敵なキャストの方々にしゃべっていただくっていうのは、非常に大きな喜びで。自分はこんなに素晴らしい響きに囲まれて育ったんだな、こういう言葉をしゃべる大人たちに育まれて大きくなったんだなっていう思いがして、改めて宮崎はいいところだということをみなさんに教えていただいた気がします」

しかし、「ネイティブ」である堺は思い入れの強さのあまり共演者の宮崎弁にダメ出しをすることもあったんだそう。
中谷から「堺さんは大変厳しい先生でいらして、監督がOK、方言指導の先生がOKとおっしゃっても、堺さんNGが出たことがありました」と明かされ、堺が「方言をしゃべっていただくっていうのが嬉しかったので、ついつい夢中になってしまって。本当にすいませんでした(笑)」と、謝罪する一幕もあった。

満員の観客に見守られ華やかな門出となった初日舞台挨拶には、平松恵美子監督、堺雅人、中谷美紀、吉行和子、近藤里沙、藤本哉汰に加え、映画初出演となるオードリー・若林正恭も登壇。「(バラエティー番組と映画の現場は)全然違いましたね。まず音が入っちゃいけないので、スタッフ笑いがありませんから。何やってもスベってる気がしていました」と映画初出演の感想を語った若林は、本作で「この仕事は腰掛け」と公言しているやる気のない後輩職員・佐々木一也を演じている。


「持ち前の明るさとハイテンションで、佐々木一也役を演じさせていただきました」という挨拶で場内の観客を笑わせた若林だったが、笑いが起こるということは若林が「明るさ」と「ハイテンション」の人ではないというのが浸透しているということ。「腰掛け」と公言しながらもなんだかんだ周りから許され、職場になじんでいる一也に違和感がないのは、普段の若林がバラエティー番組などで見せる一也的な気質が、彼の個性として世間に受け入れられているからなのだろう。

監督から「芸人だったりミュージシャンだったりに憧れて上京したものの、30歳くらいまでプラプラしていた人」という一也のイメージ像を聞き「それならできるかもしれない」と思ったという若林。インタビューなどでも「一也と自分は似ている点がある」と語っていることが多く、劇中の若林の力の抜けた佇まいは、一也を〈演じよう〉というよりも、一也として〈存在しよう〉としているように見えた。

上京し、夢破れて宮崎に戻ってきた一也は終始標準語で通していて、登場人物の中で唯一終盤まで宮崎弁を話していない。しかし、彰司の起こした〈奇跡〉を目にしてからは、「自分はここに腰を据えて生きていく」と確信したように宮崎弁を話すようになる。
そんな一也の成長物語にも、ぜひ注目してみてほしい。
(ちなみに、映画で描かれていない一也の過去や心境については、エキレビライターである杉江松恋さん著・平松恵美子監督監修の書籍『僕のきっかけ~ひまわりと子犬の7日間・一也の場合~』に詳しく綴られているので、こちらもぜひチェックを!)

一也だけでなく、本作では登場人物の1人ひとりにそうした物語や背景が見えてくる。父親の動物病院の後を継いだ美久の幼少期の体験や、必死で子どもを守ろうとする母犬に亡き母親の姿を重ね、「ひまわり」と名付ける里美…。

そして人間だけではなく、母犬・ひまわりの生きてきた物語も描かれるのだ。

彰司は、亡くなった妻・千夏の「人間と同じように、どんな動物にもそれまで生きてきた歴史があり、物語がある。それを想像することができれば、きっと心は通じ合える」という言葉を思い出し、ひまわりの生まれてからこれまでを静かにイメージする。相手の生きてきた物語を知り、理解しようとすることは、相手を信頼し、愛するということ。そしてそれは動物に対しても同じことなのだというメッセージに、思わずハッとさせられた。

さらに全編を通して何より驚かされるのが、ひまわりを演じた女優犬・イチの名演技だ。本作のドッグトレーナーを担当した宮忠臣は『ハチ公物語』『南極物語』など多数の犬映画に携わってきた大ベテランだが、今回の作品ではあまりの演技の難易度の高さに一度はオファーを断ったのだという。完成した映画を見れば、そのエピソードにとても納得がいく。軽快に走る、とぼとぼと歩く、などといった動きから、甘えるような顔や人間を威嚇する凶暴な顔、じっと何かを考えているような顔など、表情までも見事に演じ分けているのだから。

もう少しイチの演技を簡単なものにすれば、いくらでも撮影はスムーズになっただろう。しかし、いくら難易度の高い撮影であってもこだわりを貫き、母犬の生きてきた物語を丁寧に映し出した映像からは、平松監督の「描きたい」という強い信念が伝わってきた。

個人的に一番好きなセリフは、彰司がひまわりに向かってつぶやく「なんで人は一番大切な思い出を忘れてしまうっちゃろねぇ。かえって嫌な思い出の方が忘れられんが」という言葉だ。この映画は、単なる「かわいい犬が出てくるお話」ではない。見逃してしまいそうなさりげなさで、そうした心に残る言葉や描写が至るところに詰め込まれている。大切な人や家族と一緒に、この温かい奇跡の物語に触れてみては。(青柳マリ子)