家康は亡くなる1年前、1615(慶長20/元和元)年には大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしている。大坂の陣は、その前年の旧暦11月に起こった冬の陣に始まる。冬の陣は東西両軍の和議が結ばれ、戦闘は翌年5月の夏の陣までいったん休止に入った。冬の陣の和議が成立した慶長19年12月20日は、太陽暦でいえば1615年1月19日、つまりきょうでちょうど400年を迎えたことになる。
■家康の言いがかりではなかった?――方広寺鐘銘事件
大坂の陣の発端としては、方広寺大仏殿(京都)の再建にともなう「鐘銘事件」がよく知られている。
家康が鐘銘を問題視したのは、単なる言いがかりだというのが従来の定説だった。
だが最近になって、この説に対し異論が出てきた。歴史学者の笠谷和比古は、2007年刊の著書『戦争の日本史17 関ヶ原合戦と大坂の陣』のなかで、「国家安康」の銘は家康の言いがかりではなく、銘文をつくった者(撰文者)が意識的に用いたものだと主張した。根拠となるのは、撰文者の清韓(東福寺の高僧)が、幕府側の取り調べに対して提出した弁明書だ。そのなかで清韓は、「家康」と「豊臣」の文字を、漢詩や和歌などで用いる隠し題のようにして織り込んで文章を作成したと明言していた。
意識的な撰文であったとすれば、どのような意図で「家康」の名を用いたのか。
■家康は豊臣家との共存を願っていた?
もっとも、鐘銘事件はあくまで直接的なきっかけにすぎない。
あるいは、前出の笠谷和比古は、「二重公儀体制」という見解にもとづき、家康の思惑を説明している。
■大坂城の内堀まで埋めたのは約束違反だったのか?
大坂の陣をめぐる家康の狡猾さを示す有名なエピソードとしては、鐘銘事件ともう一つ、大坂城の堀の埋め立てに関する話がある。これは、冬の陣の講和では惣構え堀(外堀)だけを埋める約束であったのを、徳川方は二の丸・三の丸の堀(内堀)まで一気呵成に埋め立ててしまい、大坂城を丸裸にしてしまったという話だ。
じつは、内堀は豊臣方の手で埋めるものと当初から予定されていた。その証拠に、のちの熊本藩主・細川忠利は、講和直後の慶長19年12月26日付の、国元の家臣宛ての書状のなかで、「二ノ丸、三ノ丸は城中人数にてわり申候」と書いている。だが、豊臣方の作業が一向に進まず、それにしびれを切らした徳川方は、ついに人夫を送りこんで工事を強行したという。上記のエピソードはどうやら、それがおおげさに伝えられたがために生まれたというのが真相らしい。
なお、このとき埋め立てられた三の丸堀はその位置が長らく謎だった。それが2003年の大阪府警本部の建て替えにともなう発掘調査で、L字型に曲がる巨大な堀が姿を現し、ついに位置が確定された。この堀から出土した遺物整理の過程ではある木簡が発見され、話題を呼んだ。それは「菅平右衛門」という人名の書かれた木簡である。その表には「菅平右衛門様 赤右衛門」、裏には「鴨 □衛門」と墨書され、上部の左右に紐を結ぶ切りこみがあることから荷札木簡だと判明、おそらく差し入れの食料として鴨の首にくくりつけられていたものだろうと推測された(黒田慶一「豊臣氏大坂城と三の丸論争」、鈴木重治・西川寿勝編著『21世紀を拓く考古学3 戦国城郭の考古学』)。
鴨の受取人である菅平右衛門は、もともとは海賊の出身で、淡路・洲本城主だった武将である。関ヶ原の合戦で西軍についたため領地を没収され、このあと藤堂高虎の領内での蟄居を経て高虎に仕えた。冬の陣にも高虎軍の一員として参陣、しかし堀の埋め立てをめぐって高虎と口論となったあげく切腹している。じつは木簡出土より前、1998年に火坂雅志が「天神の裔(すえ)」という小説(短編集『壮心の夢』所収)で平右衛門を主人公にとりあげ、その最期まで描いていた。
平右衛門は内堀の埋め立てに反対していたと伝えられる。その願いむなしく、彼が切腹を命じられたのは慶長19年12月26日のことだった。同月19日に妥結された講和は、22日に誓書が交換され、翌23日には堀の埋め立てが始まる。平右衛門宛ての荷札木簡が出土した三の丸堀の埋め立ては25日、つまり彼の切腹の前日に開始されたという。
果たして平右衛門は鴨肉を食すことができたのか? 少なくとも24日以前に食していたとは考えにくいようだ。というのも、その頃に鴨が届いていたのなら、荷札は先に埋め立ての始まった外堀に捨てられていたはずだからだ。ここから鴨は25日以降に到着したものと推測される。ゆえに平衛門は鴨を食せなかった可能性もあるし、あるいは、ぎりぎりまにあって最後の晩餐となっていたかもしれない。
そういえば、来年のNHK大河ドラマでは、三谷幸喜作・堺雅人主演で真田信繁(幸村)の人生をとりあげるという。当然、劇中では大坂の陣も描かれることは間違いない。大坂の陣で豊臣方として善戦した幸村に対し、心ならずも徳川方についた平右衛門を登場させるってのもありじゃないですか、三谷さん!?
(近藤正高)