NHK 大河ドラマ「おんな城主 直虎」(作:森下佳子/毎週日曜 総合テレビ午後8時 BSプレミアム 午後6時)
10月29日(日)放送 第43回「恩賞の彼方に」 演出:藤並英樹 

万千代、家康に重宝がられる


万千代(菅田将暉)が家康(阿部サダヲ)の色小姓になってしまうのか? という興味で42話から43話に引っ張ったら、11%台が続いた視聴率が12.9%に上がった。これはすごい。いや、たぶん、この日は台風が列島を襲っていたからだと思うのだが・・・。


とにもかくにも、2012年4月8日、“大河ドラマ・平清盛の乱”(藤原頼長×平家盛)のようなことにはならず(阿部サダヲや尾美としのり、ムロツヨシも「平清盛」に出演している)、万福(井之脇海)と共にふつうの小姓となった万千代は、度重なる小五郎(タモト清嵐)の妨害を、殿の寵愛を受けたことにして回避する。

「働きをもってあの者らをねじ伏せたいと思います」という決意のごとく、万千代は才気を発揮し、家康の信頼を厚くしていく。

長篠の戦いにおける武将たちの武功の申し立てを正しく検証するため表にしてみるアイデアはすばらしい。だが、地味だが、雨の降ったあとのぬかるんだ地面を慣らす作業(水たまりに土をかぶせ掃く)もすばらしい。テレビや映画のロケ現場でスタッフがよくやっている。こういうことはとっても大事なのだ。


小五郎たちが仕事を分担してくれないので、することがない万千代は、自分で仕事を作り出すべく、くすり係になろうと考える。
家康が養生に興味あるというので、井伊谷からくすりを取り寄せることに。
万千代がもってきたくすりを家康が毒味しないで飲むのを見て、菅田将暉がしてみせた、胸いっぱいの表情が、
微笑ましい。
「おんな城主直虎」43話。甚兵衛をナレ死にしなかった森下佳子に作家の意地を見た
キネマ旬報 featuring 菅田将暉 (キネマ旬報増刊)

42話で、万千代が武具の整備をしていたこともちゃんとわかってもらっていたこともあって、家康に、武将たちは誰も知らなくても殿が見ていてくれていることが心強い、と進言した万千代は、岡崎への使者という大役も命じられるまでになる。

万千代、やたらとがなっているばかりではなく、知恵はまわるし、絵もうまいし、「流れるような筆づかい。読みやすい美しい文字」と言われるほど、いろいろな才能をもっている。
信康 (平埜生成)まで注目した顔の良さも才能のひとつ。

まるで、タイトルバックの植物が芽吹いている絵と、万千代の成長と活躍が重なって見えるような回だったが、43話で注目したいのは、直虎(柴咲コウ)だ。

甚兵衛と直虎の名場面


万千代が家康に迫られて、雷がゴロゴロ、雨はざあざあ降ってきた夜、井伊谷も大雨で、あわや山が土砂崩れを起こしそうになる。長篠の戦いで使った柵をつくるため木を伐採し過ぎたためで、直虎は至急、山に松を植樹することにする。

せっせと松を植える直虎と井伊谷の民たち。
甚兵衛(山本學)が「清風払名月 名月払清風」(14話に登場した禅語で、禅宗指導の方のサイトに“禅の悟りの清らかさをあらわしています。
”とある)の言葉を「生涯忘れませんで」、「わしらの殿っていえばおとわさまだで」などと言いながら、「この木が育つころにはここのあたりはどうなっているだろう」と思いを馳せる。

近藤様(橋本じゅん)の領地か、虎松様の領地か、それとも誰か別の人物の領地か・・・。いずれにしても、
「木を伐ったら植えることをならわしにしたらいい」と直虎は考える(家康がいうとおり、「己を守ることではなく、井伊の民のことだけ」考えている無欲さの現れ)。

植えた松を「甚兵衛の松じゃ」と何回も言って、甚兵衛を照れさせる直虎。それをみんなも聞いて楽しく笑いながら作業を続ける。
近藤に植樹作業の許可を得るために「近藤様の松」と言っていたのはおだてに過ぎず、実際、手足を動かしている甚兵衛を大事にしたい気持ちはよくわかる。


そんな甚兵衛は、長篠の戦いから3年後、天正6年(1578年)には、空の人になっていた。
それがわかるのは、育った松を見ていた直虎が、空に向かって「聞いておるか甚兵衛、また来るの」と言って、少しさみしげに去っていくから。

登場人物が亡くなるときの描き方には、いくつか方法がある。

・息を引き取るところまでしっかり描く。
・一部始終を目撃した者が語る。
・ナレーションで説明する。
人呼んで“ナレ死”。
・亡くなってから時間が経過し、亡くなった事実と共に生活が続いている様を描く。
など。

前作「真田丸」(16年)で“ナレ死”が話題になったことから、あらゆるドラマで何かとナレ死が目につくようになったが、「直虎」43話では、森下佳子は「甚兵衛が死んだ」とは誰にも言わせないながら、それを強烈に感じさせた。

おそらく、甚兵衛が亡くなったとき、相当の悲しみが井伊谷や直虎を襲ったであろう。でもそれを乗り越えて、(直虎はもうずいぶんたくさんの別れを乗り越えてきている)いまがあるのだろうとかいろいろ想像が膨らむし、なにより、甚兵衛のことをずっと忘れず大事にしている愛情も感じる、しみじみといい場面だった。


さくっとナレ死もいいときはいいけれど、アンチ・ナレ死も良い。適材適所。
ここで森下佳子がナレ死を選択しなくてほんとうに良かった。

森下佳子がうまいのは、戦や生活のディテールを、味気ない説明台詞ではなく、ふだん何気なく語っている言葉として織り込んでいくことだ。もっともこれはプロなら当たり前の技術だが、最近は、練る時間が足りないのかこれがおろそかなドラマも多い。

さらに、山の傾斜に立つ直虎がじつにどっしりたくましく、かっこいい。
彼女がいるから、万千代もいられるのだ、と思わせる。
柴咲コウ、いい俳優だなあ〜。
余談だが、大ヒットした映画『信長協奏曲』(16年)も、彼女が演じた帰蝶が魅力的だったからこそ、映画の起爆力は上がったと私は思っている。ラストの語りかけはすばらしい。

さて「直虎」。44話では、いよいよ万千代と万福の初陣が描かれる。
(木俣冬)