#46 大記録寸前の斎藤雅樹(巨人)から落合博満(中日)が逆...の画像はこちら >>

◎1989年8月12日 ナゴヤ球場

巨人 0 0 0  0 0 0  0 1 2 =3

中日 0 0 0  0 0 0  0 0 4X =4

HR(巨人)クロマティ11号 原21号

(中日)落合20号

「9回の裏、中日の攻撃。マウンド上、ピッチャー・斎藤雅樹。

1ボールから2球目、ランナーを見て第2球を投げた。打った! センターへ上がった! センターバック、センターバック! あるいはホームランか? ホームランか? あきらめた! ホームラン! ホームラン! サヨナラ逆転3ラン! センターバックスクリーンの右側。落合、第20号サヨナラ逆転3ラン! 中日が勝ちました! 4対3! 落合、今ホームイン。落合、まさか、中日の逆転勝利!」

ノーヒットノーラン達成寸前のピッチャーが、惜しくも記録を逃しただけでなく、目前だった完投勝利も逃し、まさかの敗戦投手になったという、まさに「天国から地獄」を絵に描いたようなゲームが1989年にあった。地獄に突き落とされたのは巨人の若きエース・斎藤雅樹。突き落としたのは、中日の主砲・落合博満である。

1986年オフ、この年ロッテで2年連続三冠王に輝いた落合は、慕っていた稲尾和久監督の解任に対して猛反発。「稲尾さんがいないのなら、自分がロッテにいる理由がない」と発言し、球団との対立は異例の「三冠王トレード」へと発展した。巨人がいち早く水面下で交渉を始めたが、交換要員が折り合わず破談に。代わって星野仙一新監督が就任した中日がリリーフエース・牛島和彦ら4人を放出して「4対1トレード」をまとめ、落合の中日移籍が決まった。

結局ご破算になったが、巨人とロッテが交渉中、ロッテ側が交換要員に指名した1人が斎藤雅樹だった。当時のスポーツ紙にも名前が挙がり、斎藤は気が気でなかったという。

斎藤は3年目の1985年にチーム最多の12勝を挙げ、1986年は先発・中継ぎの両方をこなして7勝をマーク。将来のエース候補として期待されていた。当時まだ20歳と若く、巨人側が「斎藤は出せない」と放出を拒んだのは頷ける。落合の中日移籍が報じられたとき、斎藤は「ホッとした」そうだ。

7年目の1989年、藤田元司氏が巨人監督に復帰。斎藤が入団したときの指揮官であり、サイドスロー転向を勧めた“恩師”でもある。斎藤はこの年から先発に固定され、5月から7月にかけて、今も破られていない「11試合連続完投勝利」という日本記録を達成。8月7日の広島戦では延長10回を1人で投げ抜いて15勝目を挙げ、「巨人のエース」への階段を駆け上がっていた。

5日後の8月12日、斎藤は中日と敵地・ナゴヤ球場で対戦。この日の斎藤は絶好調で、8回まで許したランナーは四球と失策の2人のみ。ノーヒットピッチングを続けていた。一方中日も、巨人から移籍した西本聖が力投していたが、巨人は8回、川相昌弘の三塁打で待望の先取点を挙げた。

9回にも、中日のリリーフ陣からW・クロマティ、原辰徳がソロアーチを放って2点を追加。3点の援護をもらった斎藤は、ノーヒットノーランの偉業を懸けて最終回のマウンドに上がった。

斎藤は先頭の中村武志を空振り三振に仕留め、これであと2人。しかし、代打・音重鎮に右翼線を破るヒットを打たれてしまう。惜しくもノーノー達成はならなかったが、まだ完封勝利が残っている。彦野利勝をセカンドフライに打ち取り、勝利まであと1人……。

このとき、中日ベンチで「ここから逆転したら、球史に残る試合になるな」と考えていた選手がいた。4番・落合である。次打者の2番・川又に「何が何でもオレに回せ。オレが打って終わらせるから」と話し「好球以外は打たずに見逃せ」とアドバイスした落合。川又は指示通り四球を選び、続く3番・仁村徹も「落合さんに回せば何とかなる」とライト前にタイムリーヒットを放つ。これで完封もなくなった。

一転、2死一・三塁のピンチを迎えた斎藤。まだ2点リードがあり、あと1人で完投勝利だが、打席には落合。この場面でいちばん対戦したくないバッターだ。「ホームランを打つ、と頭の中に描いて打席に立った」と言う落合。初球はボール。2球目、斎藤は全力で直球勝負を挑んだが、コースが甘かった。落合のバットが一閃。打球はバックスクリーン右に消えた。ノーヒットノーラン寸前から、まさかの逆転サヨナラ3ラン……。

珍しく笑顔を浮かべ、照れくさそうにホームイン、ナインの祝福を受けた落合。かたや、打球の行方を見つめ呆然、涙を浮かべてマウンドを降りた斎藤。出迎えた藤田監督はただひと言、こう言って斎藤をねぎらった。

「よく投げたね」。

斎藤はこの屈辱をバネに白星を積み重ね、この年20勝をマーク。中日・西本と並んで最多勝のタイトルを獲得し、さらに最優秀防御率、沢村賞にも輝いた。翌1990年から背番号「41」を「11」に変え、2年連続20勝。「平成の大エース」へと成長を遂げたのはご存じの通りだ。

<チャッピー加藤>

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