■自動車ディーラーと保険ビジネス
トヨタモビリティ東京は世界最大規模の自動車販売会社で、従業員は7700名、販売店の数はレクサス店舗も加えると204カ所。2025年3月期の売上高は4572億円。年間6万台以上の新車、中古車を販売している。保険の契約数も代理店としては国内最大規模と言えるだろう。
同社は自動車販売店が行うすべてのビジネスをやっている。テレマティクス保険のようなコネクティッドデータを活用した自動車保険についても早い時期から採り入れてユーザーに提供してきた。国内自動車販売店の先駆けとして近未来型ビジネスに取り組んできた販売店だ。本稿ではテレマティクス保険を販売した自動車販売会社の担当者の話を紹介する。
まず、トヨタモビリティ東京の大田店に勤務する担当係長の大木信二の話だ。大田店は環状7号線に面して位置している。
■今やクルマだけを売っているわけではない
大木はトヨタモビリティ東京の前身、トヨタ東京カローラに入社した。2019年、東京にあるトヨタ系販売会社5社が合併、その後はトヨタモビリティ東京の勤務となる。販売店勤務は3店目だ。大木は自動車の新車を売り、同時にバリューチェーンと呼ばれる保険、携帯電話の契約を進めてきた。
トヨタの販売店は携帯電話も売っているのですか?
彼は「はい、そうなんです」と言った。
「auのスマホ、携帯電話を売っています。auショップだと待ち時間が長いけれど、うちだと待つことはまずありません。駐車場もありますし、お客さまのニーズはあるんです。すぐに対応できますから、便利だとおっしゃってくれるお客さまは大勢いらっしゃいます。普通の携帯電話ショップだと予約が必要ですが、うちはその場で対応できます。
■2000年頃からビジネスの内容が変わった
自動車販売会社としては少子高齢化もありますし、新車の売り上げだけでは成長していけません。保険の収益、携帯電話の収益などのバリューチェーンがこれからさらに大きな部分を占めていくのです。うちの社員は全員、お客さまには必ず保険を勧めるようにしています。バリューチェーンのなかでは保険とサービスのメンテナンスが大きいからです。サービスとは車検、点検、へこみなどに対する板金修理のことです。
私が勤務している大田店で車を買った人の数は約3000人弱。ただ、同じ会社でも規模が大きい店の顧客の数は5000人、6000人になります。年間で6万台を売り、保険契約は22万7000件といったところです。この傾向はかなり以前からのことですね。
入社してから二十数年経ちますが、当時の営業マンは新車だけを売っていました。車と保険、サービスの担当は別だったのです。
■クルマ、メンテナンス、保険、スマホまで
以前は車のことだけ勉強していればよかったのですが、今の販売店の営業マンは車、サービスメンテナンス、スマホ、保険についても勉強しなくてはいけない。保険は自動車保険だけでなく、火災保険、生命保険も扱っています。生命保険を売るのはなかなか難しいんですけども、1台の車を売った時、家族全員が生命保険に入ってくださることもあって、勉強していると、いいことがあります。
保険の場合、売るというよりも、見直しが重要です。お客さまが求めているのは新しい保険というより、自分に合ったものかどうかなんですね。私たちはお客さまが今、入っている保険が適正かどうかを診断して助言します。『ちょっと入りすぎかもしれません』『これとこれがダブっているからこういうふうにした方がいいですよ』といったことをやっています。保険はあくまでお客さまが主体的に決めるものです」
■クルマの入れ替え、保険の入れ替え
車、スマホを売るのと保険を売るのは違いがある。車、スマホは「これが出たばかりです」「お得です」といったことをアピールできる。保険の場合は「これがいいです」ではなく、「この保険はこういった性質のものです」という説明になる。
大田店の営業マンは全員、資格を持っている。受験料は会社が払うとのこと。それはそうだろう。
大木は言った。
「新車に買い替えた場合、お客さまの保険を切り替えなくてはいけないので、自動車の営業マンは必ず資格がいるんです。保険を切り替えないで、新しい車に乗っていて事故を起こしたら保険が下りない。これは必ずやらなければならないことです。カローラからクラウンに変えたのに、保険会社に契約した車の変更を伝えていなければ『いやいや、この車ではありません』と言われてしまいます。
■コネクティッドカーとテレマティクス保険
車の入れ替え、買い替えの時ですね、その時に保険についても、もう一度、ご説明して内容を見直すことが多いんです。近年、ケガをした場合の治療が変わってきているといったこともあります。高額医療の時代になっていますし、後遺障害が残るとお金がかかります。そこで、補償を厚くする方が多い。保険の内容が変わってきたと思います。今までは基本のものしかなかったけれど、特約が増えて、かゆい所に手が届くようなかたちの保険が増えました。各社、いろいろな保険を出しています。あいおいニッセイ同和損保さんは昔からトヨタと一緒に保険を開発してきたので、当社では加入しているお客さまも多いです」
そうやって開発してきた保険のひとつがテレマティクス保険だ。
トヨタに限らず、世の中にコネクティッドカーが広がってきたこともテレマティクス保険の普及に影響を与えている。
加えて、世の中の事象がテレマティクス保険の普及に力を貸している。それはあおり運転の増加だ。
■知らずにぶつけた本人もデータを見れば納得する
大木は「ドラレコを付けるのはいいことです」と言った後で、しかし、1台の車に3つは多いのではないかと言った。
「ドラレコをダブル、トリプルで付けている方がいらっしゃいます。加えて駐車監視システムまで取り付けると、バッテリーの容量が足りなくなってしまう。ドラレコを複数取り付けるより、コネクティッドカー向けテレマティクス保険と組み合わせるといいでしょう。もちろん、ドラレコ型のテレマティクス保険もあります。ただ、私は運転挙動がデータで飛ぶタイプを勧めています。コネクティッドカー、もしくは簡易車載器のタイプです。
お客さまは免許を取ってから、自分自身の安全運転を客観的に判断しないまま、ずっと車に乗ってきたと思うんです。車に対してのブレーキの踏み方、踏むタイミング、急ハンドルなど……。なんとなく自分でいいと思って運転してきた。みんな、そうだと思うんです。それが、テレマティクス保険に入ると、自分の運転の仕方をもう一度、見直すわけです。運転の仕方が保険会社にデータとして送られて、安全運転スコアという点数になる。しかもスマホで見られる。
■テレマティクス保険はどんな時に役立つのか?
そうすると点数によって割引になり、保険料が毎月安くなったりします。とにかく一度、自分の運転の仕方を見直すことが重要だと思っているんです。そういう保険って、これまではなかったんです」
本書の取材ではさまざまな人たちにテレマティクス保険についての説明を聞いた。わたしが聞いた限りでは開発者の梅田教授を除けば、もっともわかりやすく伝えてくれたのが大木だった。
なぜ、彼の伝え方が上手なのか?
本人曰く「毎日、お客さまに説明していたから」。毎日、説明しているうちに、どんな話をすればいいかがわかってきたのだという。大木はわたしに、これまでにお客さまが反応した部分を集中的に説明したのである。
大木によれば、テレマティクス保険について、顧客が尋ねてくるポイントはふたつだという。
①テレマティクス保険は従来の保険とどこが違うのか?
②どういう種類の事故があった場合、テレマティクス保険が役に立つのか?
そこで大木が話すのが「テレマティクス保険でこそカバーできる事故」についてである。彼はこう話す。
■ドラレコの死角を突いたケース
「こんな事故がありました。あるお客さまの車が自転車販売店の前で時速3kmで走っていました。時速3kmですから歩くより遅い。止まる寸前のスピードです。すると、自転車店の従業員が自転車を搬入中に誤って倒してしまい、車の側面にぶつかりました。ボディはへこんだから直さなくてはならない。こういったケースの場合、運転挙動やスピードのデータがなければ、『車だって悪いじゃないか。車のへこみはドライバーが自分で直せ』となってしまいます。車の側面ですから、ドライブレコーダーにも映っていないわけです。
ところが、テレマティクス保険に入っていれば時速は3kmで、横からぶつけられたというデータが残っているわけです。
結局、このケースの事故ではお客さまの過失割合はゼロでした。自転車が100で、車はゼロ。車はまったく悪くなかった。自転車屋さんから車を修理するお金をもらうことができたのです。
もし、あいおいニッセイ同和損保さんのテレマティクス保険のデータがなかったら、自転車でぶつかってきた人と争いになります。ドライブレコーダーは前と後ろしか映らないから、証拠にならない。お客さまのスピードが時速3kmというのも数値でわかります。止まっている車にぶつかったのと同じなんです」
■カメラではわからない運転の挙動とは
「お客さまに、この話をすると、『え、そうなの。知らなかった』。
普通の保険ですと、データがなければお前が悪い、いや、お前だと喧嘩になってしまうんですよ。
交差点内の事故でも、テレマティクス保険に入っていて、運転挙動がわかれば争いになりにくい。信号が赤だった、青だったという争いも、走っている速度と時間がわかれば信号が青だったかどうかわかるんです。つまり、テレマティクス保険っていうのは事故の際の証拠であり証人なんです。弁護士、交通鑑定人が出てくるようなケースでも、データがあれば争い、裁判にはなりません。
自転車屋さんの事故の場合もデータを見せたら『悪いのはうちだったね』とお振り込みをいただき、お客さまの車をすぐに修理させていただきました。
車と自転車の事故で、100%自転車が悪いとなることはこれまではなかった。運転挙動のデータがいかに大事か、私自身、よくわかりました」
現実の交通事故は多種多様だ。一般に交通事故と言えば車同士、あるいは車と歩行者だ。しかし、今では電動キックボードなども登場し、モビリティの種類は増えている。車と電動キックボードの事故だって少なくない。ドライブレコーダーの装着率が高まっているとはいえ、ドライブレコーダーのカメラではとらえられない死角がある。カメラがとらえた映像と車の運転挙動データの両方が必要になってくる。
■「思いやりの気持ち」を持って運転する
大木は言った。交通事故を防ぐには「リラックスしながら安全運転をする」ことだという。「テレマティクス保険がいいのは運転挙動を上から目線で指導されるのではないことです。毎回、点数が出るから、ゲーム感覚で安全運転ができます。誰でも安全運転を心がけているんです。スピードを出すのはよくないし、急ハンドルもダメだとわかっています。でも、毎日、その気持ちを維持するのは難しいんですよ。テレマティクス保険だと点数が出るので、いい点数を取りたいというのがやりがいになる。僕はゲーム感覚がいいと思うんです。『あ、50点だ、やばいよ、これ』とか『今回は90点だ、安全運転したんだな』とかって、目で見てわかる。そのうえ、安全運転すれば保険料が割引になる。
それに、これ、家族で乗ったら、それぞれの点数が出るんです。『お父さん、50点じゃダメ。私はいつも90点なのに』とかお母さんが言ったりするんじゃないかなと思います」
■ブラインドサッカーの教訓
大木は最後に「交通事故死をゼロにするためのアイデア」を教えてくれた。これは今回、わたしができる限り、ユーザー、販売担当者に聞いた質問だ。
交通事故死は必ずゼロにできると信じることができればアイデアは生まれてくる。自動車産業の関係者は多くの情報を持っているが、その情報が邪魔をして、かえって、交通事故死がゼロになるはずがないと思っているところがある。
大木は「思い付きです」と言いながら、交通事故死をゼロにするためのアイデアを話してくれた。
「私、研修があって、ブラインドサッカーを体験しました。うちの会社の研修でした。健常者が目隠しをしたまま、ボールをパスしたり、『こっちだよ』と所在を教えてパスを受けたりする。その時、思ったんですよ。見えない人にボールの所在を教えるのってすごく難しい、と。『僕の足元にボールがあります』と言っても通じない。あなたが正対している私の足元にあって、2mくらい離れてますとか言わなきゃいけない。
お互い、目が見えないから、相手への伝え方というのがすごく大事。しかも、相手の気持ちを考えてあげることも必要なんです。普通、運転していると自分のことばかり考えているでしょう。安全運転をしようとか。でも、もっと周りを見るべきなんです。前を走っている車の挙動がおかしかったら、離れるとか、通報するとか。周りを見ることが大事で、あいおいニッセイ同和損保さんのテレマティクス保険にも、周りを見る視点を入れたらいいんじゃないかと思う。
要は思いやりの気持ちを持って運転すれば事故は自ずと減っていくのかなって思います。オレがオレがじゃなくて譲り合いを心がけるのが安全運転だと思うんです」
■スピードを時速30kmにすればいいのだが…
「たとえば、あおり運転ってありますよね。あおる方が悪いんですけれど、あおられる方にも原因があると思います。無理やり入ってきたりとか、スピードが遅すぎるとか。自分のことばかりを考えるのではなく、周りを見ること、周りの気持ちになることなんですね。
車の交通事故の原因を見ると、やはり速度超過なんです。スピードが出ているとぶつかって被害も大きくなる。たとえばの話、世の中の車が全部、時速30kmだったら、たぶん亡くなる方はいらっしゃらないと思うんです。でも、それでは物流が壊れてしまうかもしれない。どんな安全装備が付いたとしても、スピードが出ていれば被害は大きくなります」
大木が言った「全車が時速30kmにする」を聞いた専門家は夢物語だと言うだろう。しかし、交通事故死をゼロにするには現実の延長で考えても達成はできない。現実を忘れ、現実とは少し離れたところからの提言でなくては交通事故死をゼロにすることはできない。
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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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