来年の第103回箱根駅伝(1月2、3日)で、史上最多15度目の優勝を目指す中大には“日本一速い主務”がいる。山崎草太(4年)はけがで練習が継続できず、2年の終わりに選手からマネジャーに転向。

今季は裏方でチームを支えながら走ることも諦めず、3000メートル障害で5月の関東学生対校選手権(関東インカレ)3位、日本一を決める6月の日本選手権にも出場するなど、主力級の大活躍を見せている。

 マネジャーとは思えない強さだった。5月の関東インカレ予選を組2着通過した山崎は、翌日の決勝でさらなる激走。ラスト1周、8番手あたりから一気に順位を上げ、3位表彰台に立った。「うれしいですし、びっくりしています」と満足そうな笑顔。6月の日本選手権も18人中12位となり「とても楽しい大会になった」と前半シーズンに抜群のインパクトを残した。

 長く苦しい時間を乗り越えた。箱根駅伝の山上り5区に2年連続出走した山口・西京高の先輩、阿部陽樹(現安川電機)を追って中大へ進学。起伏が得意で箱根5区出走を「狙いたい」と胸を高鳴らせていたが、入学直前に右アキレス腱を負傷。約1か月の休養後に練習再開も「試合で走れない状態が続きました。すごく落ち込んだ。才能無いのかなとか、悪い方向に考えてしまった」と苦悩した。

 それでも、8月の山形・蔵王合宿。10キロ山上りトライアルで好成績を残し、上りに特化した練習を開始。力をつけて箱根5区に出場登録されたが「前期の走れないイメージが払拭できなかった。楽しめなかった」。大会直前にチーム内で感染症が蔓延。山崎も感染して区間14位に終わった。

 2年目のシーズンもけがが続き、結果を残せず。「試合で走れなかった後、寮に戻ることがきつかった」。3年に上がる前の2月。ミーティングで裏方に回る決心を伝えた。「悲しいというか悔しい。涙が止まらなくて、それだけ陸上を本気でやってきたんだなって、その時に思いました」。

藤原正和・駅伝監督(45)も「本当に苦しんでいた」と当時を振り返った。

 3年になると選手としての経験を糧に、マネジャーとして中大を全力で支えた。とはいえ、藤原監督は「走ることに未練があるって分かっていた。言わないと一生走らないと思った」と山崎に声をかけ続けた。「体力を落としすぎるのは嫌だ」と山崎。リフレッシュ程度に駆けると、楽しかった頃の感覚が戻ってきた。徐々に走る量は増え、ジョギングから週2回ほど一人で400メートルを2、3本全力で走ったり、チームの練習を引っ張ることもあった。

 昨年12月、「この練習でどれだけ走れるのかな」と気持ちが動いた。早大競技会5000メートルで14分40秒60の組1着。高校から興味のあった3000メートル障害で今年4月の平成国際大記録会に出走し、日本学生歴代3位の記録を持つ同期の柴田大地に先着する8分53秒37。関東インカレ、日本選手権に出場し「楽しく走れています」と笑顔が戻った。

 トラックで結果を残した“日本一速い主務”。

学生3大駅伝のメンバー入りも注目されるが、藤原監督は「日本選手権で12番の人を戦力として見なさない訳にはいかない。チャンスがあるなら箱根の5区」と前向きに話す。山崎も「距離的に長く難しい部分もあると思いますが、けがをせず、もし自分が必要とされているのであれば是非走りたい」とチームのために尽くす覚悟だ。異例の“二刀流”挑戦から今後も目が離せない。(手島 莉子)

 ◆主務 マネジャーのリーダーでチームの運営を行う。練習や寮生活などで選手や監督のサポートをし、大会スケジュール調整、行程表作成、宿泊手配やメディア対応なども行う。マネジャーとして入部する学生もいれば、故障などで選手から転向する学生も。箱根駅伝では、2001年大会で早大の主務だった大角重人(4年)が、当日朝のオーダー変更で6区に出場。区間11位で走った例がある。

 ◆山崎 草太(やまさき・そうた)2004年10月19日、山口・長門市生まれ。21歳。西京高から中大文学部に進み、1年時の箱根駅伝は5区14位。

2年の終わりからマネジャーに転向、4年から主務。今季から3000メートル障害に挑み、関東インカレ3位。国内トップ選手が集う日本選手権12位。自己記録は3000メートル障害が8分41秒97、5000メートルは14分1秒54、1万メートルは29分46秒48。

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