バレーボール男子 ▽国際親善試合 日本 1(23―25、25―20、19―25、26―28)3 ブラジル(25日、東京・有明アリーナ)

 世界ランク6位の日本は、五輪3度優勝で同7位のブラジルに1―3で敗れた。2028年ロサンゼルス五輪の出場権が懸かるアジア選手権(9月4日~13日、福岡・北九州市立総合体育館)前では最後の実戦で敗れたものの、首のけがで別調整していたエースの石川祐希主将(30)=ジラート=が第1セット(S)から先発出場。

強烈なスパイクを決めるなど大一番へ向けて復活を印象づけた。

 日本のエースが復活を印象づける大暴れを見せた。第2S。石川が相手の強烈なスパイクを1枚ブロックでシャットアウト。ガッツポーズで叫ぶと、今度は相手のブロックをかわすスパイクで連続得点を決めた。サービスエースも突き刺し、このセットだけで7得点と目覚めた主将が1―1に導いた。第3S以降は石川を温存して控え組が出て、ブラジルの高さに屈したが、超満員1万3896人の観客の前で、日本としてはロス五輪切符取りの大一番へ一番の収穫を得た。

 10得点で存在感を放ったエースは「アジア選手権の前にいい感覚をつかめたと思います。攻撃もレセプション(サーブレシーブ)もサーブも感覚でいい。非常に楽しかった。満員の中でプレーできてうれしかった」と笑顔でうなずいた。

 苦い記憶を払拭する。

23年秋のパリ五輪予選では腰痛を抱え、格下のエジプトに敗れるなど大苦戦。チームは5勝2敗で何とか切符を死守も、エースとして思うような働きができず。パリ五輪本大会も状態を上げきれず「みんなに申し訳ない」と悔しさが残った。

 アジア選手権は自身3度目の五輪切符を懸けた争い。懸ける思いも誰よりも強い。そんな中、ネーションズリーグ(NL)決勝大会で中国入りした7月下旬、アクシデントが襲った。ウェートトレーニングで首を負傷。「予想外」と悔やんだが、下を向かなかった。1週間前まで練習に加われず実戦形式は前日24日から。それでも「ピーキング」と言い聞かせ、焦ることなく、本番10日前の最後の実戦で不安をぬぐった。大一番を前に「この調子でいけばいい状態で行ける」と明るい表情で断言した。

 3大会連続の五輪切符を懸けたアジア選手権。

最大のライバルは、2大会連続で決勝を戦った世界ランク19位のイランと同37位の中国。ともに高さと強いフィジカルが脅威だが、この日の“前哨戦”で小野寺以外、15人がコートに立ち「高いブロックとサーブに強みを持つチームに対して経験できた」と準備は整った。「必ず勝って、五輪の出場権を獲得するので楽しみにして」と石川主将。復調した前回大会MVPのエースが、日本をけん引する。(宮下 京香)

 ◆石川 祐希(いしかわ・ゆうき)1995年12月11日、愛知・岡崎市生まれ。30歳。小学4年でバレーを始め、愛知・星城高時代に2年連続の高校3冠を達成。14年に中大に進学し、同年に日本代表入り。同8月にセリエAのモデナと契約。21年に代表主将に就任し、24年パリ五輪まで2大会連続7位。24―25年季からペルージャに入団。26―27年季からトルコの強豪・ジラートへ移籍。

女子日本代表主将の真佑は妹。身長192センチ。

 ◆バレーボール男子のロサンゼルス五輪への道 開催国の米国を含めて12チームが出場。日本は大陸予選を兼ねたアジア選手権(9月4日開幕、福岡)で優勝すれば、最短で出場権を獲得する。それ以外にも来年、行われる世界選手権で有資格国を除いた上位3チームに付与され、残りの3チームは28年ネーションズリーグの1次リーグ終了時点での世界ランク上位3チームに入れば、五輪切符を得る。

 ◆男子アジア選手権 アジア連盟が主管する国際大会で1975年にオーストラリア・メルボルンで初開催。日本男子は最多10度の優勝を誇り、23年大会に続く2連覇を目指す。12チームが出場し、1次リーグ(L)は4チームずつ3組に分かれ、総当たりで対戦。全組を通じて成績上位8チームが決勝トーナメントに進む。日本は1次Lでオマーン、バーレーン、オーストラリアと同組で争う。

 〇…高橋藍(24)=ルブリン=は敗戦にも「アジア選手権前に、いいも悪いも含めてやれた」と納得顔でうなずいた。序盤はスパイクを止められる場面もあったが、第2セットにフェイクセット、第4セットはサービスエースを奪うなど存在感を発揮。

「いい練習ができた」と、9月のアジア選手権を見据えた。優勝でロス五輪切符をつかむ大一番に向け「楽しみながら。でも一番は勝ちにこだわってやる」と意気込んだ。

編集部おすすめ