ヤクルト・石川雅規が引退を表明した。積み重ねた白星は188。

「不惑」をとうに過ぎた、この「小さな大投手」誕生のきっかけは、今から27年前―1999年まで遡る。周囲の助言と本人の努力。そして、偶然が重なって、この大投手は生まれたのだった。

 この年、石川は青学大の2年生。東都大学野球連盟への登録では「169センチ・58キロ」という小さな左腕の潜在能力を引き出したのは、コーチのアドバイスだった。左投手が生き残るために―と、スクリューボールの習得を促し、春の指宿キャンプでは700球の投げ込みを課した。1試合投げきる体力を作るため、それこそ吐くまで、いや、吐いても走らせる毎日。キャンプ終了後も綱島にあった合宿所の近くの公園を何度も走って心肺機能と下半身を鍛えた。

 河原井正雄監督は春季リーグ戦の開幕前、石川を主戦とは考えていなかったと記憶している。4年生、3年生に実績を残した投手がいて、序列では3番手以下。ところが、この3年生の投手が練習態度などから仲間の信頼を損ね、エースとして期待された4年生は突然、チームを離脱。「おい、大変だぞ。

投げられるピッチャーがいなくなった」と、河原井監督の愚痴を聞いたことを思い出す。

 4月6日。開幕戦となった亜大戦の先発は石川に託された。というか、託さざるを得ない状況だった。実は我々担当記者の注目は前年、松坂大輔とバッテリーを組み、横浜高の春夏甲子園連覇を果たした亜大のルーキー・小山良男捕手だった。石川は初回に4安打を許して3失点。その後は立ち直り、終わってみれば延長10回、被安打6の完投で初勝利をマークした。残念ながら、報知紙上での試合の原稿は「亜大・小山 ホロ苦デビュー」で、石川の勝利についてはまったく触れていないのだが、この1勝から石川のサクセスストーリーが始まった。

 抜群のスタミナ、スクリューを駆使したピッチングで結局、チーム9勝中6勝を挙げ、6季ぶり7度目の優勝の原動力となってMVP、最優秀投手、ベストナインを全て満票で獲得。全日本大学選手権でも4度目の日本一をたぐり寄せた。翌年のシドニー五輪の出場権を争うアジア野球選手権(ソウル)の代表メンバーにも選ばれ、秋も5勝0敗とチームの連覇を支えて最優秀投手とベストナインに。直後の明治神宮大会、創価大との試合で延長18回を投げ抜く…99年のアマ球界の主役は間違いなく石川だったが、この小さな投手がここまで活躍するとは、誰が予想しただろうか。

 大学時代の石川を3年間、取材したが、「亜大との開幕の延長戦を投げきったことが自信になった」と後々まで話していた。コーチのアドバイス、本人の努力、そして、他に投げられる投手がいなくなってしまったという偶然…「小さな大投手」引退の報を聞き、はるか遠くの日々を反芻(はんすう)した。(99~02年アマ野球担当・名取 広紀)

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