球界最年長46歳のヤクルト・石川雅規投手が2日、都内の球団事務所で記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。身長167センチと小柄ながら24年連続勝利を挙げるなど、通算188勝をマークした“小さな大投手”。

2002年4月4日のプロ初勝利と、25年5月4日の188勝目を取材した秋本正己記者が「すごく楽しい25年間でした」と笑顔で締めた会見を「見た」―。

 あどけない顔にはシワが刻まれ、髪はシルバーグレーに変わっていた。石川が「僕は小さな大投手になりたい」と宣言した2001年12月14日の入団会見を取材してからおよそ25年。引退会見を取材する日が来るとは思ってもみなかった。眼鏡にスーツ姿で「いや~楽しかったですね。すごく楽しい25年間でした」。その笑顔は当時のままだった。

 約30分の会見では「負けたくない」「負けず嫌い」というフレーズを何度も口にした。プロ初勝利を挙げた02年4月4日の広島戦(神宮)。緒方、前田、金本といった強打者の内角を強気に攻めて7回途中まで被安打4、無失点で初登板初勝利を挙げた。その時、秋田に住む母・泰子さんに電話を入れた。「あの子は小さい時から負けず嫌いでしたから」という回想とともに、幼稚園で年上の子供とけんかしても泣きながら向かっていったエピソードを披露してもらった。

プロ野球は無差別級だと思う。大きい選手に負けたくないという思いが根底にある」と語った通り、170センチに満たない体で球速も140キロ前後ながら、緩急を駆使して自分より大きいスラッガーに対峙(たいじ)した負けじ魂は幼少期から根付いていた。

 「あの1勝が一番うれしいですね」と挙げたのが188勝目。25年5月4日の阪神戦(甲子園)で21歳年下の伊原に対し、45歳の左腕は緩急を生かした投球で投げ勝った。この勝利で200勝まで12勝に迫ったが、目標達成はならなかった。それでも「200勝という大きな目標があったからこそもっと頑張ろう、試行錯誤しようという思いがあった。188勝で終わりましたけど、本当に誇りに思っています」と誇らしげに言った。

 入団会見で「僕は小さな大投手になりたい」と目標を掲げ、見事に“公約”を実行した。「小さな大投手になれたかどうかは別にして、自分がエースなんだという気持ちでマウンドに上がりました」。そんな矜持(きょうじ)でスワローズ一筋の25年間を送った。今後について「スワローズと一緒にまた何か。そういうのはご縁だとも思いますけど、野球に携われたらこんなに幸せなことはない」と具体像は明かさなかったが、監督候補に挙がるとあって指導者としてのユニホーム姿が見られるかもしれない。

「悔いはないです。本当にめちゃくちゃ楽しい25年間でした。本当に幸せでした」。涙はない。晴れやかに石川が現役生活に別れを告げた。

 【石川記録アラカルト】

 ▼24年連続勝利 25年4月9日の阪神戦(甲子園)で勝利投手となり、デビューした02年から24年連続勝利。工藤公康(西、ダ、巨、横)、山本昌(中)、三浦大輔(D)の23年を超え、プロ野球最長。ルーキーイヤーから24年連続勝利も最長。

 ▼25年連続登板 26年8月27日の巨人戦(神宮)に登板し、初登板の02年から25年連続出場。25年以上続けて出場は8人目。25年以上連続登板は29年連続の工藤公康=82~10年)、25年連続の山本昌(86~10年)、三浦大輔(92~16年)に次いで4人目。25年連続先発登板は85~09年の工藤公康に並ぶプロ野球タイ記録。

 ▼25年連続敗戦 26年8月27日の巨人戦(神宮)で敗戦投手となり、25年連続敗戦。27年連続敗戦の工藤公康(84~10年)に次いで2人目。新人から25年連続敗戦は初。

 ▼306試合連続先発登板 21年10月23日の巨人戦(東京D)で、09年4月3日の阪神戦(京セラD)から306試合連続先発登板のセ・リーグ記録を達成。山内新一(南、神)の311試合に次ぐ、プロ野球2位。

 ▼年長2位の完封 24年6月2日の楽天戦(楽天モバイル)で完封勝利(5回雨天コールド)。44歳4か月での完封勝利は10年山本昌の45歳0か月に次いで2番目の年長。

 ▼神宮最多勝利 22年6月19日の広島戦で神宮91勝目。松岡弘(ヤ)と並ぶ最多。

 ▼24年連続安打 25年8月7日の巨人戦(東京D)で安打をマーク。24年連続安打は投手では三浦大輔(93~16年)に次ぎ、2人目。新人から24年連続は投手では初。

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