次代を担う逸材たち~アマチュア野球最前線
第19回 上田西・内藤峻

 高校生は短期間で別人のように変わる。

 ひと冬越えて春を迎えると、ドラフト戦線に急浮上してくる人材が必ずいる。

今年なら上田西(長野)の内藤峻(りょう)がそうだ。

 身長180センチ、体重82キロの本格派右腕。今春に最速150キロをマークし、北信越大会にも出場した。高卒でのプロ志望を公言したことから、プロスカウトも前のめりに視察している。

 内藤が台頭したニュースを知り、どうしても本人に確かめたいことがあった。

【高校野球】球速130キロ台だった無名右腕が大変身 上田西・...の画像はこちら >>

【左ヒザ手術で不安と闘う日々】

 筆者は1年前の春、上田西の練習試合を取材している。その時に「将来有望な2年生」と噂だった内藤を見る機会があった。だが、内藤の球をひと目見ただけで、首をひねった。球速は見たところ130キロ台。球質も特筆するものはなく、はっきり言ってプロの気配は感じられなかった。

 ただし、その時点でコンディションに不安を抱えていたなら、話は変わってくる。いざ内藤に確認してみると、こんな答えが返ってきた。

「1年前の春は、ヒザが痛くなり始めていた頃でした」

 内藤は高校2年時の1年間、ヒザの故障と付き合い続けていた。

左ヒザが痛み、時には「歩くだけで痛い時もあった」という。投球時に左足をステップするたび、ヒザに痛みが走った。2年夏まではだましだまし投球を続け、9月になって手術に踏みきった。

 内藤は生まれつきヒザの半月板が大きい「円板状半月板」だった。関節内で引っかかりや摩擦が生じやすく、損傷するリスクが高い。そこで半月板を削る手術が行なわれた。

 当然ながら、この時点ではプロなど想像すらできなかった。

「もう投げられないんじゃないか?」

 そんな不安に襲われ、野球に対して後ろ向きになった時期もある。内藤は率直に「腐ってました」と明かす。

 それでもリハビリ期間は、まず上半身のトレーニングから始めた。インナーマッスルに、体幹トレーニング。成果の見えにくい、地味な鍛錬を重ねた。

ヒザのリハビリが進むと、徐々に下半身に負荷をかけるトレーニングも始めた。内藤は「体の細かいところや、バランスを意識してトレーニングしました」と振り返る。

 2月に入ると、打者を立たせてマウンドから投げられるようになった。当初は左足を踏み出すことが「めちゃくちゃ怖かった」という。だが、気候が暖かくなるにつれ、球速が上がっていくことを実感した。自己最速の150キロをマークした内藤は「自分がやってきたことは間違いではなかった」と手応えを得たという。

 内藤の長所は、力感のない腕の振りにある。全力で腕を振っていないように見えて、快速球が放たれる。それは内藤がこだわっているポイントだ。

「力感以上のボールを投げることを大事にしています。そんなに力を入れていないのに、バッターが振り遅れたり、詰まったりする反応が増えてきました。150キロが出た時も、無理やり球速を出しにいったのではなく、自然と出たのでよかったです」

【自分のフォームがない】

 7月11日、佐久運動公園野球場で行なわれた長野大会3回戦・伊那北戦で、内藤は今夏初めて先発マウンドに上がった。バックネット裏には、多くのプロスカウトが集結。

複数人体制で見守った球団もあった。

 ところが、内藤が見せたパフォーマンスは評価が難しかった。最高球速は145キロに留まり、4回を投げて被安打1、奪三振2、与四球1、失点0。相手打線を圧倒するような内容ではなかった。チームは16対2(5回コールド)と圧勝したものの、試合後の内藤の表情は冴えなかった。

「朝から体調がすぐれなくて、キャッチボールから『いつもよりボールがいかないな』と感じていました。ただ、悪いなりに0点に抑えられたのは、よかったと思います」

 じつはその6日前にあった大会初戦の2回戦(松本美須々ヶ丘戦)も状態が悪く、投球フォームを大きく修正していたという。初戦はセットポジションから始動していたのを、この日はノーワインドアップに変更。ほかにも体の使い方を大胆に変えていたと内藤は語った。

 大会期間中に投球フォームをガラッと変えるのは、勇気がいるのではないか。そう尋ねると、内藤は意外な言葉を返してきた。

「自分には自分のフォームがないので」

 内藤は基本的に喜怒哀楽をあまり出さずに受け答えするのだが、時折こちらがハッとする言葉を吐き出すことがある。

「自分のフォームがない」発言の真意を聞くと、内藤は事もなげに答えた。

「常に探りながら投げています。プロ野球選手のフォームを参考にしたり、モノマネみたいな感じですね」

 この考えはユニークながら、人によって評価は分かれるだろう。悪くとらえるなら「軸になるフォームがない」と言えるし、よくとらえれば「常に最高のフォームを探求している」とも言える。そんな感想を伝えると、内藤はうなずきながらこう応じた。

「今の自分に満足してしまったら、それ以上はないので。その時に一番いいものを追求しています」

 話せば話すほど、独自の世界観を持った投手ということが伝わってくる。プロ向きの性格なのかもしれない。

【高卒でプロを志望するわけ】

 内藤は長野県北安曇郡白馬村の出身だ。白馬村と言えば、ノルディック複合メダリストの渡部暁斗が生まれ、フリースタイルスキーの上村愛子が育った地である。内藤も幼少期からスキーに親しんでいたという。

 白馬村はウィンタースポーツに強い一方、野球のイメージはない。

そんな印象を伝えると、内藤はこう答えた。

「自分も野球で有名な人は聞いたことがありません。小学校のチームは弱かったし、中学もそんな強くなかったので」

 白馬中では軟式野球部に所属し、公式戦には連合チームで出場した。ただ、内藤は当時から「トレーニングだけ自分でやっていました」と語る。上田西の総監督を務める原公彦氏に勧誘を受け、白馬村を出る決意をした。

 ただし、その時点では「高校で野球をやめるつもりでした」と、プロを意識していなかった。上田西での生活のなかで、内藤の視野は少しずつ広がっていったのだ。

「上田西は横山さん(聖哉/オリックス)のようなプロも出ているし、自分とは意識が全然違いました。そういう環境にいるうちに、自分の意識も変わっていきました」

 大学を経由して、ドラフト上位指名を狙う選択肢もあったはずだ。それでも、なぜ高卒のプロ志望を目指すのか。そう尋ねると、内藤は淡々と答えた。

「たしかに努力次第で、大学から上位指名を目指せると思います。

でも、自分はせっかくチャンスがあるなら、行ける時に行っておいたほうがいいと考えています。大学に行って、もし腐ったりしたらもったいない。やる気の戻ってきた今のうちに、プロを目指したいです」

「やる気の戻ってきた今のうち」という言葉に、内藤らしさが滲んでいた。ヒザの痛みや野球を失う恐怖を味わった人間だからこそ、今の時間を大事にしたいのだろう。

 7月18日、上田西は準々決勝で東京都市大塩尻に1対6と敗退。リリーフ登板した内藤は5回を投げて自責点0と奮闘したものの、甲子園出場はかなわなかった。

「高校最後の夏を全力でやり切って、先のことはそれから準備します」

 そう語っていた内藤は、早くも「先のこと」に目を向けることになる。

 ドラフト会議が開催される10月まで、時間はまだある。成長し続ける右腕・内藤峻は、秋までにさらに大きく化けているかもしれない。

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