木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第26回:川勝良一評(8)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

川勝良一が語る、木村和司の本質と指導者としての才覚「戦術論が...の画像はこちら >>

第25回◆木村和司の伝説のFKに「驚きはない」と川勝良一>>

 川勝良一はヴィッセル神戸の監督時代、あるいは法政大学のコーチ時代、シーズン前のキャンプなどで、木村和司にコーチを依頼したことがある。

 常任ではなく、あくまでも臨時の指導ではあったが、木村にしかない技術を見込んでの打診だった。

「そのときの神戸は、J1でも予算が低いほうだったんで、点を取るのが大変だった。だから、(FKからの得点を増やすために)『おまえ、キッカー候補の選手たちにちょっと教えてくれよ』って」

 また、母校・法大でコーチをしていたときは、学生たちに"一流に触れさせたい"との思いもあったという。

「とにかく一流の雰囲気を味わわせたかった。だから、普通のヤツが教えに来るのは却下。やっぱり代表で長く10番つけてたヤツの言葉は響くし、FK以外のことでもいいから話を聞いたり、しゃべったりするなかで、なんでもいいから感じてほしい。学生にそういう経験をさせたかった」

 そのときも、木村は旧友の頼みを快く受け入れ、川勝いわく「安いギャラで、4、5日合宿に来てくれた」。

「やっぱ、アイツの人間性っていうか、グラウンドでもものすごく教えてくれるし、最後に飲み会をやったときは、3時か、4時くらいまで学生と飲んでたり(笑)。そういうなんか......、ものすごく有名な選手なんだけども、自分と同じようなサッカー小僧のことは好きなんで、そういう熱を持ってるヤツをかわいがってくれてた」

 川勝は、そんな木村の本質を知るからこそ、監督・木村和司が短命に終わったことを悔やむ。

 木村は現役引退から16年後の2010年、横浜F・マリノスの監督に就任したが、わずか2シーズンでその座を追われている。

「特に最近思うのは、(サッカー中継の)解説を聞いてて、みんな(戦術について)よく勉強してるけど、アナリスト的な視点の解決策ばかりに終始してる。

プレーの正しい評価やすばらしさより、戦術論が常に先行してる感じがする。もちろん、そういった面も大事だけど、結局は技術的な部分(が大事)。でも、そこはやっぱりなかなか指導できない。

 だけど、和司はそういう技術的な部分とか、そこに至るメンタルとか、駆け引きとか、感情みたいなところに訴えるときは訴える。(木村の口癖でもあった)『ちゃぶれ!』っていうのも、要は余裕がないヤツは遊べないんで。ということは、余裕イコール技術的に相当レベルが高いとか、周りをよく見てるとかっていうこと。たぶんそれを言いたかったと思う」

 広島弁で「相手をもてあそぶ」というような意味を持つ「ちゃぶる」は、横浜FMの監督時代、木村の代名詞ともなった。

 だが、「ちゃぶる」という表現は、当時の日本でのボールポゼッション重視の志向と相まって、チームとしてボールを保持し続けて相手を圧倒する。そんなイメージを抱かせた。

 つまりは、木村が求めているのは、技術的なものというより、戦術的なものであるかのような印象が、強く表に出てしまったのである。その結果、うまくいかないと、「メディア的には、『監督として(戦術的な部分が)足りない』とかってことになってしまった」と川勝は言う。

「でも、和司は経験値もあるから、アイツをちゃんとサポートできる人が周りにいたら、もっといろんなことができたと思う」

 そこでは、元スター選手という重い看板も、マイナスに働いたのかもしれない。

「選手としては絶賛されてきた木村和司が、監督で1、2回負けると、もうボロカスに言われるでしょ。オレなんかも、(監督時代の)ヴェルディや神戸でそんなのしょっちゅうだったけど(苦笑)。そんなギャップもデカすぎたのか、和司は意外と繊細でもあるし、ちょっと悩んだんじゃないかなっていうのも感じるし......」

 川勝は、木村の選手としての才能はもちろん、指導者としての才覚も同じグラウンドで間近に見てきた。だからこそ、それがわずかな時間しか発揮されず、生かしきれなかったことを、もったいなく感じてしまうのである。

「サッカー界にああいうキャラを......、もっと違う評価っていうか、違う見方をしてあげたほうが本当はいいんだと思うんですよね。せっかく(監督に)なれたんで、やっぱりマリノスも、なんかね......、もうちょっと長くやってくれてりゃあ、もっと盛り上がったかもしれないのにね」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。

1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。

ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。

浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

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