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佐藤慎太郎 インタビュー 後編

【「限界?気のせいだよ!」】

 49歳の今でもS級1班として第一線で活躍する佐藤慎太郎(福島・78期)。輝かしい実績と驚異的な肉体を誇る佐藤だが、ここまで紆余曲折の競輪人生を歩んできた。2003年から4年連続で最高峰のレース「KEIRINグランプリ」に出場したが、その後はかつてのような輝きを放つことができない時期が続いた。

 そんななかで感じたのが、競輪のすばらしさであり、それとともに芽生えたのが、再チャレンジの意欲だった。

「最初のピークの時(2003~2007年)には上位にいるのが当たり前で、取材もしてもらえたり、ファンの人から声をかけてもらったりしていましたけど、ケガをして弱くなっていくと、それがさっとなくなりました。それはやっぱり寂しいですよ。それで上位で走っていた時が楽しかったのも再確認できたし、そこにまた戻りたいという気持ちになりました」

 自他ともに認める"練習の鬼"である佐藤は「40歳の手前にもう一段階気持ちを入れ直し」、それまでの「気合と根性」を前面に出したトレーニングにプラスして、「科学的で理論的なもの」を積極的に取り入れていった。2015年のギア規制(ギヤ倍数が4.00倍未満となる)もあって大ギアブームが落ち着くと、2018年後半頃から再び成績が上向き始めた。

 そして2019年の年末、13年ぶりにKEIRINグランプリに出場すると、5度目の挑戦にしてついに優勝を手にし、競輪界の頂点に立った。その時、佐藤は43歳。2011年に優勝した山口幸二(岐阜・62期/2012年引退)の43歳5カ月に次ぐ、歴代2位となる43歳1カ月での高齢優勝記録だった。優勝インタビューでは「あきめずにやってきてよかった。泣きそうです」とこぼれそうな涙を満面の笑みで隠した。

 佐藤はそこから5年連続でKEIRINグランプリに出場。トップ9のS級S班として堂々たる走りを見せた。

自身曰く「二度目のピーク」は、2000年代の一度目のピークとは違った感覚があった。

「『俺が一番強いことを見せつけたい』という最初のピークよりは、ラクな気持ちだったかもしれないです。上位にいる時間をしっかり楽しみたいという気持ちがありました。誰もが経験できることではないですから」

 この頃から再び佐藤の人気は過熱。専門サイトでの連載コラムも始まり、SNSを通じて競輪への思いや魅力、日々の練習などを自身の言葉で積極的に発信し始めた。2021年頃から使い始めた決め台詞「限界?気のせいだよ!」も同名タイトルで自著として発行し、同フレーズのTシャツも販売すると、ファンの認知はさらに拡大。時には佐藤の姿を見つけたファンが「限界?」と叫ぶことがあり、それに対して「気のせいだよ!」と拳を振り上げて応えることもあった。

佐藤慎太郎が描く引き際の美学「弱くなる自分も見せたい」 50代の競輪人生に影響を与える伏見俊昭の死にも言及
追い込み選手としてのプライドを持って走る佐藤 photo by Manabu Takahashi

【ファンのためは嘘ではない】

 生涯獲得賞金はすでに17億円を超えるなど、お金も人気も実績もある佐藤だが、日々の努力を怠ることはなく、常に限界突破を目指しトレーニングを続けている。『限界?気のせいだよ!』は単なるキャッチーな合言葉ではなく、まさに自分自身への問いかけだ。

「『やっちゃえばできちゃうよね』という自分を逃げさせないための言葉です。例えば朝起きてすごく疲れているとします。今日は休んで明日にしようかなって思う時もあるんですが、飯を食ってコーヒーを飲んで練習場に来てしまうと、やろうと思っていたメニューができちゃうんですよ。だから『疲れているって気のせいだよ』ってことなんです」

 佐藤がトレーニングで常に限界突破を目指すのには、理由がある。

KEIRINグランプリ2019の優勝インタビューで発した「ファンのために走っているというのは嘘ではない」という言葉にも表れているように、走る原動力になっているのはファンの存在だ。

「ファンの人はよく『強いから応援しているわけじゃないんだよ』って言ってくれますし、『活躍していない時期から応援してます』という人もたくさんいます。そういうファンの人たちの声を聞くと、今目の前のことをしっかりと頑張れば、納得してもらえるんじゃないかという気持ちになります」

 また積極的な情報発信もそんなファンのためでもある。

「若いころは、苦しいトレーニングをしていることを、いちいちみんなに教えるのはかっこ悪いと思っていました。でも年をとってくると、必死に勝ちに向かって努力している姿、ハードなトレーニングをやっていることを含めて全部見せてしまったほうが、車券を買ってくれる人も納得するだろうし、ファンのみなさんも喜んでくれるのかなと思えるようになりました」

 ファンのために勝利を届けたい――。その思いが大前提としてありつつも、競輪選手としての勝ち方にはプライドもある。

「競輪には同じ勝利でもかっこ悪い勝ち方があると思っています。勝てば何をしてもいいかというとそうではないのが競輪。どんな勝ち方でもいいんだと思ってしまったら、自分勝手なレースになってしまって、その地区はどんどん弱体化してしまいます」

 競輪には同県や同地区、練習仲間などが連係して走るライン(チーム)があり、選手たちのほとんどはラインでの上位独占を狙う。ラインにはそれぞれに役割があるが、佐藤が担う追い込み選手のひとつの仕事が、別のラインがまくりに来た時にヨコに動いてスピードを遅らせたりして、先頭を走る自力選手の邪魔をさせないようにすることだ。

 それぞれが役割をこなさないと、ラインは弱体化し、勝利から遠ざかっていくため、仕事をこなせない選手は、同県、同地区での評価も下がってしまう。佐藤が若くして追い込み選手となり、先輩から厳しい言葉を浴びせられても評価され続けてきたのは、その役割・仕事を完璧なまでにこなしてきたからに他ならない。

 佐藤は、追い込み選手として一目置かれる存在になるために、ひとつひとつの結果と信頼の積み重ねを大切にしてきた。だからこそ、今、若手に伝えていることがある。

「このレースのゴールラインは次のレースのスタートラインなんだ」

 そして佐藤はこう続ける。「競輪選手でいる以上は、『これからしばらく休める』という気持ちにはならないです」。彼が日々限界突破を目指してトレーニングを積む理由は、こんなところにもあるのだ。

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確固たる競輪道を持つ佐藤。ファンから絶大な支持を得ている photo by Sunao Noto(a presto)

【弱くなりたくなかった40代】

 50歳目前になった今、佐藤は頂点を極めた40代をこう振り返る。

「一言で言えば、弱くなりたくないと思い続けた10年間だったかもしれないです。グランプリを獲る頃までは、自分が信じてきた練習しかやってこなかったんですけど、新しいものをどんどん取り入れて、43歳でグランプリを獲得できたので、そこまでは成長していくような感覚はありました。それ以降は、弱くなりたくなくて、ひたすら練習していた感じですね」

 弱くなりたくないと、日々努力を重ねてきた佐藤だが、「限界?気のせいだよ!」と言い続けてきた彼も、少しずつ心境の変化を感じ始めている。

「『俺はできる』と言っていても、俯瞰して自分を見た時に、力が落ちているのに、そんな言葉を発していたら、ただの裸の王様ですよね。今は自分がどういう状況にあるのかをしっかりと見なくちゃいけない時に来ているということです。限界を超えるまで練習をしていても成績が伴わない、脚力が上がらない、周りのレベルがそれ以上に上がっている状況では、『今この状況だよ、慎太郎君。お前もう限界でしょ』という気にさせられる時があります」

 そして今、引き際についても考えを巡らせるようになった。

それは「自分はこうしたい」という思いよりも、応援してくれるファンを意識した思いだった。

「強いまま辞めていったら、できたことができなくなった自分を見なくてすむので、たぶんラクですよね。でも、できることができなくなっていく経験もしてみたいなという気持ちもあります。それはすごく悔しいんですよ。でも、できなくなるスピードを少しでも遅らせるために日々を過ごしていくことも楽しいと思うんです。自分の美学としては、俺はファンと共に歩んでいると思っているので、弱くなって思いどおりの走りができなくなった佐藤慎太郎のことも、しっかり応援してもらいたいなと、その姿も見せてあげたいなと思っています」

佐藤慎太郎が描く引き際の美学「弱くなる自分も見せたい」 50代の競輪人生に影響を与える伏見俊昭の死にも言及
強靭なフィジカルの持ち主。佐藤はこれからも限界に挑み続ける photo by Sunao Noto(a presto)

【50代は楽しみたい】

 この引き際の美学に少なからず影響を与えたのが、7月18日のレース中の落車事故により突然訪れた伏見俊昭(福島・75期)の死だった。伏見は同じ福島県出身で、若いころはともに練習した1学年上の先輩だ。

「伏見さんはすごく節制していて、やりたいことを本当に我慢して50歳まで頑張ってきた姿を見てきました。今回の件で、自分に対して少し優しくしなきゃいけないのかなという気持ちは生まれましたね。それは自分にだけじゃなくて、周りの人にも、家族にも。競輪にしか目がいっていない自分と過ごしてきているわけですから、もっと周りに目を配ってもいいのかなという気がしますね」

 そしてこれから始まる50代についても話し始めた。

「40代は楽しみを本当に何も入れずにやってきましたから、50歳でこの舞台を走っている自分を楽しんじゃおうという感じですね。

もちろん50歳を過ぎてもGⅠで活躍する姿をファンのみなさんに見せるのは使命だと思っていますので、それを果たしつつ、少し自分のやりたいことや息抜き、楽しみを入れたいですね。今までは競輪に98パーセント向いていましたが、90パーセントくらいまで落としてもいいんじゃないかな」

 師匠・添田広福(福島・49期/2008年引退)が佐藤のデビュー戦前日に歌った曲『狼の旅立ち』(※音源未発表)の最後は、こんな歌詞で締めくくられている。

「お前も狼なら辛くても
走り続けて見るがいい
長く険しい道の果てには
輝く何かがある筈さ」

 ここまでの30年間、競輪という「長く険しい道」を歩んできた佐藤慎太郎。彼がこれからつかむ「輝く何か」とはどんなものなのだろうか。本人はもちろん、多くのファンがそれを楽しみにしているに違いない。

インタビュー前編はコチラ>>

【Profile】
佐藤慎太郎(さとう・しんたろう)
1976年11月7日生まれ、福島県出身。自転車競技の名門・学校法人石川高校で競技を始め、チームパシュート3位の実績を残す。卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、1996年8月にデビュー。1999年にS級に昇級し、2003年には全日本選抜競輪でGⅠ初優勝を果たす。2003年から4年連続でKEIRINグランプリに出場するも2008年に大ケガを負い、以降、不本意な時期を送る。2019年、13年ぶりにKEIRINグランプリに出場すると、初の栄冠を手にする。そこから5年連続でKEIRINグランプリの舞台に立ち、ファンから絶大な支持を得る。

2025年からはS級1班として奮闘中。生涯獲得賞金は17億円を超える。

text by Sportiva

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