〈プーチンのジレンマ〉「命をカネに換える国」になったロシアの社会崩壊…“黒い未亡人”に「戦傷」を偽る兵士、広がる「死の経済」
〈プーチンのジレンマ〉「命をカネに換える国」になったロシアの社会崩壊…“黒い未亡人”に「戦傷」を偽る兵士、広がる「死の経済」

ウクライナ侵攻の長期化で、ロシア社会に異様な「死の経済」が広がっている。戦地へ向かう兵士と結婚し、戦死後の補償金や遺産を狙う“黒い未亡人”。

自らや仲間の体を傷つけ、「戦傷」を装って給付金を得る兵士たち。兵士を集めるため、その命や傷に巨額のカネを積んできたプーチン政権だが、その仕組みはいま、家族や軍、地方社会を内側から蝕み始めている。戦争を続けても、止めても苦しい――プーチンが陥った深刻なジレンマを、作家の小倉健一氏が解説する。

軍に入った翌日、家族も知らない女性と結婚した兵士

セルゲイ・ハンドジコという40歳の兵士は、軍に入った翌日、家族も知らない女性と結婚した。式は20分ほどで終わり、写真撮影も指輪の交換もなかった。

女性は結婚後も元夫や子どもと暮らしていた。ハンドジコが戦地で負った傷により死亡すると、女性は多額の一時金を受け取った。裁判所は2026年、この結婚は遺産を得るためのものだったと認定し、婚姻を無効とした。

もちろん、戦争で夫を失った女性をひとくくりにして疑う話ではない。問題は、兵士の家族を守るために作られた制度が、兵士の死から利益を得る仕組みに変わったことだ。

腐敗は、結婚の話以外にも広がった

死をめぐる争いは、偽装結婚だけではない。妻、両親、内縁の相手が、誰に補償金を受け取る権利があるのかを争う。

ロシアでは2025年、内縁の相手への支給条件が厳しくなった。子どもがいることや、3年以上一緒に暮らしていたことを裁判所で証明しなければならない。

偽装を防ごうとすれば、本当に生活を共にした人まで切り捨てられる。条件を緩めれば、金目当ての結婚が入り込む。戦死者が増えすぎた結果、国家は「本物の家族」を裁判で選別するようになった。

腐敗は、結婚の話以外にも広がった。

兵士が自分や仲間の体を傷つけ、戦闘で負傷したように見せかけて給付金を受け取る事件が相次いでいる。

軍事法廷の記録を調べた独立系メディアによると、2022年以降、軍人による詐欺事件は約2600件に上った。その中には、書類の偽造、自傷、戦闘と無関係のけがを戦傷と偽る事件が含まれる。

ドネツク近郊では、大隊指揮官が部下を森へ連れ出し、自作の爆発物を爆発させたとされる。部下は傷を戦傷として申告し、600万ルーブル(約1170万円)を受け取った。金の一部は指揮官側へ流れた。国防省は、関係者30人に計1億4400万ルーブル(約2億7800万円)の返還を求めている。

兵士を守るはずの上官が、部下の肉体を金に換える。

これほど分かりやすい軍の崩壊もない。

刑務所から前線に送られた兵士がロシアに戻って事件を起こす

前線で壊れた規律は、帰還兵とともに国内へ戻ってくる。

独立系メディアと独紙の共同調査では、ウクライナから戻った兵士が関わる事件で、ロシア国内の死傷者は1000人を超えた。死者551人、重傷者465人である。死亡事件の半数以上は、刑務所から前線へ送られた元受刑者によるものだった。

さらに重いのは、700件を超す判決の約9割で、従軍歴や勲章、負傷歴が刑を軽くする理由に使われていたことである。国のために戦ったという経歴が、殺人や暴力の刑罰を薄めていく。

裁判所まで英雄物語に付き合うのだとすれば、被害者は置き去りになってしまわないのだろうか。

もちろん帰還兵全体を犯罪者と見るべきではない。多くの兵士は、戦場で傷つき、普通の生活に戻ろうとしている。だからこそ、治療や仕事、家族への支援が必要になる。ロシア政府は正確な帰還者数すら明らかにしていない。

独立系メディアは、すでに少なくとも40万人が戻ったと推計している。

ロシアの家庭が危ういのは、帰還兵の数だけが理由ではない。ロシアは2017年、重大な傷に至らない家庭内暴力の初犯を刑事罰の対象から外した。ロシアにはもともと家庭内暴力を軽く扱う制度がある。

そこへ、長い戦闘を経験し、心や体に傷を負った兵士が十分な治療もなく戻ってくる。妻や子どもに危険が及んでから警察が動くようでは遅い。

個人破産は過去最多となった

しかも、家族は声を上げにくい。夫や息子は国が「英雄」と認めた兵士である。暴力を訴えれば、祖国のために戦った人を非難したと受け取られる。裁判でも従軍歴が有利に働く。戦争の宣伝が、家庭の中で被害を受けた人を黙らせるのである。

生活苦も家庭を追い詰める。戦争景気で伸びていた実質賃金と所得は勢いを失い、個人破産は過去最多となった。

働き手は軍や軍需工場に吸い取られ、地方では人手が足りない。

物価が上がり、借金が残り、父親が前線へ行く。補償金が家計を支えるほど、家族は戦争から抜けにくくなる。戦争に反対したくても、兵士の給料や戦死時の支払いに生活を頼っているからだ。

その家庭を受け止める社会にも余力がない。

MediazonaとBBCロシア語版が氏名まで確認したロシア側の戦死者は、2026年2月に20万人を超えた。死亡の知らせは少なくとも2万6600の町や村に届き、確認された死者の3分の2は人口10万人未満の地域の出身だった。

金を積まなければ兵士が集まらない

モスクワの中心部では戦争はまだ遠く見えるが、地方では違う。仕事が少なく、賃金が低い地域ほど、軍の契約金は大きな意味を持つ。

普通に働いても手にできない金が、署名ひとつで入る。家の修理ができる。借金を返せる。子どもの学費も払える。入隊は愛国心だけで決まるのではない。

貧しさが背中を押す。

英紙が取材したコミ共和国の村では、働き盛りの男性のおよそ3分の1が入隊していた。兵士が死ねば家族に金が入る。傷を負えば本人に金が入る。だが、村から働き手が消えれば、商店も工場も公共サービスも弱る。

地域はさらに貧しくなり、次の若者が軍へ向かう。戦争が貧困を利用し、その戦争が新しい貧困を作る。

この仕組みを支えているのが、巨額の補償金である。プーチン政権は兵士を英雄としてたたえる一方、その命に値段を付けた。死ねばいくら、傷を負えばいくら、契約すればいくら。金を積まなければ兵士が集まらないからだ。

ところが、金で回す制度は必ず金をめぐる争いを生む。

偽装結婚が現れ、負傷詐欺が起き、家族同士が裁判で争う。国家自身も支払いを渋る。

養親や後見人が、育てた兵士の戦死補償を受け取れない事例もある。ワグネル戦闘員の遺族は、正規軍ではないという理由で請求を退けられた。

地域経済が悪化していると答えたロシア人が60%に

入隊させるときには祖国への奉仕を求め、死んだ後には契約や家族関係の細かな条件を持ち出す。国家が兵士と家族を裏切っている。

この制度が壊しているのは、家計だけではない。妻は金目当てではないか。兵士の傷は本物か。国は約束した金を払うのか。そんな疑いが積み重なり、家族と軍と国家の間にあった信頼まで削られていく。

社会の疲れも隠せなくなった。2026年のギャラップ調査では、地域経済が悪化していると答えたロシア人が60%に達した。軍への信頼も2022年の80%から66%へ下がった。政権内部向けとされる別の調査では、6割を超す人が戦争に疲れたと答えた。

それでもプーチンは戦争を止められない。

補償を減らせば兵士が集まらない。増やせば詐欺のうまみも増す。帰還兵を厳しく裁けば英雄神話が壊れる。従軍歴を理由に刑を軽くすれば、市民の安全が壊れる。地方への圧力を弱めれば前線が持たず、続ければ村が空になる。

プーチンが守ろうとしているのは、強いロシアという虚構である。その虚構を守るため、国民の命に値段を付け、傷に値段を付け、結婚にも値段を付けた。ウクライナをぶっ壊すために始めた戦争は、今やロシアの家庭、軍、裁判所、地方社会を内側から壊している。

ロシア社会が、崩れ始めている。

文/小倉健一  写真/shutterstock

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