北京紙の京華時報は24日、中国の国歌の「義勇軍行進曲」は日本で作曲されたと紹介する文章を掲載した。中国新聞社、中工網など多くの中国メディアが転載した。


 「義勇軍行進曲」の作曲者はニエ耳(ニエ・アル)。出身地は雲南省昆明市で、幼少のころから笛子、二胡などの中国楽器に親しみ、後にバイオリンやピアノも学んだ。18歳の時に上海に出て商店に勤め、翌年には劇団のバイオリン奏者になり、映画音楽も作曲するようになった。(「ニエ」は「品」の「口」の部分がすべて「耳」)。

 1933年に、当時は非合法だった共産党に入党。警察は、ニエ・アルを逮捕する方針を固めた。
共産党は、ニエ・アルを日本経由でソ連に逃がすことにした。

 出発直前、ニエ・アルは、制作中の抗日宣伝映画の「風雲児女」の主題歌は、「日本についたらすぐに書いて楽譜を送る」と約束したという。

 郵送されてきたのが、後に中国国歌となる「義勇軍行進曲」だった。ただしニエ・アルは1935年7月、神奈川県海岸で友人と遊泳中に行方不明になり、遺体が発見された。謀殺説も出たが、事故死との見方が一般的だ。24歳だった。


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◆解説◆
 「義勇軍行進曲」の作曲地が日本だったことは、中国ではすでに知られていたが、中国メディアは改めて紹介した。中国では過去の日本を、厳しい口調で批判・非難することが珍しくない一方、自国の近代化が、先に近代化を進めていた日本から恩恵を得たことも、普通に語られている。

 日本は西洋の音楽を東アジアでは最も早く本格的に導入。日本風のメロディと西洋の作曲技法の結合で、多くの作曲家が苦心した。山田耕作(1886-1965年)の比較的初期の作品で、日本人は西洋音楽を「完全に消化」したとされる。当時は、日本で音楽を学ぶ中国人、台湾人、韓国人も多かった。


 現在でも台湾で謳われている中華民国国歌「三民主義」を作曲した程マオヂュンは、東京音楽学院などで音楽を学んだ(在籍校の詳細は不明)。韓国国歌「愛国歌」を作曲した安益泰(アン・イクテ)は現・国立音楽大学で学んだ後、米国に留学した。安益泰は韓国の民族問題研究所が2009年に刊行した「親日人名辞典」で、日本の植民地支配に協力したと記載された。(「マオ」は左上から右上に「木」、「矛」、「木」と並べ、下に「心」。「ヂュン」は竹かんむりに「均」)(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:CNSPHOTO)


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