第24週「風を知りたい!」第144回 9月15日(土)放送より
脚本:北川悦吏子 演出:二見大輔
半分、青い。 メモリアルブック
144話はこんな話
大納言の店長田辺(嶋田久作)が扇風機の風を壁に当てると柔らかくなると言われたことを思い出し、鈴愛(永野芽郁)と律(佐藤健)は「そよ風の扇風機」に一歩近づく。
ボクテとユーコ
連ドラの楽しみのひとつに、いかに最初から見て来たことが報われるかがある。
そのため作り手はせっせと過去に出てきた人物たちを再利用していく。
「半分、青い。」もその感謝セールの時期に入って来た。
健太(小関裕太)のイースター島のお土産・モアイ像から、田辺(嶋田久作)を思い出し、そこから風を柔らかくする方法を思い出す鈴愛。
小関裕太、嶋田久作、すでにクランクアップした俳優たちを間接的にこれから起こるすてきなイベントの役に立たせる配慮になっている。
さらに、前半の功労者たち・ボクテ(志尊淳)とユーコ(清野菜名)も久しぶりに登場。
ボクテは、17年間描いてきた「女光源氏によろしく」をもう終わりにしたくて、もう一度「神様のメモ」を描きたいと鈴愛に言う。
「神様のメモ」は鈴愛のネタで、ボクテはそれがとても気に入っていた。
でも功を焦って失敗した。だからもう一度向き合いたい。
「生きてる限りやり直せるんだ」というメッセージがここで語られる。
ユーコは、夫の故郷・宮城で看護師として働いているが、生と死がダイレクトに存在する病院の生活に飲み込まれそうになり、鈴愛の「生」のパワーをもらおうとする。「私をつなぎとめてよ 生の世界に 生きる世界に」と。
142話で「ガンってそんなもんなんで」と医者がドライに言う場面があって、それが大病を経て来た作家の死生観らしいが、それだけだと傷つく人もいるかもしれないという配慮なのか、ユーコが病院側は病院側で常に死と向き合っていて苦しんでいるというようなこと)を代弁してバランスをとろうということだろうか。
死というものには人ぞれぞれの受け止め方があって、こういうふうに対処したらいいというデフォルトなんてない。
それだけ難しいものなので、突如として医療ドラマの登場人物が言いそうな台詞を組み込んできたことに驚いた。それも作家の死生観ゆえと解釈すればいいのだろうか。死生観という言葉で批判を回避しようとしているような気がしてしまう。
いいまとめだった
そよかぜの扇風機の研究に余念がない律。
鈴愛から聞いた壁に当てると風が柔らかくなる事象は、扇風機の宿命である渦が崩れることと気づく。
これは扇風機制作のみならず、扇風機を通して描く、鈴愛と律の生き方に通じているのではないか。
鈴愛と律は、ぐるぐるするもの(渦)に縁があった。
永久機関、ゾートロープ、ぐるぐる定規、拷問器械、かたつむり、扇風機の羽・・・。なんといってもふたりは別れては再会しを繰り返して来た。
その人生のぐるぐると先の見えない感じを、あえて壁にぶつかることで解消するという荒業。
ぐるぐるとまわっているだけのような張り合いのない人生が変わる瞬間を、いま、鈴愛と律は迎えている。
143話は「半分、青い。」の言葉の意味を再認識した回で、最終回かと思ったとレビューで書いたが、
144話、24週の土曜日、ふたりの渦という業が壁によって解消されそうだということで、十分なカタルシス。
これで終わっていいと思うのだが、いかがであろうか。
おつかれさまでした、「半分、青い。」。
・・・うそです。まだ2週間あります。
(木俣冬)