9月7日~11日にかけて東日本を襲った豪雨は、気象庁によって「平成27年9月関東・東北豪雨」と名付けられた。最も被害を受けた茨城県常総市では、鬼怒川の堤防が決壊し、全壊50棟、半壊3,700棟余りという惨事に発展。

市内全域にまで広がった大規模な浸水は、農業にも大打撃を与えた。

「激甚災害」に指定されたこの洪水から40日を経て、マスコミの報道は収束に向かっている。しかし、災害の現場を訪れると、復旧すらもままならない現状が見えてきた。

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 常磐道を使えば、常総市の最寄りとなる谷和原ICまでは、都心からおよそ1時間。そこから30分も国道294号線を走ると、今回の水害被災地にたどり着く。テレビなどで報道に触れていると、遠いところで起こった災害のように感じるが、実際に足を運べば、その近さに驚かざるを得ない。


 今回の水害では、2カ所から水があふれ出た。そのひとつである常総市若宮戸地区では、メガソーラー発電業者が、自然堤防としての役割を担う丘陵部を削っていたことが判明し、国土交通省も工事が氾濫に与えた影響を否定できないとしている。

 若宮戸地区を訪れると、ところどころに傾いた家屋や1階部分が使用されていない家屋が点在していた。周囲の田んぼは、水害によって稲がなぎ倒されていたり、流された食器や日用品などが散乱したままの状態で、水害のすさまじさを物語っている。くだんのメガソーラー発電所付近では、堤防づくりの工事が進められていた。

 発電所から2kmほど離れた場所に住む住民に話を聞いたところ、この存在は地元でもほとんど知られていなかったようだ。


「こんな場所にメガソーラーの発電所が造られていて、しかも堤防を削っていたなんて、私らも知らなかった。いつの間にかできていたんだよ。堤防が削られて、水が来たら危ないのはわかっていたはずなのに……」

 取材に訪れたのは日曜日だったため、被災した家の中ではボランティアの人々が懸命に作業に取り組んでいた。常総市では、災害発生直後からボランティアセンターを設置しており、ピークとなったシルバーウィーク時には1日で3,000人以上のボランティアが集まった。しかし、被災地に集うのはボランティアや取材関係者ばかりでもないようだ……。

 取材を行っていると、突如「君が代」が大音量で流れてきた。
その方向を見ると、日の丸を掲げ、「国賊を許すな」という文字を大書した右翼団体の街宣車が活動を行っていたのだ! 被災者への見舞いの言葉とともに「東日本大震災の教訓が生かされていない」「(後手に回った常総市の災害対応について)謝罪すらないのは、とんでもないこと」と、強く非難する演説を行っていた右翼団体。被災地の風景に似つかわしくない黒い街宣車は、ゆったりとしたスピードで農道を進んでいった。

 若宮戸地区からおよそ4キロ下流に下った三坂町地区は、最も甚大な被害を受けた地域。堤防が決壊し、家が流される様子や人々が救助される様子はリアルタイムで中継され、今回の水害を象徴する地区となった。この地区の中心部を走る県道357号線は、水害によって崩落し、現在でも通行止めが続いている。

 災害前の様子をグーグルマップで確認すると、県道沿いには数十軒の家屋が立ち並び、その裏手には田畑が広がっていた。
しかし現在、そんな過去の面影はほとんど残されておらず、田畑だった部分には土砂が流入し、まるで砂丘のような光景が広がっている。横転した車や家屋、屋根だけが残された姿、レコード、パソコンなどの生活用品が散らばったその光景は、シュールレアリスム絵画の巨匠・ダリの作品を想起させるが、もちろんこれは画家の想像ではなく、現実の風景である。

 水害から2週間ほどで、堤防の応急復旧工事が終了した。しかし、水害によって被害を受けた街の様子には、ほとんど変化がないように見える。ほぼ無傷のままに残ったことから有名になった「ヘーベルハウス」や、男性がしがみつきながら救助を待った電柱、傾いた家々も、ほぼそのままの姿をとどめていた。いまだ、復興はおろか、復旧すらもままならない状況だ。
「元通りになるまで、3年はかかるのではないか」と、農業関係者はつぶやいた。

 さらに取材を進めると、今回の水害について「人災」という声も聞こえてくる。ある住民は、このように推測する。

「堤防が決壊した場所では、河川敷の土を採取する工事を行っていて、土手にダンプが走るための道が通されていたんです。この工事や、工事車両の通過が、今引き金になったのではないか……」

 これが本当に原因となったのかは定かではないが、災害前に撮影された写真には、確かに決壊した土手部分をダンプカーが走っている様子が記録されている。現在、国土交通省関東地方整備局では調査委員会を発足させ、原因の究明を行っている最中。
果たして専門家たちがどのような判断を下すのか、結果を待ちたい。

 災害から40日が経過し、世間の関心は徐々に離れつつある。しかし、100年に一度といわれる水害からの復旧は困難を極め、10月19日現在、300人ほどが避難所生活を余儀なくされている。激甚災害に指定された水害からの復興は、数年単位の時間を必要とするだろう。
(取材・文=編集部)