「40年以上行列がとぎれない吉祥寺「小ざさ」の物語 【前編】」より。

書籍『1坪の奇跡』は、吉祥寺の和菓子店「小ざさ」社長・稲垣篤子さん、78歳にして初めての著著。
「小ざさ」への「羊羹」と「もなか」へのこだわり、創業者の父親から受け継いだものづくりの修業の日々、「小ざさ」とともに歩んできた道、工場で働く人たち、そして「小ざさ」への想いが綴られている。

本書では、「『小ざさ』ってそうだったのか!」「こんな取り組みをやっていたのか」と驚かされることが多い。

びっくりしたのが、羊羹を手に入れるのに「家族も従業員も列に並ぶ」ということ。「1本くらい」となってしまいそうなのに、「お客様を裏切ることにつながる」と、社長の旦那さんでさえも同じ条件で並んでもらうのだという。

本書によると、もともと、創業者である父親の伊神(いかみ)照男さんは1931年から「ナルミ屋」という菓子店を営んでおり、お客さんもついて評判のお店だったという。戦時中にお店をたたみ、戦後の1951年に「小ざさ」を創業。
組立式の屋台でのスタートだった。畳一畳分のスペースしかない屋台で、稲垣さんは朝8時から夜8時まで365日休みなく店頭に立って懸命に働いたという。「小ざさ」が現在の場所で開店したのは1954年から。

ここですごいと思ったのが、「小ざさ」の開業にあたり、「ナルミ屋」の屋号を使わなかったこと。自分だったら知名度を利用して……なんて考えてしまいそうだけど、父親の「品質でお客様にきていただくようにしなければならない。だから、昔の名前は使ってはいけない」という言葉が心に響いた。
ここから「羊羹」と「もなか」のみを売るようになったのだという。

その後、稲垣さんが父親の後を継いでものづくりの世界に入ることとなる。ただ、父親から引き継いだとはいえ、「具体的な言葉では何ひとつ教えてくれなかった」ということで、試行錯誤を繰り返し、「小ざさ」の味を求めていく様子が描かれている。

本書には、父親、祖母や、稲垣さんご本人による胸にせまる言葉が随所にちりばめられている。
「どんなに苦しく辛い状況でも、ひとつでも何か好きなことをやっていれば、がんばって生きていくことができる」
「一家を背負え」「背負えば背負うほど力が出てくるから背負え」
「少しずつ少しずつ前に出ていけば、いつか一番いいところに行ける。だから、急がなくていい。
ただ、前に出ることだけは忘れずに」

ダイヤモンド社・編集担当の寺田庸ニさん(@yoji_terada)に、本書の中でも特に印象に残った箇所をうかがったところ、
「稲垣さんのお母様がお父様が亡くなったときにかけた言葉『ご苦労さまでした』。原稿を最初に読ませていただいたときに、涙をこらえるのができなかった」という。

「小ざさ」では、20年前から障がいのある人を雇用していて、今の全従業員30人の中で3人が知的障がいのある人なのだということにも驚いた。
もなかの包装紙は、廉価の合成樹脂を使用したものではなく、木材からできているセロファン紙を使い続けていること。8年前から遠方の人のためにネット通販を行っていたり、若い人向けに箱入りではなくドーナツ屋さんのキャリー型の入れ物を考案したり、と時代を見越した対応をしているのも見逃せない。

ところで、本書『1坪の奇跡』の“奇跡”は、稲垣さんのお話にとどまらなかった。
本のカバーデザインを手がけている石間淳(きよし)さんが、過去に「小ざさ」でアルバイトをしていた! という“奇跡”。写真撮影当日に、行列の中に、稲垣さんのご家族の方がたまたま並んでいて、写真に写っていた! という“奇跡”。できあがった写真を稲垣さんに見てもらった時に、身内の方だというのが判明したという。
「本当に並んでいた!」

今なお現役で輝いている稲垣篤子さんが書きつらねた「小ざさ」の物語、是非手にとっていただいたい1冊です。
(dskiwt)