ネット編集者、中川淳一郎は夢を抱かない。

2009年に出版した『ネットはバカと暇人のもの』がベストセラーになり、以降その過激な言動でネットを中心に耳目を引き続けてきた中川淳一郎の新刊のタイトルはまたまた刺激的だ。


『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』(星海社新書)

攻撃的なタイトルは彼のパブリックイメージを体現しているが、“良識派”が顰蹙するその過激さとは裏腹に、本書は真摯で誠実な仕事論である。

「夢」だなんだと言っても結局は「カネ」と「名声」に行き着く、冒頭から中川は毒づく。しかも夢を叶えられるのは、ごくごく少数の特別な才能のある人だけで、下手に夢を追い求めた人は悲惨であるといい、絵空事の夢を捨て現実的に達成したい目標を持つことこそが大切だと説く。

実際の仕事の現場は、夢とはかけ離れた卑近で矮小な行動原理に基づいていると続ける。仕事の本質とは「生活のため」と「人から怒られないように」するためにあるというのだ。

「怒られないように」の下りは一見露悪的で悪ふざけのすぎる中川節にすぎないように聞こえる。
しかし、彼自身が博報堂勤務時代に日本や世界有数の企業を相手に経験したエピソードを読み進めていくと、存外正鵠を射ているのではないかと思えてくる。

世界的な外資系企業の担当者からの無理難題を断ろうとすると、「困ります!(やらないと上司が)怒るんです!」と絶叫されたり、日本有数の企業の部長が大きなプレゼンの時にボタンを押し間違えるという単純ミスを犯すと、部長に恥をかかせてはいけないと忖度した課長が博報堂のせいにし、大げさにも経緯説明書と謝罪を要求したといった具合だ。

エピソード自体は面白おかしく書かれているにも関わらず、少しでも会社員として生活をしたことのある人ならば、決して無邪気に笑うことはできない。あまりにも身につまされてしまうのだ。

夢を捨てろ、仕事は怒られたくないからする、才能よりも良好な人間関係を築けることや確実性・信頼感の方が大切だ――毒気を含ませた軽妙な文章とは裏腹に、その主張はあまりにも実践的でにべもない。文字通り夢がないのだ。
中川のこの諦念に満ちた態度はどこからくるのだろうか。

「人からどう見られても構わないんですよ。世間との関わりを早く捨てたいんです」
中川はインタビューに厭世的に答える。

「2009年(に『インターネットはバカと暇人のもの』がヒットして)以来、インターネットを通じて知らない人といろいろと付き合ってきましたが、なんてキタナイ人が多いだろうと思うんですよ。炎上させて人を貶めることばかり考えている人とか。そういうのが嫌でしょうがないんです」

ネット炎上に関する卓越した知見を持ち、自らもサイバー空間の火薬庫の役割を担っていた中川は2012年を境にそのロールからピークアウトしていこうと決意する。


中川は期待しなくなったのだ。人に期待しなくなった。自分に期待しなくなった。どうでもよくなったのだ。他者との関わりに無関心なのだと言い切る。

持っているのは夢ではなく、本書にも書かれているような現実的な目標だけだという。
リタイアの日が一日でも早く訪れるように経済的な目標を定め、そこに向かって年に二日しか休日を取らず、粛々とプロの仕事を積み重ねていく。

ネット編集者、中川淳一郎は夢を抱かない。
しかしそれは決して絶望を意味しない。

その証拠に終章で語られるのは、仕事で知り合った人たちを通じて経験した心温まるエピソードばかりだ。

初めての出張がたまたま誕生日と重なっていたことを知った上司が、打ち上げ会場で取引先を巻き込んで祝ってくれた話や、フリーになりたてで経済的に厳しかった頃、かつての仕事仲間から強引に奢られ、そのありがたさに却って惨めになり取り乱した話などは、仕事を通じて知り合った人間関係への甘美な賛歌だ。

そこに「夢」はないかも知れない。
しかし間違いなく「希望」はある。

「人間に絶望しているとは言っていますが、(リアルで)会ったことのある人との関係には絶望していなく、むしろ彼らを愛おしく思えてきちゃうんです」

仕事ではさまざまな人と会う。その出会いの中で仕事が生まれ、その仕事によって生活をすることができるようになる。人間に対する希望は仕事に対する希望であり、人生に対する希望でもある。

「人生にあまり絶望しないで欲しいんです」
中川は就活中の学生や若いビジネスパーソンに向けて語りかける。

「人間って、人生ってそんなに悪いもんじゃないぞって思って欲しいんです。
どこかにいい人はいますから」

本書の最後の一文まで辿り着けば、必ず得心することになる。
『夢、死ね!』は人間礼賛のロマンティックな仕事論であると。(文中敬称略)
(鶴賀太郎)