コピーをとるときなど、日常的に目にするA4、B5などの用紙のサイズ。でも、なぜ紙にはA判とB判の2つのサイズ規格があるんでしょう? 実はこのA判B判の成り立ちには、現在の大河ドラマにも出てくる歴史上の有名人が深く関わっていたのです。


B判は日本独自のサイズ


コピー用紙のサイズはなぜA判とB判があるのか

そもそも、A判とB判の2つの規格が日本で誕生したのは1929年(昭和4年)。JIS(日本工業規格)の前身であるJESによって制定されたもので、ドイツの工業規格であるA判を日本工業規格に導入したのが始まり。A判は国際標準で各国で使われています。そのときにもう一つ制定されたのがB判。当時、日本で流通している書籍や紙製品を調査したところ、大きく分けて2つのサイズがあることがわかりました。1つは明治初期にアメリカから輸入された紙に由来するサイズで、A判にほぼあてはまる大きさ。
残るもう1つは美濃和紙という日本で古くから使われている紙のサイズ。これがB判と定められたのです。もちろん日本独自のサイズです。

なぜ美濃和紙が日本で広く流通していたのでしょう? 実は美濃和紙は、江戸時代に幕府の御用紙として使われており、日本で広く知られている存在だったのです。さらに深くつっこんで、美濃和紙が江戸幕府の御用紙となったきっかけはと言うと、ルーツは関ヶ原の戦いにありました。

岐阜県美濃市にある美濃和紙の里会館によると、「関ヶ原の合戦の際に、徳川家康が采配を美濃和紙の職人に作らせました。
その采配で戦いに勝利したため、縁起のいい紙ということで、美濃和紙は江戸幕府御用となったんです」。
采配とは軍勢の指揮をとる際に手に持って使う道具のことで、乱暴に言うと棒の先に厚紙で作ったはたきみたいなものがついている形状です。采配が直接勝利を呼び込んだわけではないでしょうが、さしずめ美濃和紙は戦いに勝つ紙、勝ち紙といったところで、徳川家から喜ばれたのではないでしょうか。大河ドラマ「真田丸」でも、関ヶ原の戦いは必ず描かれるはず。そこで家康が持っている采配にも注目するといいかもしれません。

話を戻すと、日本では公文書はずっとB4またはB5が使われてきましたが、1990年代に世界規格に合わせてA3やA4に変更されていきました。
学校で使うノートはB5が主流なのに、テスト用紙やプリント用紙はA4が多いのは、このあたりの名残があるようです。

ちなみに、紙のサイズにはCもあります! 厳密には封筒のサイズの規格のことでA判の一回り大きいサイズとなっており、例えばC4ならA4用紙が折らずに入るサイズになっています。ABCは恋だけじゃなく紙にも存在したことに勝手に感動しています!
(金山靖)