「オーマイゴッド! 私ったら何を考えていたのかな? ハードコートに戻してー!……っていう感じ」

 恥じらいの笑みをこぼしつつ、彼女がそう言ったのは、4年前の2016年。欧州のレッドクレーコート(赤土)で、初めてプレーした時のことだった。



大坂なおみ、恥じらいを感じた初クレー。苦手だからこそ見える成...の画像はこちら >>

初めて全仏のクレーコートを経験した当時18歳の大坂なおみ

 テニスのコートには複数の種類があり、最も普及しているのはハードコート。ただ、4大大会のひとつである全仏オープンは、砕いたレンガを表面に敷きつめた赤土のそれで行なわれ、全仏前の約1カ月間は、欧州の複数都市でレッドクレーの大会が開催される。

 クレーコートの特性は、バウンド後にボールが上方に弾み、球速も削がれるため、ラリーが長く続きやすい。また、表面は均一ではなく、ボールのイレギュラーが多いので、忍耐力と適応力が求められるコートだと言える。

 足もとが不安定で滑るため、クレーコートに適したフットワークや、走りながらもバランスを崩さぬフィジカルの強さも不可欠だ。それら、ユニークで時に残酷な顔を持つ赤土のコートは、主にハードコートで育ってきた北米やアジアの選手たちの前に「鬼門」として立ちはだかることも珍しくない。



 大坂なおみにとっても欧州の赤土のコートは、18歳になるまで足を踏み入れたことのない未知の戦場だった。

 もし彼女が10代半ばからジュニアサーキットを転戦していれば、全仏オープンジュニアなどに出場し、もっと早い段階で赤土に立っていた可能性もあっただろう。ジュニアのプロセスを踏まず、14歳からプロとして戦ってきたがために赤土デビューがWTAツアー大会、というあたりに彼女のスケール感が投影されもする。

 いずれにしても、大坂のレッドクレー初経験は4年前の今頃であり、18歳の彼女は自信を胸に褐色のコートへと向かっていった。

 たしかにレッドクレーの経験こそないが、彼女が育ったフロリダには”グリーンクレー”と呼ばれるコートがあり、そこでは幾度もプレーしている。だから彼女は「私、レッドクレーも得意だと思うの」と、渡欧前には不敵な笑顔すら見せていた。



 その2カ月後——。彼女は気恥ずかしさのにじむ笑みとともに、冒頭の言葉をこぼす。


「グリーンクレーとレッドクレーは、まったくの別物。球足は遅いし、イレギュラーは多いし……」

 それは単に慣れの問題だけではなく、パワーを利して短くポイントを終えるのを得手とし、代わりにフットワークにやや難があった当時の彼女には、相性の悪いコートでもあった。

 希望的観測も含めた予想と現実はけっこう違うぞ……。おそらく彼女はそんな教訓を赤土から持ち帰り、取り組むべき課題をリアルな手触りとともに見出したはずだ。



 それからわずか3年後の昨年、大坂はふたつのグランドスラムタイトルを獲得した世界1位として、赤土のコートに立っていた。

 全仏オープンを迎えた時点で、3つのクレー大会を戦い、結果はベスト4が一度に、ベスト8進出が二度。キャリアで最も多くの勝利を得たクレーコートシーズンであり、本人も自分の成長を感じながらの戦いでもあった。

「スライディングの上達」と「イレギュラーを受け入れる我慢強さ」、そして「徹底したフィジカルトレーニング」を積んできたことも、自信と好成績の背景にあると明言する。


「グランドスラムに、第1シードとして挑みたい」と語気を強める彼女は、自身に多くを期待し、全仏オープンに挑んでいた。

 大坂が目指していた高みの正体を多くの人が知るのは、彼女が全仏の3回戦で敗れた時である。



「”年間グランドスラム”を達成したいと、あまりに強く思い詰めてしまっていた。年間グランドスラムは私がずっとずっと、夢見てきたことだから……」

 年間グランドスラムとは、全豪オープン、全仏オープン、ウインブルドン、そして全米オープンの4大大会すべてを1シーズンで制覇すること。女子では過去に3名、プロの参戦が認められた1968年のオープン化以降に限れば、わずか2選手しか達成していない大偉業である。

 そのテニス界最大の栄誉に、1月の全豪オープンを制し挑戦権を持つ大坂は、無垢なまでの志(こころざし)で挑んでいた。

 だが、世界1位として全仏の会場に足を運んだ彼女には、これまで遭遇したことのない包囲網が張られていたという。選手からの警戒心、メディアやファンからの注視、そして自分で自分に与える重圧……。



「ストレスのせいで、ずっと頭痛に悩まされていた」と敗戦後に打ち明けた彼女は、4年前を彷彿させる純粋さで、こうも言った。

「今回負けたことで、年間グランドスラムがいかに難しいかを知った。簡単にできることなら、もっとたくさんの人が達成しているはずだから」……と。

 自分を信じて、まずは挑戦し、そこで得た教訓をヤードスティックとして夢への距離を測り、具体性を増した課題を持ち帰り、克服に取り組む——。

 そんな彼女の前進のプロセスが、初めて赤土に挑んだ18歳の時と重なった。

 苦手意識を抱くクレーコートは、ゆえに、大坂の成長の足跡が最も深く刻印される場所でもある。