2011年当時は東北福祉大の2年生。地震発生時はオーストラリア合宿で日本を離れていた。前年の「アジアパシフィックアマチュア選手権」優勝で出場権を得た「マスターズ」への初挑戦を目前に、合宿から帰国した後は大学構内での避難所生活も経験。そんな中、約1カ月後に迎えたマスターズでは、ローアマのシルバーカップを手に、堂々のスピーチを披露することになる。
最終日、トータル3アンダー・18位タイからスタートした松山はスコアを2つ落としながらもトータル1アンダー・27位タイでホールアウト。
プロ転向を果たした13年には、復興支援のための“基金”を設立。10月の「ザ・プレジデンツカップ」から、松山が奪った1バーディにつき1万円、1イーグルにつき2万円を東北の復興支援金として寄付することを宣言し、米国を主戦場に置いても故郷への気持ちを忘れずに戦う決意を形にした。
昨年の3月の「ザ・プレーヤーズ選手権」でも、その思いが結果として表れた。初日に「63」のコースレコードをマークして堂々の首位発進。
開幕前日の11日、東日本大震災の発生から9年を思い、「あのときに見た光景はすごかったし、今でも復興していないところもある。試合で頑張って、応援してくれている人が元気になれば一番いいと思う」と語った松山。自身の活躍で被災地へ勇気を届けるとともに、東北への思いは松山にとっても背中を押されるものなのかもしれない。3.11から10年がたとうとしている今年、一層の活躍に期待せずにはいられない。