◆生き物すべてにあるに違いない哲学教室
二十一話からなる動物哲学物語。ツキノワグマ、ニホンザル、ニホンジカ、コウモリ、ザトウクジラ、モグラ、アホウドリ、ナマケモノ、アルマジロ、オオアリクイ、カピバラ、イグアナ、コウテイペンギン、ガビチョウなど主人(動物)公は多彩だ。
タイトルになっているリスの話を見よう。リスのQ青年は、雑木林で一つ一つのどんぐりが落ちる場所は不確かなのに、総体ではクヌギの木を囲む円の中に落ちる確かさがあることに気づく。またクヌギの芽は自分がどんぐりを埋めたところだけに出てくるという植物と動物の関係にも気づき、「根源的な力によってつくられた法則」があることに驚くのだ。僕が「ここに在る」のもその確かさの結果である。そう考えながらも、今Q青年にとって大事なのは、恋するリスに逢(あ)うことなのだ。それにはクヌギ林を抜けて野原を突っ切らなければならない。
SDGsの影響もあって、近年生物多様性への関心は高まっており、森林破壊で絶滅に追いやられる種、外来種の持ち込みによる地域の自然生態系の破壊など多くの問題が指摘されている。しかし、多様性という言葉で考えているだけでは、問題の本質は見えてこない。生きものそれぞれに目を向け、更には一つ一つの個体が懸命に生きていることを知ることで初めて、多様な種の一つである人間の生き方が見えてくるのだと思う。実はQ青年はタイワンリスであり、農作物に害を及ぼすことから二〇〇五年に特定外来生物として害獣指定されている。
もう一つ、「キツネのお姉さん」を紹介しよう。キツネは前年生まれのメスが子育てを手伝うという習性がある。野鳥のヒナなどを捕って幼い弟妹たちに食べさせることを喜びとしているお姉さんの心配は、額に小さな黒点があるのでそのまま「黒点」と呼ぶ弟が弱虫で、兄弟たちの食べる輪に入れないことだ。夜は抱いて眠るようになり、お姉さんの柔らかな毛に顔をうずめた黒点が出すかすかな声に応えるのだった。こうして二つの命が響き合い、「間柄」が生まれた。
動物たちについての深い知識と愛情とがないまぜになった、柔らかで美しくユーモアのある文からは、彼らの声がそのまま聞こえてくる。隣で読んでいる長女の「なぜどのお話もこんなに哀(かな)しいのかしら」というつぶやきに、「生きてるからじゃない」と答えながら、著者にお礼を言っていた。常に真剣に考え、時に悩みながら誠実に生きている動物の声を、ヒトという仲間としてていねいに聞きとって下さってありがとうございますと。
二十一話(あとがきに代えて)でガビチョウが、「みんな森を持っているんだ。そこには形のない木の実が落ちている。
随所にスピノザ、老子、般若心経、和辻哲郎などの名前が見えるので分かるように、哲学書から学ぶことの重要さは本書でも示されてはいる。けれど、今大事なのは、一つの動物として森を思い出し、自分の木の実を探し出すことだろう。動物仲間と話し合うことで、生きものから外れてしまった歩みを元に戻したら、生きやすい日常が見えてくるはずだ。実は、植物や昆虫や魚……いやバクテリアだって哲学物語を持っているに違いなく、それも聞いてみたくなった。イグアナが言う。「わしらはわしらを超えていくことで、本当のわしらになるのじゃよ」と。
【書き手】
中村 桂子
1936年東京生れ。JT生命誌研究館館長。生命誌という新しい知を提唱。東京大学理学部、同大学院生物化学博士課程修了。
【初出メディア】
毎日新聞 2024年2月3日
【書誌情報】
動物哲学物語 確かなリスの不確かさ著者:ドリアン 助川
出版社:集英社インターナショナル
装丁:単行本(304ページ)
発売日:2023-10-26
ISBN-10:4797674377
ISBN-13:978-4797674378