今の会社には不満があるけれど、退職金をもらうまでは我慢しよう……。そんなふうに、老後の安心のために現在のキャリアややりがいを犠牲にしているビジネスパーソンは少なくありません。


しかし、グロービス経営大学院教授の森暁郎氏は、著書『世の中のことも自分のこともみるみるわかる お金の「選択」 人生の節目に役立つファイナンス超入門』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中で、「退職金はファイナンス的に損である」と断言します。

一見すると社員思いの優しい「退職金制度」に隠された“冷たいカラクリ”と、後悔しないキャリアの選択について、同書より一部抜粋・編集して紹介します。

■退職金はあてにしない方がいいの?
皆さんの老後の生活に大きく影響するものの1つが、退職金です。

定年が近い人や、今の会社で最後まで勤め上げようという人ほど関心を持っていますが、 転職を前提にキャリアを築こうとする若い世代では、意識が薄い人も多いかもしれません。

退職金とは、会社を退職するときに支給される一時金のこと。目的は主に、①長期勤続への報奨・感謝、②老後生活の支援です。

日系企業は生涯報酬の中で退職金の比重が高く、欧米のグローバル企業に比べて「退職金ありき」で給与水準を設計しているケースが多いのが特徴です。

長期雇用を前提とした年功序列制度と相性がよく、勤続年数が長いほど報奨が大きくなる仕組みです。

■退職金は「報酬の後払い」であり、ファイナンス的には損
では、私たちはこの退職金をどう考え、どう向き合うべきでしょうか。

この退職金制度は、実は冷たく、そして危うい構造をはらんでいると、私は思っています。

「現在価値」の理論でいえば、「現役時代の報酬を抑えて、退職時にまとめて報いる」という仕組みは、リターンを将来に後回しにする構造です。

ファイナンスの原則に照らせば、それは損です。


老後2000万円問題の例でいえば、30年後の2000万円は現在価値に直すと約465万円にしかなりません。

つまり将来の退職金は、見かけほど価値が大きくないのです。

■大谷翔平の契約に見る「目的最適」と「時間的損得」
話は少し飛びますが、大谷翔平がドジャースと結んだ契約をご存じでしょうか?

詳細は非公開ですが、契約総額の97%が契約終了後に分割して支払われるという、極めて異例の「後払い型」です。これはチームの補強資金を確保し、自らの年俸を意図的に抑えるという選択でした。

「お金は先にもらうほうが価値が高い」というファイナンス理論的にも明らかに損です。

それでも彼は「チームの強化や勝利を最優先したい」という目的のために、その契約を受け入れたのです。

私のアメリカ人のビジネススクール時代の同級生に、犬に「ドジャー」と名づけるほどの熱狂的なドジャースファンがいます。

彼はヘッジファンド勤務で金融のプロでもあり、出張で来日するたびに食事もしていますが、こう語っていました。

「大谷はファイナンスの損得を超えた存在だ。いわば“the greatest asset in the world”、この地球上でもっとも偉大な資産、宝物だ」

■「退職金を待つ人生」は、機会費用を失っている
さて、話を私たちに戻しましょう。

退職金は、表面的には安心感を与えてくれます。

しかし、現役時代の給与を抑えて後払いにする仕組みである以上、「成長の機会を後ろ倒しにする」リスクがあります。


退職金に依存するか否かは、大切な人生を主体的に生きるか、受動的に生きるかの反映でもあります。

また、退職金を目的に1社に居続けることで、失っているものはないでしょうか。

ここで思い出してほしいのは、「機会費用」の考え方です。

もし今の仕事が心から好きで、成長を感じられているなら、それは素晴らしいことです。

けれど、もしチャレンジしたいことを我慢し、「退職金のために耐える」毎日を過ごしているなら、その代償は目に見えない形で積み上がっていきます。

成長の機会を逃し、キャリアの選択肢を狭め、人生の時間を切り売りしている。

その損失は、退職金では取り戻せません。

■退職金は優しい制度に見えて、実は冷たい構造
終身雇用、年功序列、長年の功績に報いる退職金制度……一見すると温かい仕組みです。

しかし、日系企業とグローバル企業の両方で働いてきた私自身の実感として、この制度は決して優しいものとは思えません。

「安定を与える代わりに、成長と自由を後回しにする」──それが、退職金制度の本質だからです。

一方、グローバル企業では、組織再編やリストラが日常的に起こります。厳しいようでいて、そのたびに「自分のキャリアをどう描くか」を真剣に考える機会が与えられます。


若いうちからそんな環境に置かれることで、自分の人生と真剣に向き合う習慣がつきます。

■あなたはどの道を選びますか?
若いうちから厳しい局面に晒されながら、自分の人生を主体的に切り拓くのか。

それとも、安定と退職金を確保しながら、後半でようやくキャリアを考え始めるのか。

あるいは、その両方の良いところを取る道を模索するのか。

どうしますか? 決断はあなた次第です。

大切なのは、「退職金」をあてにするのではなく、自分で主体的に未来を設計すること。

退職金を起点に、老後への不安を上手にコントロールするアグレッシブな生き方について、ぜひ真剣に考えてみてください。この書籍の執筆者:森 暁郎 プロフィール
グロービス経営大学院 教授。慶應義塾大学経済学部卒業、コロンビアビジネススクール修了(MBA) 三和銀行(現三菱UFJ銀行)入社。国内及びニューヨーク支店にて、シンジケートローン等の営業及び審査業務に従事。MBA取得後、General Electricに入社し、大型のM&A案件等を担当。その後、ベネッセにて新規事業開発や海外M&Aを統括。
現在はグロービスにて会計・ファイナンス領域の責任者を務める。取締役として投資先の経営にも参画。
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