危機が発生すると、必ずデマゴーグが出現する。今回、新型コロナウイルスのパンデミックがあぶり出したのは、無責任な極論、似非科学、陰謀論を声高に叫び出す連中の正体だった。

彼らの発言は二転三転してきたが、社会に与えた害は大きい。実際、人の命がかかわっているのだ。追及すべきは、わが国の知的土壌の脆弱性である。専門家の中でも意見が分かれる中、われわれはどのように思考すればいいのだろうか。中野剛志×佐藤健志×適菜収が緊急鼎談を行い、記事を配信したのは2020年8月7日。ちょうど一年後の2021年8月10日に発売される中野剛志×適菜収著『思想の免疫力』(KKベストセラーズ)を記念して再配信。
(第3回)



西浦批判の繰り返しこそ「全体主義への大衆煽動」【中野剛志×佐...の画像はこちら >>

『思想の免疫力』は2021年8月10日配本刊行、Amazonは12日に発売。



■現実を直視する者と、頭を真っ白にする者

中野:日本での年齢別の感染者の割合が出ていて、重症化したり死んだりしたのは60代、70代、80代以上と年寄りばかりなんですね。若者はほとんど死んでいないし、重症化もしていない。そのデータを見せて藤井氏が言っていたことは……。



佐藤:「(大学講義風で恐縮ですが……)皆さん、まず頭を真っ白にしてコレをよーく見て下さい」(5月9日付ツイート。カッコは原文。

https://twitter.com/SF_SatoshiFujii/status/1258883421515866112



中野:そう。しかし、「観察の理論依存性」と言って、科学哲学の初歩的な問題ですけど、データは、頭を真っ白にしてしまったら、何も読み取れなくなってしまうものなんですよ。



佐藤:そもそも頭を真っ白にしたら思考能力がなくなります。読んで字のごとく、ホワイトアウトなんですから。コンピュータで言えば、ハードディスクを初期化するのと同じですね。



中野:専門家とか知識人を名乗るんだったら、頭を真っ白にしたら理解できないデータについて、「このデータは、こういうふうに解釈するんですよ」と解説しなければならない。

このケースでいうと、一般人は「ああ、重症になったり、死んだりするのは高齢者だけだ。若者は感染しても平気なんだ」と安心してしまう。でも、テレビで解説されていましたが、重症化とされてカウントされているのはICUに入れなければならないような人だけだそうですね。



適菜:入院が必要な「中等症」もあります。血栓ができたり、若い人でも後遺症がかなり残る。



佐藤:しかも脳に出たりする。

「オー・ノー」というやつで。



中野:そうらしいですね。しかも、米疾病対策センター(CDC)によると、高齢者と基礎疾患を持っている人だけではなくて、妊婦も危ないのだそうです。これは、先ほどのデータを見るだけでは分からないことです。加えて、「感染者数が膨大に増えたら、割合が低くても死者数は増える」「若者は感染してもいいというけれど、その人達が増えたら、年寄りに感染させる機会は高まる」といった解説も耳にしました。もっと言えば、このデータは、医療崩壊が起きていない時点での数字に過ぎません。

つまり、専門家会議などの感染症や公衆衛生の専門家が、素人がデータだけを見て「たいしたことない」と油断するのを恐れて、一生懸命解説し、警告を発しているのに、その一方で「頭を真っ白にして見て下さい」と呼びかける大学教授がいるわけです。いったい、どういう指導を学生にしてるんだと。



適菜:これはよくないですね。



中野:呼びかけるべきは、むしろ「頭を真っ白にする」ことの危険性でしょう。大衆を煽動し操作するには、大衆の頭は真っ白のほうがいい。私に言わせれば、「頭を真っ白にする」ことは、全体主義への第一歩です。


 専門家会議の先生方は、公式な会議の場以外でも、自分達で自主的に集まって、土日も含めて、ガンガン怒鳴り合うような議論をしていたのだそうです
https://diamond.jp/articles/-/240982)。そこには、お互いに対するリスペクトと国民を救いたいという強い使命感が共有されていた。私は「何て素晴らしい先生たちなんだ。こういう先生方が日本にはいるんだ」と感動しました。これこそ、まさに熟議の典型です。それに引き換え、「皆さん、頭を真っ白にしてこのデータを見てみましょう」などと、よくもまあ……。



適菜:平成の30年では「1度リセットして」というファミコン脳の人たちがいろいろ出てきました。



佐藤:「自分では何も考えず、僕の主張を鵜呑みにして下さい」と言うのと同じになってしまう。国民を救いたい気持ちはともかく、リスペクトがあるとは言いがたい。ジョージ・オーウェルではありませんが、まさしく「無知は力」ですね。



■化けの皮が剥がれた言論人の「ヤンキー体質」

適菜:今回、橋下徹や三浦瑠麗、小川榮太郎とか、あの類の連中がそろって同じようなことを言い出した。ある意味、平常運転です。



中野:この新型コロナの件では、藤井氏が編集長をつとめる「表現者クライテリオン」から、編集長を筆頭に、そっち側に加わった論者が出てきてしまった。



適菜:『Hanada』とか『正論』とかとは一線を画していたはずなのに。これはどう解釈すればいいですかね。編集長に対する忖度ですかね。文芸評論家の浜崎洋介氏までおかしなことを言い出した。



中野:文学者だったら、感染症の専門家が感染者数や死亡者数といった数字で物事を判断したとしても、問題は、数ではない、一人の苦しみを想うべきだとか論じそうなものですが。



適菜:彼は福田恆存の「一匹と九十九匹と」の話をよくします。福田が言っていることは、九十九匹を扱うのが政治であったら、そこから外れてしまう一匹がいる。その一匹を救うのが文学であると。ところが、今回、彼は真逆のこと言い出したわけです。(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200506/)「よくよく考えてももらいたい、これまでも私たちは、肺炎による死者を毎年12万人以上出し続け(一日300人以上の計算)、インフルエンザでさえ年平均1万人の犠牲者(一日30人)を出し続けきているのです(補足すると、アメリカの2017年~18年におけるインフルエンザによる死亡者数は6万人です)。それに比べて、今年の2月から5月にかけての「新型コロナ」による死亡者数は一体どれほどにものなのでしょうか(5月5日時点で521人)」。なお、三か所くらい誤字脱字がありますが、これは引用先によるものです。
 こうしたインフルエンザなどとの比較がなんの意味もないことは、この鼎談の第1回でも示したとおりですね。浜崎氏は、この文章の後に、しれっと「もちろん、『数量』によって個人の悲劇を図ることはできません」と書いていますが、この文章はまさに「数量」で「個人の悲劇」を語ったものでしょう。



佐藤:まあまあ、福田さんはこうも言っていますよ。「人間の心の動きは微妙なもので、偽善を追及する正義感が偽善になることが往々にしてあります」(『せりふと動き』玉川大学出版部、1979年)。



中野:すでに述べたように、緊急事態宣言の主たる目的は、医療崩壊の阻止にあった。日本医師会も、医療崩壊について警鐘を鳴らした。ところが、恐るべきことに、浜崎氏は、「私たちは、医師会や医療のために存在しているんじゃない」「医療崩壊阻止」の美名の下に、「医療」以外の全ての暮らしと人々の生活が犠牲にされてしまいかねないみたいなことまで書いたわけですよ(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200506/)。じゃあ、医療が崩壊したら、「医療」以外の全ての暮らしと人々の生活は犠牲にならないのか。それに、医療崩壊した時に、医療従事者がどれだけ苦しむのか、この文学者は想像しないのか。



適菜:無茶苦茶です。それであの雑誌は「生命至上主義」がどうたらこうたらと。



中野:医療関係者は命がけだし、実際、新型コロナに感染して亡くなった医師もいる。それから医療崩壊したら、医療従事者は「命の選別」を強いられる状況に陥る。医療関係者は他人の生死を実際に自分で決めなきゃいけないわけですよ。その高齢者をかけがえのない肉親と思う家族を前にして……。高齢者を見捨てても心が痛まないのは勝手だけれども、その具体的な判断や執行を医療関係者に押しつけるなよって話。



適菜:そうですね。それこそ想像力の欠如です。



中野:「新型コロナではたいして死なないのに、国民が新型コロナを過剰に恐れている、だからポピュリズムだ、だから大衆だ」とエリートぶる連中がいる。そこまで言うなら、私は大衆の肩を持ちたくなる。みんな自分が新型コロナにかかることだけでなく、大切にしている人たちに接触することで相手を感染させることを恐れていたわけですよ。自分の命だけが大事だから自粛していたわけじゃない。他人の命のことを考えて自粛した、つまり自分を犠牲にしたんだ。それを「空気の支配だ」とか「自分の命だけが大切なんだろ」などと批判するとは……。



適菜:アメリカのトランプはずっとマスクをしなかった。あれと同じ。ヤンキー体質。「お前らびびってじゃねえぞ」って。



中野:あの手の生命至上主義批判は、西部邁の受け売りです。ついでに、第1回の話題を蒸し返すようですが、藤井氏が、「『自粛派』はコロナに壊される『社交』を持たない人々だ」などと「社交論」を持ち出したのも、西部邁の受け売り。
 しかし、新型コロナの怖さは、社交によって自分が感染するだけではなく、社交相手を感染させてしまうことにある。
 社交を重視し、社交相手を大事に思う人ほど、その社交による感染で、大事な社交相手を苦しめたり、死亡させたりするリスクを恐れるでしょう。相手に害を及ぼすようでは、社交は成り立ちませんから。社交を重視するからこそ、新型コロナを恐れて、自粛するのです。
 もっと言えば、社交相手のためを思っての行為が自粛なら、自粛も立派な社交ですよ! 
 それなのに、藤井氏は「『自粛派』は社交を持たない人々」などとレッテルを貼った挙句に、「僕は、自粛で山ほど嫌な思いをしています。いつも行っている釣りに行けません。酒場にも行けません」などと・・・。結局、自分のことしか考えていないじゃないか。



適菜:生命至上主義批判ということで言うと、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で撒いた「檄」に「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか」とある。それこそこれは「魂」の問題です。私だって顔見知りの人間を批判したくはない。面倒だし、リスクもある。でもこれは「魂」の問題だから放置できない。



佐藤:生命尊重ばかりで、魂が死ぬのはたしかにまずい。だが、なぜまずいのか? 魂の死んだ者は、自分の都合しか尊重しなくなるからです。裏を返せば、生命尊重を批判したからといって、魂が死んでいない証拠にはならない。自分の都合ばかり尊重したあげく、他人の生命はどうでもいいと開き直ったのかも知れない。
 ヒトラーが1942年に鋭い洞察を披露しています。いわく、「人間は単純であればあるほど、あらゆる個人的自由の制約を不当な強制と感じる」。だいたいこれで説明がつくんじゃないですかね。



■「感染が収束しなくても、経済は回る」という幻想

中野:これは、経済を重視する論者に多いのですが、専門家会議の人たちや西浦先生に対して、「感染症対策だけうまくやれば政治や経済や人生のことはどうでもいいと考えている」と勝手に決めつけて批判している節がある。



佐藤:感染が収束しないままでも経済が回ると、本当に思っているんですかね。政府が行動制限をかけさえしなければ、感染が拡大しようと、みんな平気で外出するはずだと。だいたい、ここまで経済に影響が出たら最後、政府が思い切った財政出動をしないことにはどうにもならない。「今の政府がそんなことをするはずがない」という反応も見られますが、これは反論にも何にもなっていません。「だから行動制限を緩めれば、財政出動なしでもどうにかなるはずだ」という話にはならないからです。
 その意味で、行動制限緩和の主張を「論」と呼ぶのは過大評価。あれは「自分の世界観が崩れ落ちそうで怖い、どうにかしてくれ!」という感情のほとばしり、ないし魂の叫びです。



中野:経済が苦しくなってくると、当然ですが、フラストレーションがたまってくる。
 再度の緊急事態宣言はもう無理、「8割おじさんの再登場は難しい」と西浦先生もさじを投げちゃうような雰囲気になってるわけです(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61681100X10C20A7AC8Z00/)。そうすると、日本国民がみんな現実逃避と魂の叫びを始めるわけですよ。フラストレーションがたまると、現実を見て我慢するのではなくて、「こうすればいいじゃないか」「こうすれば楽にできるのに」という人の意見を聞きたくなる雰囲気になっていく。



適菜:それにあわせてデマゴーグが出て来る。



中野:例えば、前回論じたように、藤井氏は、高齢者等の対策「さえ」やればいいと主張した。また、高齢者に重症者や死者が集中していることを示すグラフを「頭を真っ白にして見てください」と呼びかけた。さらに、コロナ対策の経済的損失として自殺者数を誇張した試算を出した。そして、これらを、YoutubeやTwitterなどのSNSで、積極的に説いて回った。
 さて、こうした一連の言説が、コロナ恐慌でフラストレーションがたまった人々の耳に入ると、どういうことになるか。
「どうせ先の短い高齢者等の命を守るためだけに、どうして若者が経済的に苦しい思いをしなきゃいけないんだ!」「高齢者等のせいで、社会全体が苦しいのは不合理だ」という風潮が煽られるでしょう。
 つまり、「高齢者等対策『さえ』していれば大丈夫」は、「高齢者等『さえ』いなければ大丈夫」への道だということです。高齢者等の弱者を敵視し、それを切り捨てるのが社会全体のため。こういう風潮になったら、まさに全体主義の到来です。こうなるのが、非常に怖い。



佐藤:あとは国民のレベルの問題です。



適菜:戦争のときも、日本軍が勝っているとか、神風は吹くとか言いたがるやつがいた。それと同じで、楽観論ならいかがわしいものでも飛びついてしまう。



佐藤:当然でしょう。不安に負ける者はいつの世にもいる。あとはそれが多数派になるかどうか。
 危機的事態に際して、国民のレベルが言論の力で変わりうるかのように構えるのは錯覚にすぎません。国民に良識がなければ、言論人が問題を指摘したところでどうにもならないんですよ。相当の被害を出して、ハードランディングするだけの話です。
 感染被害であれ経済被害であれ、助かりたいと必死になっている人を切り捨ててはいけない。そんなことをしたら社会的連帯が崩れます。ただし不安に負けたあげく、わざわざ自滅的な行動を取りたがるとあっては致し方ない。できることと言えば、ソーシャル・ディスタンスで安全な距離を取り、巻き込まれないようにするくらいでしょうね。



中野:集団自殺へと走るレミングの群れに警告を発してきたのが保守思想だというのに、今では、保守を名乗る連中がレミングの先頭を走っちゃっている。しかももっと痛いのは、レミングの先頭を走ってるつもりがない。適菜さんが書いていたけど、結局、保守は日本に根付かなかったんです。



■正義感は偽善、誠実は欺瞞

佐藤:エドマンド・バークは『フランス革命の省察』でこう言っています。イギリスの祖先たちは、重大な決断を迫られたときほど次の原則を重んじた。(1)状況をよく見きわめ、軽率に行動しないこと。(2)不測の事態に備え、万全の用意をしておくこと。(3)臆病なぐらい慎重であること。これこそ、真の保守的態度というものです。
 中野さんのおっしゃるとおり、結局のところ、わが国に保守は根づいていない。行動制限緩和論が少なくとも一定の支持を得るゆえんですが、いたずらに反発するのにも賛成できませんね。自分の評価しない言説が世に広まるのは許せないとなったら、それはそれで現実が見えなくなる。まずは状況をよく見きわめるのがいいでしょう。



中野:緊急事態宣言が解除された後、大阪府の吉村知事に呼ばれた中野貴志・阪大教授と宮沢孝幸・京大准教授が、専門家会議の批判をしたことがあった。そのときに中野教授がK値とかいうものを出して、その数字を示して、緊急事態宣言は意味がなかったと言った。藤井氏はそれを見て、涙ちょちょ切れんばかりに喜んで賛同し、「理性的な対策を進めましょう」などとtwitterで言い出した(https://twitter.com/sf_satoshifujii/status/12715535600195432448)。でも、当の中野教授は、緊急事態宣言は意味がなかったけど、クラスター対策は効果があったと言っているんですよ(https://www.dailyshincho.jp/article/200200/007002006003/?all=1)。ところが藤井氏は、中野教授と違って、クラスター対策は絶対破綻すると言っていた(http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/resilience/documents/corona_slides_4.pdf)。クラスター対策は「理性的な対策」なのか、そうでないのか。どっちなんですか?。



適菜:専門家会議を批判できればなんでもいいと。



中野:同じような話がまだある。藤井氏は有効な対策として、「徹底的な換気」「3密の中でも特に「換気」を集中徹底」を挙げていた(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20020000423/)。ところが、上久保靖彦という京大特定教授が、「3密も換気も非科学的だ」と言って専門家会議を批判したのにも藤井氏は飛びついて、「素晴らしいお言葉」とtwitterで絶賛。その直後に、本人もまずいと思ったのか、過剰な換気は不要だとツイートしています(https://twitter.com/sf_satoshifujii/status/12883170069994258432)。しかし、これまで「徹底的な換気」「換気の集中徹底」と口酸っぱくして言ってた人に、急に「過剰な換気は不要」って言われても、こっちとしては、どうしていいか分からない。「徹底的」は必要だが、「過剰」は不要って、そんな言葉遊びしている場合かと。じゃあ、「適度な換気」でいいけれど、「適度な換気」は科学的なのか、非科学的なのか、どっちなんだ?



佐藤:魂の叫びは、論理とはまた違いますからね。



適菜:藤井氏は5月にはソーシャルディスタンスは「感染防止の観点から『絶対必要』とは必ずしも言えないものなのです」(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20020000519/)と言っていたのに、つい先日は「ソーシャルディスタンスは、確かに感染抑止効果は絶大」(https://medical.jiji.com/topics/1744?page=1)と言っている。「ソーシャルディスタンスは、感染抑止効果は絶大だが過剰なのであって、絶対必要とはいえない(マスクで十分)」と言っているので、必ずしも矛盾ではないですが。



佐藤:バーク流の発想、つまり保守主義の立場を取るかぎり、「『絶対必要』とは必ずしも言えない」ぐらいの対策まで取っておくのが賢明です。感染抑止効果が絶大であることは、藤井さんも認めているんですから。
 藤井さんの名誉のために言っておきますが、彼はある意味、誠実なんですよ。「政府がロクな財政出動をしない」という前提条件のもと、感染被害と経済被害の双方をできるだけ抑えこむ「落としどころ」を懸命にさぐろうとしている。
 ところが当の前提条件のもとでは、落としどころなど存在しません。無理に落とし込もうとしたら、かえって感染被害と経済被害の双方が大きくなる恐れが強い。国民すべてが徹底して理性的で、完璧に行動変容できるのならともかく、これは期待するほうが間違いです。
 第2回でも出た論点ですが、答えの出るはずがない設問に、どうにか答えを出そうとすると、やればやるほど言動のツジツマが合わなくなる。つまり整合性のなさも、誠実さの表れなのです。みごとに裏目に出ているだけの話。
 では、なぜ裏目に出るのか? 「大変だ、どうにかしなければ!」という危機感や使命感で、魂が叫んでいるからです。魂が死んでも困りますが、魂が叫びっぱなしもまずいのですよ。



中野:なるほど、あの整合性のなさは、誠実さの表れですか。人間、誠実なら正しいってわけじゃないってことですね。しかし、佐藤さんがさっき引用した福田恆存の言葉は、もっと辛辣です。「人間の心の動きは微妙なもので、偽善を追及する正義感が偽善になることが往々にしてあります」。
 誠実さにせよ、正義感にせよ、それを振りかざす者には、それが他人であれ自分であれ、気を付けろということか。う~ん、深いですね……。



佐藤:福田さんはシェイクスピアの翻訳でも知られますが、『マクベス』の台詞にならえば「正義感は偽善、誠実は欺瞞」。このパラドックスが理解できない単純な精神の持ち主を「ガキ」と呼びます。で、単純であるがゆえに、ガキはあらゆる行動制限を「不当な強制」と感じるわけです。



(第4回へ続く)





中野 剛志
なかの たけし



評論家



1971年、神奈川県生まれ。評論家。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)など多数。最新刊は『日本経済学新論』(ちくま新書)は好評。KKベストセラーズ刊行の『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編』』は重版10刷に!『全国民が読んだから歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】』と合わせて10万部。



佐藤 健志
さとう けんじ



評論家



1966年東京都生まれ。評論家・作家。東京大学教養学部卒。1989年、戯曲「ブロークン・ジャパニーズ」で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。主著に『右の売国、左の亡国』『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』『僕たちは戦後史を知らない』『夢見られた近代』『バラバラ殺人の文明論』『震災ゴジラ! 』『本格保守宣言』『チングー・韓国の友人』など。共著に『国家のツジツマ』『対論「炎上」日本のメカニズム』、訳書に『〈新訳〉フランス革命の省察』、『コモン・センス完全版』がある。ラジオのコメンテーターはじめ、各種メディアでも活躍。2009年~2011年の「Soundtrax INTERZONE」(インターFM)では、構成・選曲・DJの三役を務めた。現在『平和主義は貧困への道。あるいは爽快な末路』(KKベストセラーズ)がロングセラーに。



適菜収
てきな おさむ



1975年山梨県生まれ。作家。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』(文春新書)、『遅読術』、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』(KKベストセラーズ)など著書40冊以上。現在最新刊『国賊論~安倍晋三と仲間たち』(KKベストセラーズ)が重版出来。そのごも売行き好調。購読者参加型メルマガ「適菜収のメールマガジン」も始動。https://foomii.com/00171