日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。


 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
 本日はみなさんとともに神奈川県「地名」の謎に迫ります。



■古代から明治に誕生した地名まで

地名の由来が諸説ある「逗子」。美しい海と景勝地に恵まれた関東有数のリゾート地だ。" />



《神奈川県の由来》この地を流れる「かな川」に起源

 県名の起源としては、この地を流れる川は水源がわからないことから、「上(かみ)がない川」と呼ばれ、それがいつしか「かな川」になったという説。



 また、日本武尊が東方へおもむく際、かかげた宝剣が上無川の川水に金色燦然と映ったことから、この地を「金川(かながわ)」と命名。 
 その後、源頼朝がその風光を賞し、これを神に大いに示すべきとしたことから「神大示川」、さらに「神奈川」に変化したという説などがある。



 慶応4年(1868年)には一時期、神奈川府が置かれていた。



《地名の由来》◉関内(かんない)関門の内側と外側

 桜木町から関内、石川町に至るまで、JRの線路に沿って今もある堀。
 安政6年(1859年)に横浜港を開港する際、幕府はその周囲を堀割と川で区切った。港への出入りに利用される橋に関門を設置したことから、その内側を「関内」、外側を「関外」と呼ぶようになったことに由来する。



◉鵠沼(くげぬま)白鳥が飛来した沼

 「鵠(くぐい)」とは「白鳥」の古名。 
 地区内にあった「湿地(沼)」に「白鳥(鵠)」が飛来したことが地名の由来とされている。


 『新編相模国風土記稿』には「 久久比奴末良(くぐいぬまむら)」という表記もみられる。他に徳島に「鵠(くぐい)」、茨城に「鵠戸(くぐいど)」などがある。



◉逗子(ずし):お寺にある「厨子」

 延命寺の地蔵尊を安置する「厨子」に由来する説のほか、荘園に属する「豆師(図師)」が住んでいたことに由来、道が交差して人が集まる交通の要衝「辻子」に由来、「三浦厨子城」を由来とする説などが知られる。



◉平塚(ひらつか):平らになった塚、平家関連説も

 この地で亡くなった高見王の娘・政子を悼み、人々が築いた塚がいつしか平らになり「平塚」と呼ばれた。
 また、政子は桓武平氏の祖とされる高望王の妹にあたることから、平家にちなんで「平塚」としたとの説も有力だ。



(2020年一個人5月号から

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