森博嗣先生が日々巡らせておられる思索の数々。できるだけ取りこぼさず、言葉の結晶として残したい。

森先生のエッセィを読み続けたい。なぜなら、自分の内から湧き上がる力を感じられるから。どれだけ道に迷い込み、彷徨ったとしても、諦めず前に進んでいけることができるから。珠玉の連載エッセィ「道草の道標」。第22回「趣味を持つことの価値とは?」





第22回 趣味を持つことの価値とは?



【まるで作家のような日々】



 ここ数日、わりと忙しい、とまではいかないものの、気忙しい。まず、ゲラが2つ届いていて、これを見る作業。6月と来年1月に出る本のゲラだ。僕はゲラを読むのが大変苦手で、大袈裟ではなく、執筆よりも時間がかかる。それから、毎年12月に出る予定のエッセィ本の原稿を書かなくてはいけない。例年は3月くらいから書き始めるが、今年はスタートが遅い。そろそろ最後だからぎりぎりの仕事をしようか、との目論見もあり、加えて既に解説者が決まっていることもある。さらに、6月の本と12月の本にはオリジナル栞を付けることになっていて、そのイラストを描かなくてはいけない。

これも非常に重圧となっている。編集者というのは、イラストなんてさらっと簡単に描けるものだろう、と思っている節がある。はっきりいって、ちょっとしたイラスト1枚は、だいたい原稿用紙50枚くらいの短編と同じくらいの労働だ、と僕は感じる。何を描くのか、どう描くのか、いろいろ考えなくてはいけない。絵は文章よりもデータ量が格段に多いのである。



 それから、6月の本と1月の本には、まえがきかあとがきを書くことになっていて、これらも考えなければならない。忘れかけていたが、そう、今書いているこの連載エッセィもある。2週間に一度の執筆。まだこんなに仕事があるなんて、やっと引退できたとせいせいした気分でいるのに……。



 と大袈裟に書いてみたけれど、今日は、昨年の秋に燃やした落葉の灰を一輪車で運んだ。焼却場から50mほどのところまで、合計30杯分ほど、つまり30回の往復。傾斜地を平らにするために埋め立てている。

灰は保水性も良く、砂質の土と混ぜると崩れにくい。ガーデニングの肥料にも使っているが、その残りだ。焼却場はもう一箇所あって、そちらはまた別の場所へ運ぶ予定。この庭仕事で肉体疲労気味である。



 工作では、小さな蒸気機関車の修理をしている。小さいといっても、食パンほどのサイズで、アルコールを燃料にして走るもの。この形式の機関車を400台以上所有していて、整備を待っているもの、まだ一度も走らせていないものがある。生きているうちになんとか消費したいとの意気込みが、僕の終活といえる。



 さらに、犬の世話がある。担当している体重23kgの長毛犬の散歩が1日2回。それぞれ45分ほど。あと、チキンとフードを混ぜてご飯を作る。

ブラッシングも欠かさない。シャンプーは3週間に1度。24時間ずっと一緒で、これまで1時間以上離れたことはない。





【趣味とはそもそも何か?】



 忙しいのは仕事以外の趣味に時間を取られるからだ。僕の趣味は、おおまかにいうと、工作とドライブだが、ドライブの方は、趣味というよりもレジャだろう。



 古来、ジェントルマンは、趣味(ホビィ)とスポーツとレジャを嗜んだ。趣味というのは、個人研究であり、歴史、哲学、蒐集、芸術など多分野に及ぶ。スポーツというのは、乗馬かクリケットかテニスくらいか。レジャといえば、別荘などで過ごす時間のことで、狩猟とか登山などが付随した。ちなみに、基本的に仕事はしない。仕事は貧しい行為であると認識されていた。また、スポーツでも、良家は野球やサッカはしない。

今でもイギリスの王家や日本の皇族がするスポーツは、ごく一部に限られている。



 現代人は、この趣味とスポーツとレジャをひっくるめて「趣味」としているようだ。そもそも仕事が忙しく、自分の好きなことをしたくても、使える時間が限られている。だから、自分はこれだというものを決め、それに集中しよう、と考えるのが自然だろう。趣味がいくつもあると、そのための費用がかかるわりに、時間が分散されてしまい、存分に楽しめないと考えるからだ。



 良い悪いは抜きにして、現代人の多くは一点集中主義に囚われている、といえる。複数の対象に手を出すと、いずれも満足できなくなる。だから、自分の楽しみを限定する。はたして、趣味のあり方として、これは正しいのだろうか?



 まず、趣味とは何かという根本的な疑問が浮上する。いうまでもなく、楽しむための行為だ。人生を有意義に過ごす一つの手法ともいえるし、人生の目的そのものだという方もいらっしゃるだろう。さて、楽しむこと、人生の意義、目的は、一つに決めなければならないのだろうか? 楽しいことなのに、どうしてそんなに不自由な規制を自身に課してしまうのか?



 その理由の一つは、趣味にはお金がかかること。

趣味は、あくまでも消費であり、趣味で稼ぐことは滅多にない。もし、趣味が実益を兼ねるようならば、それはもう趣味ではないとさえいえる。また、経済面だけでなく、なにか生活や周辺の利益になるような行為も、厳密には趣味とはいえない。社会や人様の役に立つようでは、趣味として不純だと(少なくとも僕は)感じる。趣味は個人的なものであって、直接的に社会に利益をもたらさない。これは、学術的な研究でも同様である。研究が直接社会の利益になるのは、また別の作為によるものであって、それは周囲からの投資、実質的な応用・開発、あるいは周囲の理解、説得、協調などが必要になる。趣味には、そういった役目が本来ない。





【無駄だから価値がある】



 誤解を恐れずにいえば、趣味というのは無駄である。役に立たない行為なのだ。社会にもまた個人にも、直接的に利益をもたらさない。経済的にマイナスでしかない。

お金だけではなく、疲れるし、ときには躰を壊す。さらに、人間関係にも悪影響がある。だから、健康に良いとか、家族円満に寄与するとか、そんな有益な行為は趣味ではない。趣味で仲間ができたと主張する方もいらっしゃると思うが、それは、その仲間が共犯になっているだけであり、共に無駄を消費しているにすぎない。家庭や仕事や近所にも、トータルでは不利益となっている。その点で、趣味は、スポーツやレジャと区別されるのである。



 それでも、趣味は古来、その人物の価値を決めるエレメントとして扱われてきた。趣味を持っていない、趣味が浅い人物は、深みがなく人間的に欠けているとみなされてきた。一角の人物ならば、なにかしらの趣味を持っていて、しかもその分野でも秀でた才能を発揮した、と記述されている場合が非常に多い。



 趣味というと、日本ではほとんど遊びの部類に認識されているが、それは社会が貧しかったからだ。ある程度の財力があれば、趣味を持つ余裕が生まれる。その余裕こそが、人間の深みであると評価された。仕事で社会に貢献し、スポーツで健康を維持し、レジャで家庭にサービスする。そのうえで、趣味によって個人的な探求に打ち込んでいる。人の評価基準としてずっと長く続いてきた価値観は、こんな具合だったのである。



 多くの学問が、かつては趣味だった。学者(たとえば科学者、数学者、哲学者)というのは、仕事ではなく趣味で研究をしていた。だが、現代のように大学や研究所が普及していないから、趣味では食えない。これは、芸術家でも同様で、今のようにメディアもなく、大勢から人気を集めるような機会がない。したがって、自分が資産家であるか、あるいは資産家をパトロンにするか、といった選択しかなかった。それでも、このような無駄な才能を援助して育成することが、王家や貴族の趣味として存続していた。



 いろいろ書いたが、これらは昔はこうだったという話で、今もそのとおりであるべきだ、と訴えているのではない。全然違う。どうだって良い。そもそも無駄な行為なのだから、それぞれ好きにすれば良いし、また今は、仕事をすることが生活の大部分を占めている人が多いわけだから、そんな昔話はなんの参考にもならないよ、と感じるのも当然である。そういった反応もひっくるめて、どうだって良い。人生もそもそもどうだって良い。まあ、そんな具合に僕は考えていて、自分を正当化したり、他者に押しつけるつもりもなく、みんなに影響を与えようなんて考えてもいないことを、念の為につけ加えておく。





【いくつかの質問に答えて】



 まずはこちらから。「自分はもう既にリタイアして読書を楽しんでます。ここの連載エッセィ、楽しんでます。最近の体調はいかがでしょうか? 小説の予定はありますでしょうか?」



 体調はまずまず。肉体労働が趣味となって、若いときよりも躰を動かしている。それから、小説の予定はありません。



 次はこちら。「ネガティブな人にどうしても頑張ってもらいたいとき、どういえば良いですか?」



 人からなにかいわれて頑張れるのはポジティブな人。人に頑張ってほしいと思うのもポジティブな人だけです。ネガティブだと確認するために、なにかいってみますか?



 それからこちら。「時間が有限であるなかで、最良の決定をしたいと願うときに、決め手になるものは何だと考えられますか?」



 時間はそもそも有限。最良の決定をしたいのは普通。決め手は、そのつど異なります。



 もうひとつ。「お酒が飲めなくなってストレスの発散方法がわからず困っています。どうしたら良いですか?」



 お酒が飲めてもストレスは発散できない。酔っている間、発散している気になれるだけ。お酒を飲まない方が時間もお金も得だし、健康にも良い。飲む方がストレスです。



 4月になって、庭での作業がいろいろ始まった。庭園鉄道の線路の保全。樹木の管理やいろいろ修理など。奥様(あえて敬称)は、大量の苗と土と肥料を買い込んで、毎日せっせとガーデニングに勤しんでいる。犬はウッドデッキか家の中で寝ている。



 ウクライナに攻め込んだロシアとか、イランを攻撃したイスラエルとアメリカとかを、世界中の国々や人々の多くが非難している。こういう武力行為は、最近になってようやく「好ましくない」ものとして認識されるようになったみたいで、人類もゆっくりとだけれど賢くはなっているのかな、と思う。ちょっとまえ(20世紀前半)までは、そんなの当たり前で、どの国も普通にやっていたことなのに。







文:森博嗣





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