「瘦せることがすべて」。そんな生き方をする女性たちがいます。
いわゆる摂食障害により、医学的に見て瘦せすぎている女性のことですが、そんな彼女たちを「瘦せ姫」と呼ばせてもらっています。
彼女たちはある意味、病人であって病人ではないのかもしれません。
というのも、人によってはその状態に満足していたりしますし、あるいは、かつてそうだったことに郷愁を抱く女性や、むしろこれからそうなりたいと願う女性もいるからです。
そんな彼女たちに憧れのスレンダー芸能人のツートップは、桐谷美玲と河北麻友子。
「なぜ彼女たちは食べても食べても太らないのか?」
いま話題の書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』の著者・エフ=宝泉薫氏が「スレンダー芸能人がスレンダーで居続ける理由」を語ります。
世界で最も美しい顔100人に4年連続ランクイン(最高は2014年の8位)の桐谷美玲。「美しい体型」なら何位に入るのだろう。
スレンダー芸能人はなぜ太らないのか?
人間にとって、個性を認め合うことほど難しいものはなさそうです。自分がよしとする基準からのちょっとした「ズレ」すら許せないことがままあり、そこに異を唱えたくなることが珍しくないのですから。
たとえば、スレンダー芸能人の存在です。摂食障害を思わせる瘦せ方でなくても、細い芸能人はいて、憧れの対象になったりします。が、その一方で、ダメ出しをされることも少なくありません。
その理由は「不健康だ」とか「見るに耐えない」とか、主観的な好みによるところが大なのですが、なかには「こういう人がいるから、摂食障害が増える」という、社会派的な見地からの物言いも。実際、細い芸能人、あるいはモデルに憧れてダイエットをし、行きすぎてしまう人はいます。ただ、それは芸能人やモデルのせいではないでしょう。
そんなスレンダー芸能人のなかでも、ここ数年、ツートップのようなかたちで高い人気を集め、同時にダメ出しもされやすくなっているのが、桐谷美玲と河北麻友子です。まずは、ふたりの体型について具体的に見てみることにします。
桐谷には2009年に出た『美玲さんの生活。』(註1)にわりと詳細なデータが存在し、それはこういうものです。
身長164センチ。B78W54H80。首周り26・5、肩幅35、二の腕17・4、太もも36、ふくらはぎ28、足首19。
なお、体重は39キロだといわれています。
これに対し、河北は、こういうデータがよく出回っています。
身長162センチ、体重38キロ、B78W58H79。
太ももについては今よりややふっくらしていた時期に、CDと同じ太さだという情報が。ちなみに、CDの周囲は37・68センチです。また、140センチ用の子供服が着られる、とも言っています。
BMIでいえば、両者ともに14・5くらいです。もちろん、かなり細いとはいえ、瘦せ姫にはもっと低い数値、それこそひとケタまでいく人もいますから、驚くようなものではありません。
また、ふたりのようなBMIでも、拒食によって瘦せた場合はギスギスした感じが出ますが、それもなく、十分に健康的な印象です。
にもかかわらず、ふたりには前述のような批判的な声も絶えません。
そんななか、河北がこんな反応を示しました。自身のインスタグラムでコメントしたのです。
「太りたくても太れない人もいるんですよ。麻友子の場合は本当に体質なだけです。
世界的な規模のSNSだからか、帰国子女ならではの語学力も生かして、英文も付け足しています。個人的には「人それぞれ」という大好きな言葉を使ってくれているのがうれしく、我が意を得たりという気分でした。

河北麻友子がコラボユニットで歌手デ ビューした際の公開画像。そのサイ ギャップ(太ももの隙間)に憧れる女性は 少なくない。
そう、誰もが「人それぞれ」という感覚を大事にしていれば、誰かの体型を批判したり、そのせいで病気が増えるなどとウイルスまがいの扱いをすることもなくなるはずです。
ついでにいえば、もうひとつ好きな言葉があり、それは「自己責任」。ある意味、現代社会のなかで生まれ、よく使われるようになった言葉です。ただ、なくなってもいい言葉だと思っています。生きていくうえで何をするにしても、自分が責任を持つというのは当たり前のことですから。
そういう意味で、スレンダー芸能人に憧れるのも、さらにはそこで病むことになったとしても、あくまで自己責任だということです。
しかし、病んでしまったことを見ず知らずの人やメディアのせいにする人は少なくありません。たとえば、ダイエットに挫折したあと、摂食障害もしくはそれに近い状態に陥った人が、スレンダー芸能人の公開メニューを見て、悪影響だと批判するケースはけっこう目立ちます。
さすがに、本人のSNSに直接クレームをつける人はまれですが、そのメニューを掲載した雑誌の編集部にインターネット上で抗議してみたり。そうこうするうち、こんなコメントもついたりします。
「そのモデルさん、私も好きでフォローしてるんだけど、あんな食生活、公開しちゃダメだよね」
つまり、この人にとっては「憧れ」と「不愉快さ」が混在しているわけです。こうした矛盾とまではいかなくとも、複雑な感情というものをもたらすのが、スレンダー芸能人だったりするのです。
ある瘦せ姫は、スレンダー芸能人のことを「希望」だと言いました。ダイエットで極端に瘦せたその人にとって、あれくらいにまで戻せば、細さと健康を両立できるという意味です。また、瘦せたい人にとっても、目標にできるという意味では「希望」でしょう。
しかし、人間には個体差というものもあり、スレンダー芸能人と同じBMIになったところで、そっくりそのままその体型になれるわけではありません。顔だって違います。
いや、そもそも、同じBMIにすること自体、なかなか難しいことです。桐谷も河北も、とくにダイエットをしているとは言わず、ましてや大好物としてそれぞれ、唐揚げや生ハムを挙げているのですから。
どう頑張れば近づけるのかがわからず、頑張り方を間違えば、病む危険性もかなり潜んでいるとなれば、彼女たちはむしろ「絶望」を感じさせる存在かもしれません。憧れが大きかったぶん、挫折後に呪いたくなるような気持ちになっても不思議ではないのです。
もちろん、誰かの責任にして転嫁するほうが楽になれることもありますから、自分を救うために誰かを利用するのも、悪いことではないでしょう。ただ、それはやり方によってはその誰かを傷つけることになります。その結果、自己嫌悪に陥って、ストレスが増すこともあります。
要するに「自責」と「他責」のバランスは難しいということです。それこそ、世の中では、責任のなすりつけあいが日常茶飯事。それはまるで、責任という名の時限爆弾をみんなで渡しあっているような構図にも見えます。
ならばいっそ、自己責任というスタンスを徹底させたほうが丸くおさまりそうです。それを踏まえたうえで、おたがいの干渉をなるべく避けながら共存していくというやり方。
そして、人それぞれという感覚のもとでも、共感しあうことは十分に可能です。実際、河北がインスタグラムでコメントしたあと、フォロワーからこんなコメントが寄せられました。
「私も同じ体質です! ガリガリとか色気ないとか言われます! でも本当に体質だから!って言っても、嫌味に聞こえるとか言われちゃいます」
「たまに、すれ違う人の言葉がぐさっと刺さることがあります。なかなか口にできない言葉を代弁してくださったみたいで少し気持ちが軽くなりました。まゆこちゃんを見習って、自分にもっと自信を持ちたいと思います!」
「私もずっと細すぎとかガリガリと言われてました。否定しにくいし、そうだよね!って自分で言うのも嫌でした」
「細すぎ~折れそうwとか足蹴ったらポキっていっちゃいそう~wwとかいわれて笑顔で返すけど落ち込むことめっちゃあります。瘦せてる人だって悩んでるのに……」
「瘦せるのも太るのも、大変ですよね。ましてモデルさんとかだと身体の維持も仕事でありすごいなって思いますし、ふくよかな女芸人さんも可愛い。みんな個性ですよね~」
これらはもっぱら、体質で瘦せている人の声ですが、拒食で瘦せている人のなかにも「そうそう!」とか「わかる!」とか思えたりするところがあるのでは。つまり、人それぞれと共感は両立できるのです。
というよりむしろ、人それぞれを前提にした共感のほうが本物に思えます。家族だから、親友だから、共感できて当たり前だという思い込みから、人は衝突しがちですから。そういう意味では、自分以外みな他人なのだと考えるくらいでいいのかもしれません。
じつは個人的にそれを「他人感覚」と名づけています。
(註1)『美玲さんの生活。』桐谷美玲(集英社)
(つづく……※著書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』から本文抜粋)

【著者プロフィール】
エフ=宝泉薫(えふ=ほうせん・かおる)
1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』などに執筆する。また健康雑誌『FYTTE』で女性のダイエット、摂食障害に関する企画、取材に取り組み、1995年に『ドキュメント摂食障害—明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版。2007年からSNSでの執筆も開始し、現在、ブログ『痩せ姫の光と影』(http://ameblo.jp/fuji507/)などを更新中。