男と女の性生活については、江戸時代も現代も基本的には同じといえよう。
しかし、決定的な違いがあった。それは、避妊である。
江戸時代、コンドームなどの避妊具や、ピルなどの避妊薬がなかった。また、望まぬ妊娠をした場合も、現代のような母体に安全な中絶法はなかった。望まぬ妊娠をした場合の悲劇は多かったし、たいていは女が犠牲になった。
そんな例を『怪談老の杖』(宝暦のころ)から紹介しよう。
江戸近郊の裕福な農家に、お柳という娘がいた。農村では夜這いが盛んなため、両親は娘を案じて、江戸の旗本屋敷に奉公させることにした。武家屋敷であれば風儀がきびしいため、娘が男に迫られることはなかろうと思ったのである。
しかし、実際は、江戸の武家屋敷でも夜這いは横行していた(連載第1回「 夜這いが原因で起きた江戸時代の殺人事件」参照)。
旗本屋敷に関助という草履取りがいた。
関助はお柳に目をつけ、夜這いをかけてものにしてしまった。その後は、「いずれ夫婦になろう」と甘いことを言い、両親がお柳に持たせた着物類などもだまし取り、質入れしてしまった。
そうするうち関助は素行が悪いことから、旗本屋敷から追い出されてしまった。関助があらためて駿河台にある御殿医のもとで奉公を始めたのを知るや、お柳も旗本屋敷から暇をもらうと、この医師の屋敷に下女として雇ってもらった。
その後、ふたりは誰はばかることなく房事を楽しんでいたが、お柳が身ごもってしまった。困った関助は子おろしの薬(堕胎薬)を入手し、女に呑ませた。すると、お柳は体調を崩し、起き上がれないほどの状態になった。
主人の医師はお柳を診察し、「この病状では、十に一つも助かる見込みはあるまい」と見て、せめて親元で死なせてやろうと考え、お柳を実家に送り届けた。
家に戻ってから十日ほどして、お柳は苦悶のうちに死去した。娘はいきさつをいっさい話さなかったため、両親は病気で死んだとばかり思い込んでいた。
その後、毎晩のように関助が寝ている部屋にお柳の幽霊が現われ、「関助どの、関助どの、こなたゆえに非業の死を遂げたり。そのときの苦しみはいかばかりか」と、恨み言を述べた。
関助は草鞋を作る槌などで幽霊をたたき、追い払おうとする。もちろん、ほかの人間には幽霊など見えないため、関助が誰もいないところをしきりに槌でたたいているのを目にして気味悪がった。
また、いつしか、お柳が子おろしの薬がもとで死去したことも噂になった。
屋敷の用人が様子を知り、関助に言い聞かせた。
「そのほう、毎晩、死霊に悩まされておるそうじゃな。しかし、死霊などはいないぞ。そのほうの心のなかに、むごいことをしてしまったという後悔の念があるため、それが幽霊の形になって見えるのじゃ。その証拠に、ほかの者には幽霊は見えないではないか」
こうして諄々とさとしたが、関助が幽霊を見るのはやまなかった。ついに、憔悴して関助は死去した。
江戸時代の堕胎薬は「月水早流(げっすいはやながし)」「朔日丸(ついたちがん)」が有名である。
春画などを見ると、裏長屋の共同便所の板壁や扉に、
月水早流 代三百七十二文
朔日丸 代百文
などと印刷した引札が堂々と貼られている。
当時、江戸では堕胎薬が珍しくなかったことがわかる。
月水早流や朔日丸のくわしい成分などは不明だが、危険な薬である。たとえ堕胎に成功したとしても、上記のお柳のように体調を崩し、あるいは死亡した女は少なくなかったに違いない。
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