日本中を激震させたジャニー喜多川氏の逝去から早くも2カ月以上が過ぎた。9月4日に東京ドームで行われた「お別れの会」には所属タレント、各界著名人をはじめファン8万8000人が来場。
しかし、翌日に飛び込んできたのは、かねてより噂の絶えなかった「関ジャニ∞錦戸亮 事務所退所」の発表。さらに、ジャニー氏が生前から目をかけていたJr.内ユニットHiHi Jetsの橋本涼、作間龍斗のプライベート写真が流出し、謹慎処分に追い込まれるなど、ジャニーズは今、問題続きだ。
錦戸のみならず、ジャニー氏の死の直後から、彼を慕ってきた複数の人気タレントの退所が噂されており、その動向に今も注目が集まっている。彼らをつなぎとめてきた氏の求心力とは一体どんなものだったのだろうか。印象的なその発言から、リーダーとして輝き続けたジャニー氏の魅力に迫ってみたい。
少年たちの権限を守る…YOUという呼称に込められた想いジャニー氏の発言を振り返るうえで欠かせないのが、バラエティ番組などでもお馴染みの「YOU」という呼称。アメリカ帰りであるジャニー氏「らしい」言葉であり、タレントたちの間でも格好のネタになっていた。
「どうしてタレントのことをYOUと呼ぶの?」
生前に出演したラジオ「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」(NHK第1、2015年1月1日)で飛び出した質問に、ジャニー氏本人はこう答えていた。
「アメリカではYOUが主語だから、とっさにね、つい言っちゃう。でもね、実はYOUしか覚えられない。半分(タレントたちの)名前が覚えられないんです。
これだけを聞くと、どちらかといえば消極的な理由にも聞こえるが、少年隊・東山紀之は、かつて掲載された雑誌「Grazia」(講談社/現在は休刊)の連載でこう分析していた。
「どんなに若い子でも、名前を呼び間違えられるととてもショックを受けるものだ。だからジャニーさんは誰に対しても一律『ユー』と呼びかける。あの『ユー』は、彼の優しさと人を尊重する信念の顕れなのだ」
(「Grazia」2012年12月号)
例えどんなに幼い少年たちでも、その尊厳を守り、傷つくことのないように配慮する。「YOU」という呼び名は、ジャニー氏の人間らしさがあふれた言葉なのである。
井ノ原は「牛丼」!? …独特の審美眼ジャニーズ事務所に送られてくる履歴書すべてに一人で目を通していたというジャニー氏。ジャニーズが隆盛を誇ってきたのは、タレントの原石を発掘するジャニー氏の「審美眼」があればこそと、しばしば語られてきた。
もっとも正統派な“ジャニーズ顔”といえば、少年らしさがあり、いくつになっても母性本能をくすぐる「二枚目少年系」。滝沢秀明や山下智久、Sexy Zone佐藤勝利、King & Prince平野紫耀らがその例だ。一方で、少年隊の東山紀之やKinKi Kids堂本光一に代表される「王子様系」や、元SMAP木村拓哉を筆頭に、KAT-TUN亀梨和也、Sexy Zone中島健人など独特のオーラを放つ「セクシー系」、V6森田剛や、元KAT-TUN田中聖などの「コワモテヤンキー系」も、いい意味でアクセントになる存在だ。
しかし、じっくり目を凝らしてみると、稀に「ん?」と首を傾げたくなる顔つきのアイドルが混ざっているのも事実。中でも、二重まぶたが常識のジャニーズ内で力を発揮(?)してきたのが、V6井ノ原快彦や、風間俊介に代表される「庶民派一重まぶた系」だ。
いまだに「ジャニーズじゃないでしょ?」と言われることがあるという井ノ原を合格させた理由についてジャニー氏は、本人に向かってこう明かしていたという。
「ステーキやお寿司は美味しいけど、毎日食べてたら、たまには牛丼も食べたくなるでしょ? 井ノ原はその役割なんだよ」
もちろん「不細工だけど、性格が男前だからいいんだよ!」とフォロー(?)も欠かさなかったというジャニー氏だが、
「ダメだった子はひとりもいない。どんな子でも輝きや、いいところを持っている」(「蜷川幸雄のクロスオーバートーク」NHK第1、2015年1月1日)
との発言のとおり、どんな原石でも可能性を信じ、磨き、輝かせてきたところにジャニー氏の真の力はあったのかもしれない。時代に合わせてさまざまなタイプの少年を網羅し、世間を飽きさせなかったジャニー氏独特の感性こそ、ジャニーズ事務所を巨大帝国へと築き上げてたベースにあるものなのかもしれない。
失敗は失敗ではない…貫かれるポジディブ思考ジャニー氏の口癖として知られる、「YOUやっちゃいなよ!」という言葉。タレントたちの新たな挑戦を支えた名言として語り継がれているが、同時に貫いてきたのが、「失敗は失敗ではない」という方針だ。
事務所入りした直後、ジャニー氏のそうした方針に救われたというのが関ジャニ∞村上信五。初めて出演したKinKi Kidsの舞台で緊張しすぎてステージ裏に下がるタイミングを逃してしまい、最終的に誰もいなくなったステージで、ド新人の村上がぽつんとローラースケートで滑ったままエンディングを迎えるという地獄のような状況に。「絶対、怒られる」と半泣きで舞台を下りた村上に、ジャニー氏は笑顔でこう声をかけたという。
「YOUいいよ、根性あるネ!!」
同じく、初めてのコンサートで頭が混乱してしまい、他のメンバーと反対方向にダッシュしてしまったのがV6岡田准一。
「岡田~! カッコイイよ~!!」
と絶賛したというから、これもすごい。
また、初めての紅白歌合戦で、司会の加山雄三から「仮面舞踏会」を「仮面ライダー!」と紹介され、衣装の早着替えにも失敗して号泣していた少年隊にジャニー氏は、
「すごくインパクトあったよ! ネタになるね、良かったじゃん!」
と嬉しそうに発言。それを聞いたメンバーは「失敗は失敗じゃないんだ」と思えるようになり、いつでも思い切ったアクションができるようになったという。
このほか、歌詞やダンスを間違えすぎて思い悩んだ元光GENJI赤坂晃が、ジャニー氏に相談したところ「間違えることは悪いことじゃない!」と逆に怒られたエピソードや、嵐・大野智が寝坊して遅刻した際に「寝坊って言うから響きが悪いんだよ。寝すぎたって言えばいいんだよ」と教えられた……など、挙げていけばきりがないほど。
大野の寝坊に関しては、正直「それは違うんじゃ?」と突っ込みたくなる気もするが、何事もポジティブにとらえるジャニー氏の思いが、少年たちを伸び伸びと成長させたことは間違いなさそうだ。
「社長」はNG、敬語もダメ!…ファミリーとしての絆タレントから「ジャニー社長」と呼びかけられるたびに「YOU、やめてよ! 気持ち悪いからやめて!」と徹底して嫌がっていたというジャニー氏。
ジャニーズ事務所では「ジャニーさん」を筆頭に、近藤真彦だけが「マッチさん」。それ以降はいくら年上の先輩であっても「東山くん」「城島くん」など、「くん」付けで呼ぶことが通例となっている。その背景には「ジャニーズファミリーでしょ? さん、っていうと仰々しいから。もっとフレンドリーにアメリカンスタイルにしなよ」というジャニー氏の意向があったと、V6坂本がラジオ(MBSラジオ『オレたちやってま~す』2002年11月30日)で明かしている。
また、嵐・大野がラジオで語ったのは、ジャニー氏のこんな一面だ。
「Jr.時代、ジャニーさんに『おはようございます』って言ったあと、他のJr.に『おはよー!』って言ったら、ジャニーさんに怒られたんだよね。『なんでボクだけ敬語なの? 仲間はずれにしてるでしょ!?』って。それからタメ口で話すようになりました」
(FM横浜『大野智のARASHI DISCOVERY』2002年10月22日)
もちろん、すべての相手にフレンドリーだったわけではなく、ジャニー氏本人は、記者や業界関係者などを相手に話す際にも腰が低く、丁寧に敬語を使う人物だったという。「ファミリーだからみんな仲良く」。ジャニーズタレントたちの和やかな雰囲気は、ジャニー氏が築きあげてきたものなのである。
ジャニー氏が天国へ旅立ったあと、多くの所属タレントたちが感動的な追悼コメントを発表したが、中でも印象的だったのは、元男闘呼組で俳優の岡本健一の語ったエピソードだ。
17歳と、年若くして母を亡くした岡本。その通夜に駆けつけたジャニー氏は、岡本や彼の家族に対し「あとは休んでていいから」と声をかけ、一人で徹夜をして線香とロウソクの灯を絶やすことなく守り続けていたという。「義理と人情」を大切にする、いい意味の人間臭さも持ち合わせていたのがジャニー氏なのだ。
また、「ジャニーさんに出会って、この世界のいろんな感動や希望や勇気を知った」と語っていたのが、現在、氏の後継者として「ジャニーズアイランド」の社長を務める滝沢秀明。「ジャニーさんは、オレにとって親父でもあり、社長でもあり友達でもある」と話す彼が10年前に明かしたのが、こんなエピソードだった。
「ジャニーさんから言われた言葉で一番印象に残っているのは『僕が10をあげるから、YOUたちは1を返してくれたらいい』っていう言葉。
相手に見返りを求めることなく、無償の愛を注いできたジャニー氏の人柄が垣間見える言葉だ。
社長でありながらもその権力を振りかざすことなく、常に謙虚に、少年たちと同じ目線に立ち続けてきたジャニー氏。そして彼自身も、そんな自分の生き方を楽しんできたように見える。
「自分のやり方を代々続けさせようとは思わない。親の気持ちで教育することは大切だけど、そんな愚直なやり方は、僕らの年代だからできること。みんな、それぞれのやり方で考えていけばいい。ただ、楽しいことが大切なんですよ」(「朝日新聞」2017年1月24日)
延べ数百人にのぼるアイドルとその卵たちに愛情を注ぎ続けたジャニー氏。そのやり方を簡単に真似ることなどできないが、自分らしさを貫きつつ「変化すること」も楽しんでいたその姿勢から、学べることはありそうだ。
(文=平松優子)