「プロ経営者」瀬戸欣哉氏の解任は、突然やってきた。LIXILグループは、創業家の潮田洋一郎氏が三顧の礼をもって招いた藤森義明氏、瀬戸欣哉氏という2人の「プロ経営者」のクビを相次いで切り、経営権を奪還した。



 LIXILグループの株価の下落は止まらない。12月12日には年初来安値の1272円を付けた(終値は1288円)。1月23日の年初来高値(3255円)から6割の崩落だ。1兆円を超えていた株式時価総額は、瞬時に6000億円分が消えたことになる。株式市場は、潮田氏の第一線復帰に「ノー」を突きつけたかたちだ。

 LIXILグループは10月31日、瀬戸欣哉社長兼最高経営責任者(CEO)がCEOを退き、創業家2代目で取締役会議長の潮田氏が11月1日付で会長兼CEOに復帰した。潮田氏がCEOに復帰するのは2011年7月以来となる。

 同時に、社外取締役として招いた大学時代からの盟友で元経営コンサルタントの山梨広一氏を最高執行責任者(COO)に就けた。瀬戸氏は19年3月末で社長を退く。後任社長には山梨氏が就任する。

 潮田氏が社長のクビを切るのは、中国子会社の不正会計を機に解任した藤森氏に次いで2人目。瀬戸氏は3年半でクビにした。


 各メディアは異様な会見の模様を伝えている。

 潮田氏は会見で、瀬戸氏に対する不信感を口にした。16年6月の社長就任を機に、瀬戸氏が放った「LIXILは純粋持ち株会社でなくてもいいのでは」との一言に潮田氏は驚いたという。

「先を見据えて価値のある事業を見極める純粋持ち株会社と、目の前の問題に対処する事業会社とは違う。瀬戸さんとの認識の違いが最後まで埋まらなかった」(潮田氏)

 一方、瀬戸氏は会見で、「(潮田氏と)経営の方向性が違ってきた」と指摘し、「対立するより潮田氏に(経営を)やってもらったほうがいい」と説明した。この言葉には、「潮田さんに経営をやれるのですか?」という痛烈な皮肉が込められている。いわば、2人は喧嘩別れした格好だ。

 潮田氏は、ひとかどの経営者と見なされていないことがシャクだったようで、11月2日付「日経ビジネスオンライン」のインタビューで、「私もプロの経営者だ」と仰天発言をしている。

「『プロ経営者2人に経営を任せてきましたが、今はどんな気持ちですか』と問われて、『私もプロと言えばプロ』と語り、経営への自信と自負を示したのだ」

 潮田氏は、自身が経営者に向いていないとわかっていたのではなかったのか。

●フェイク情報を使った瀬戸氏解任劇の内幕

「日経ビジネス」(11月12日号/日経BP)は『不可解な瀬戸氏の“解任劇”』と題して、その舞台裏を報じた。

「10月27日。LIXILグループ社長兼CEO(最高経営責任者、当時)の瀬戸氏にかかってきた1本の電話。
『これまで話してきた通り、自分がやりたいので辞めてほしい』。こう告げたのはLIXILグループの創業家で同社取締役会議長の潮田洋一郎氏だった。3年ほど前、瀬戸氏を招いた張本人である。

 瀬戸氏はかねて『プロ経営者として頼まれてここに来た。席を譲れと言われれば譲る』と公言してきた。だが、あまりにも突然の潮田氏の申し出に『約束は守るが、こんなタイミングで辞めれば混乱は見えている。上半期の業績は悪かったが10月から業績は回復しており、区切りのいいところまでやらせてほしい。今辞めるのは無責任だ』と答えた。それでも最後は『指名委員会の総意なので』と押し切られた」

 ところが、実際は指名委員会の総意ではなかった。

「瀬戸氏の解任と後任の指名は、『指名委員会で全会一致で決まった』と潮田氏は主張する。同委員会は潮田氏、山梨氏、前英国経営者協会会長のバーバラ・ジャッジ氏、元警察庁長官の吉村博人氏、作家の幸田真音氏の5人がメンバーだ。複数の関係者によれば、10月26日に緊急で招集された指名委員は『瀬戸氏から辞意の申し出があった』と説明を受けたという。
だが、瀬戸氏は潮田氏からの電話以前に、自ら辞意を表明したことはない」

 これが事実なら、潮田氏はフェイク(嘘の)情報で、指名委員会の承認を取り付けたことになる。指名委員会は潮田氏が招いた社外取締役で構成されている。

 潮田氏が“禁じ手”を使ってまで、瀬戸氏の解任を急いだ理由は何か。関係者の間では「瀬戸氏が虎の尾を踏んだ」との見方で一致する。

 17年8月、瀬戸氏はビルの外壁材カーテンウォールを手掛ける伊ペルマスティリーザを中国企業に売却する方針を決めた。カーテンウォールは総ガラス張りの高層ビルなどに使われる外壁材。潮田氏にはカーテンウォール世界最大手のペルマ社を手に入れることに強いこだわりがあったといわれている。

●粋人経営者、潮田洋一郎

 LIXILグループは、トステム、INAX、東洋エクステリア、新日軽、サンウエーブ工業の5社が11年に統合して誕生した。潮田洋一郎氏はトステムの創業者、潮田健次郎氏の息子。健次郎氏はトーヨーサッシという小さなアルミサッシ会社を、一代で日本最大の住設機器メーカーに育てた立志伝中の人物で建材業界の「買収王」といわれた。

 健次郎氏は06年、悲願だった売上高1兆円を達成。それを花道に引退した。
この時、誰も予想していなかった後継人事を断行した。長男の洋一郎氏を会長に据えたのだ。親子の葛藤もあって下馬評にものぼっていなかったから、業界はあっけにとられた。

 洋一郎氏は商売一筋の父親とは対極の趣味に走り、その趣味はハンパではない。歌舞伎演劇の古典、小唄・長唄・鳴り物(歌舞伎で用いられる鉦、太鼓、笛などの囃子)、茶道具、建築にわたる蘊蓄は玄人はだしと評されている。御曹司のステータスであるモータースポーツにも凝っていた。1991年から3年間、自動車レースF3000に参戦した。

 洋一郎氏の趣味人ぶりに、健次郎氏はほとほと困ったようで、一時は、後継者に据えることを諦め、副社長から平取締役に降格させた。結局、血は水よりも濃いということか。健次郎氏が後継者にしたのは、やはり洋一郎氏だった。

 洋一郎氏が趣味にのめり込みやすいことを熟知していた健次郎氏は、会社の定款に「住生活以外の事業は行わない」との趣旨の異例の一文を入れた。洋一郎氏は10年秋、プロ野球団・横浜ベイスターズの買収に名乗りを上げたとき、「プロ野球進出は『住生活以外に手を出すな』という先代の意向に反する」として古参幹部の猛反発を招き、断念せざるを得なかった。


●伊ペルマ社はグローバルM&A路線の象徴

 自分が経営者に向いていないと自覚していた潮田氏は、資本と経営を分離するため、有能な「プロ経営者」を探した。そこで目をつけたのが、米ゼネラル・エレクトリック(GE)出身の藤森氏だ。GEではアジア人として初めて同社の経営陣の一翼を担った「プロ経営者」という触れ込みだった。

 11年8月1日、藤森氏は住生活グループ(現LIXILグループ)の社長兼CEOに就任。藤森氏はただちに海外企業の買収に打って出た。同年12月、伊カーテンウォール、ペルマスティリーザを608億円で買収した。ペルマ社買収は、潮田氏が社長時代に決断したものだ。

 ペルマ社はLIXILのグローバルM&A路線の象徴的な案件だった。だが、瀬戸氏はペルマ社を抱え続けることは大きなリスクだと考えた。売上高は1600億円規模だが業績が振るわず赤字経営だ。そのため17年8月、中国のグランドランドホールディングス・グループへの売却を発表した。ペルマ社は米国売り上げが4割を占める。
納入先にはニューヨークのワンワールドトレードセンターなど著名建造物が多い。米中貿易戦争が激しくなり、米当局が中国企業への売却に待ったをかけたことで計画は頓挫した。

 その結果、LIXILの19年3月決算の中間期(18年4~9月)は赤字に転落。通期の業績見通しを下方修正した。19年3月期の連結純利益は当初予想の500億円から15億円(前期比97%減)に引き下げた。ペルマ社の売却で、今期は赤字分がなくなるとしていたが、売却の承認が得られなかったためペルマ社の赤字235億円が利益を大きく圧迫する。

 これだけではない。既存事業も新築着工件数の落ち込みや海外での新商品の発売遅延が響き、純利益が当初予想より62%少ない250億円にとどまる見込みになっていた。まさに内憂外患なのである。

 潮田氏は、2人のプロ経営者の仕事ぶりを見て「自分もやれる」と自信を持ったのではないかと推察される。そして瀬戸氏のクビを切り、潮田氏はCEOに復帰した。

「自分もプロ経営者」と意欲を示した潮田氏は、海外で再びM&Aに舵を切ると大見得を切った。父のような「買収王」になるつもりなのだ。市場関係者がまっ先に危惧したのは、野放図なM&Aによる財務の悪化という負の連鎖だ。そのため、LIXILグループ株式は売られた。
(文=編集部)

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