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Text by 山元翔一
Text by 美馬亜貴子



坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第4回の書き手は、元『CROSSBEAT』編集部で、『JAPAN 1974-1984 光と影のバンド全史』(2017年、シンコーミュージック)なども担当したライター/編集者の美馬亜貴子。

YMO(Yellow Magic Orchestra)散開後としては初のソロアルバム『音楽図鑑』(1984年)をとりあげて、「世界のサカモト」以前の坂本龍一の肖像に迫る。



私はいま、所用で博多にいて、とある商業施設のベンチに座っている。たくさんの観光客や家族連れが行き交う広場の片隅には一台のグランドピアノが置いてあり、自動演奏によっていろいろな曲が奏でられている。



次の用事まで少し時間ができたので、依頼されていた坂本龍一の原稿(本稿である)を書こうとPCを広げたら、グランドピアノからショパンの“幻想即興曲”やドビュッシーの“月の光”に混じって、不意に“Merry Christmas, Mr. Lawrence”が流れてきた。「おぉ、なんという偶然!」……と驚いたわけだが、いや、それほど驚くことでもないかとすぐに思い直した。発売当時はオルタナティブだったこの曲も、いまやすっかりスタンダードナンバーになった。

自動演奏のレパートリーに入っていてもなんの不思議もないだろう。



逝去が報じられた翌日から、さまざまなメディアで坂本龍一の追悼特集が組まれた。当然もっとも多く紹介されたのは“Merry Christmas, Mr. Lawrence”で、次が『アカデミー賞』作曲賞を受賞した“The Last Emperor (Theme)”、そのほか特集のボリュームに応じて“energy flow”やYMOの“東風”“Behind the Mask”あたりが加わるという具合だ。



もちろん文句はないのだが、デヴィッド・ボウイが亡くなったときにやたらと“Let's Dance”が流れて感じたのと同種のモヤモヤが胸に垂れ込める……といえばわかるだろうか。つまり、「一番売れたもの」や「一番話題になったもの」をつなげても、その人の人生の総括には及ばない。むしろ本質は、割愛してしまったもののなかにあるような、そんな気がしている。



世の中の人が抱く「坂本龍一像」というのは、「日本人初の『アカデミー賞』受賞者」という「権威」であり、世界を舞台に活躍した偉大な音楽家なのだろう。もちろんそのとおりなのだけれど、音楽家としての彼の魅力を思うとき、それらの要素は必ずしも第一義になるものではない。



坂本龍一 追悼連載vol.4:YMO散開直後の無垢な音の戯れ『音楽図鑑』

坂本龍一(さかもと りゅういち) / Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.



1952年東京生まれ。1978年に『千のナイフ』でソロデビュー。同年、Yellow Magic Orchestra(YMO)を結成。散開後も多方面で活躍。

2014年7月、中咽頭がんの罹患を発表したが、2015年、山田洋次監督作品『母と暮せば』とアレハンドロ・G・イニャリトゥ監督作品『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽制作で復帰を果した。2017年春には8年ぶりとなるソロアルバム『async』を発表。2023年3月28日、逝去。同年1月17日、71歳の誕生日にリリースされたアルバム『12』が遺作となった。



翻って、私にとって坂本龍一とはどのような存在であっただろうか。



彼は地方都市に住まう一介の小娘だった私の世界を広げてくれた。

ブライアン・イーノ、アンリ・デュティユー、高橋悠治(※1)、ナム・ジュン・パイク(※2)といったアーティストから、Prophet-5、DX7、MIDIといった機材やシステム、果てはポストモダン、ロハスという概念まで……彼のラジオを聴いて知ったことはたくさんある。



また、坂本が作品のなかで取り入れたことは、発表してしばらく経ってから広く脚光を浴びたり流行したりすることも多かったので、彼の音楽を通して世の中の動きやトレンドを学ばせてもらったりもした。



そんな「文化の恩師」を失ったショックは大きく、しばらくは何も聴く気になれなかったのだが、少し落ち着いたころ、最初に聴きたくなったのは中学のときに大好きだった『音楽図鑑』だった。



私が人生でもっとも聴き込んだ坂本龍一のアルバムである本作(※1)は、1984年、YMO散開後に初めてリリースされた、小品集といった趣のものである。彼の作品には明確なテーマやコンセプトがあるものが多いが、これは思いついたアイデアをスケッチのように書きとめ、それらをリファインしていったものだ(※2)。



中央アジア風のメロディーが印象的な“TIBETAN DANCE”(※)からはじまるアルバムは、“ETUDE”のように華やかなジャズの要素がある曲、“PARADISE LOST”のように南国の楽園っぽい雰囲気の曲、“M.A.Y. IN THE BACKYARD”のように現代音楽のエッセンスがある曲、果ては“森の人”“羽の林で”といったボーカルナンバーやアヴァンギャルドな作風の“A TRIBUTE TO N.J.P.”など実にバラエティー豊か。



前年の12月にYMOが散開し、喪失感が尾を引いているタイミングでリリースされたこともあって、いろいろなタイプの、しかもYMOと同じくらいキャッチーな曲が収録されている『音楽図鑑』は、YMOなきあとの生活に希望を与えてくれた、我々ファンにとって「救い」のようなアルバムでもあったのだ。



発売当初はそんな「ありがたやバイアス」がかかっていたこと、そして私自身が子どもだったこともあって、この作品にはとにかく知的で洗練された、スタイリッシュな大人の音楽というイメージがあったわけだが、いつのころからか、これはむしろ、瑞々しさと無邪気な好奇心が旨の作品であることに気がついた。



『音楽図鑑』には、「巨匠」でもなく、「世界のサカモト」でもなかった時代(もっとも、すでにその適格性は備えていたわけだが)の、ただ天衣無縫に音と戯れる彼の姿が刻み込まれている。もちろんフェアライトCMI(※)という当時最新鋭の機材を手にした興奮もあっただろうが、その後の作品と聴き比べてみても、断然カジュアルで楽しげな雰囲気なのが魅力だ。



とりわけ“SELF PORTRAIT”には音楽を演奏する喜び、ドビュッシーに憧れた少年時代のときめきがあふれており(※)、実際、制作時のドキュメンタリー映像を見てみると、緻密にアレンジを練っているというよりは、クリックに合わせて自由にピアノを弾きながら、しっくり来るかたちを「探っている」ような感じ。



「つくる」というよりも「できる」まで待つような姿勢に、改めて芸術家としての彼の真価を見たような思いがした。

「教授」と呼ばれていた彼が、音楽の前では極めて真摯で謙虚な「生徒」の顔を見せる、その瞬間が好きだった。



ご存じのとおり坂本龍一のデビューアルバムは1978年に発表した『千のナイフ』であり、『音楽図鑑』は4枚目のソロ作品になるわけだが、その無垢さにおいては、これが真のデビューアルバムなのではないかと思ったりもする。ロックで言うところのいわゆる「初期衝動」がもっとも表出しているアルバムはこれなのではないだろうか。



そして私は、奇しくも遺作となった『12』にも同じ雰囲気を感じとった。両者はスタイルが異なる作品だけれども、『12』の愛おしむように発された音には、音楽を愛し、人生を愛した坂本のもっともピュアな部分が凝縮されている。仙崖の晩年の作品にも通じる、無垢な達観である。



『音楽図鑑』と『12』を聴くたびに思うのは、私にとって坂本龍一はその偉大さによらず、存外身近な存在だったということだ。彼の音楽は私の人生のよすがである。いままでもそうだったように、これからも、ずっと。



※掲載時、作品情報に一部誤りがございました。訂正してお詫びいたします。