先日、お笑いコンビのはんにゃがSNS上でコンビ名を「はんにゃ.」に改名したと発表し、ネット上で話題となった。「はんにゃ.」の場合は末尾にピリオドがつくという軽微な変更だったが、お笑い界の第一線で活躍中のコンビのなかには、全く別のコンビ名で活動していたコンビも少なくない。

今回はその一部を紹介しよう。

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ダウンタウン

 昭和デビューながら、令和の現在も第一線で活躍を続ける松本人志浜田雅功からなるダウンタウン。押しも押されもしない2人だが、かつては改名を繰り返していた。松本人志がかつて『ワイドナショー』(フジテレビ系/毎週日曜10時)で、その変遷を語っており、当初は「松本・浜田」で活動をスタートしたが、よしもとの“お偉いさん”に「お前ら、見るからに暗いから名前だけでも明るくせい」と言われて「てるお・はるお」に。さらに「ライト兄弟」を経て、今のコンビ名にたどり着く。ダウンタウンという名前については松本が「『考えすぎるのやめよう』と言って。どこかの喫茶店で、週刊誌をペラペラとやって『指でバッと押さえたところをコンビ名にしよう』となったんですよ」と、偶然であったことを明かしていた。

ウッチャンナンチャン

 かつてはダウンタウンらと『夢で逢えたら』(フジテレビ系)で共演し、共に平成以降のお笑い界をけん引してきたウッチャンナンチャン。そんな2人は当初「おあずけブラザーズ」という名前で活動をスタートさせた。これは当時アイドルとして活動していた「おあずけシスターズ」をもじったもの。その後、南原清隆の思いつきで「ウッチャンナンチャン」になった。南原は「ちょうなんず」への変更を考えていたそうだが、当時出演していた『お笑いスター誕生』(日本テレビ系)のスタッフに却下されたそう。
今となっては、「ウンナン」の略称で完全に定着している。

さまぁ~ず

 三村マサカズ大竹一樹からなるさまぁ~ず。2人はもともと「バカルディ」として活動をスタートし、ライブシーンを中心にお笑いファンの支持を集めていたが、今ひとつブレイクしきれていなかった。2000年に放送された『新・ウンナンの気分は上々。』(TBS系)で、海砂利水魚(のちのくりぃむしちゅー)と対決し、負けた罰として「さまぁ~ず」に期間限定で改名。「バカルディ」に愛着を持っていた2人は当初改名に強い抵抗感があったが、改名をきっかけにゲスト出演した番組での活躍などで一躍ブレイク。名前が定着したこともあり、改名後のまま今に至っている。現在ではさまぁ~ずとしての活動歴が、バカルディ時代の活動歴を優に超えている。

■ くりぃむしちゅー

 有田哲平上田晋也からなるくりぃむしちゅー。彼らのコンビ名の変遷については、かつて上田が『太田上田』(中京テレビ/毎週火曜24時59分)で語っていた。当初、2人が付き人をしていたお笑いコンビ「コント山口君と竹田君」の山口ひろかずから「島原火砕流土石流」と命名された。これは当時、噴火していた雲仙普賢岳が由来だったが、さすがに過激すぎるということで「海砂利水魚」に落ち着く。
さらに2000年、『新・ウンナンの気分は上々。』で改名対決に敗れたさまぁ~ずにリベンジを挑まれて敗北。有田がクリームシチューが好物ということから、ひらがなで「くりぃむしちゅー」とすることに。さまぁ~ずと同様に改名は期間限定のはずだったが、結局そのままで今の活躍に至っている。

サンドウィッチマン

 『文春オンライン』発表の「好きな芸人ランキング」で3連覇するなど、人気コンビとしてたびたび話題になる伊達みきお富澤たけしからなるサンドウィッチマン。2人は仙台から上京し「親不孝」として活動していたが「銭(かね)と拳」に変更。由来については、『しゃべくり007』(日本テレビ系/毎週月曜22時)に出演した際、伊達が「世の中、結局金と拳だから」と語っている。しかし、それでも鳴かず飛ばずだった2人は、お笑い芸人の浜田ツトムを加え、お笑いトリオ「サンドウィッチマン」を結成。細身の浜田を、体格の良い伊達と富澤が挟むようなかっこうになったことがこの芸名の由来。浜田の脱退でコンビに戻っても名前は継続し、その後、『M-1グランプリ2007』(テレビ朝日系)で優勝。一躍、人気芸人の仲間入りを果たした。

よゐこ

 有野晋哉濱口優からなるお笑いコンビ・よゐこの最初のコンビ名は「なめくぢ」だった。
決める際に案を出し合い、相手を笑わせた名前にしようと決め、有野の出した「なめくぢ」の案に濱口が笑ってしまったことで決まった。ところが、この名前に対して事務所の上層部から「こんな名前で売れるわけない!」とNOを突きつけられてしまう。当時の2人は頑固で、先輩芸人らの説得にも首を縦に振らず。さまざまなコンビ名を提案されても拒否し続けていたが、偶然その場にあった雑誌「よいこ」(小学館)から「よいこ」と提案され、渋々受け入れることに。しかし、その後も有野はサインを書く時などに「い」を旧仮名遣いの「ゐ」と書くささやかな抵抗を続け、結局そちらが定着したという。

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