とんねるず石橋貴明(写真/Getty Imagesより)

 とんねるず・石橋貴明ときいて皆さんは何を思い浮かべるだろうか?

 若い世代の人たちはまず最初に登録者166万人を誇るYoutubeチャンネル「貴ちゃんねるず」を思い浮かべるだろうか。

 もう少し古い世代となるとさまざまなテレビ番組が浮かぶはずだ。

とんねるずさんの代表的な番組で”保毛尾田保毛男”や”仮面ノリダー”などの人気キャラクターを生みだした『とんねるずのみなさんのおかげです』、その後継番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』や番組から派生し数々の若手芸人をスターにした『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(すべてフジテレビ系)。そして今でも続いている特番の『スポーツ王は俺だ!』(テレビ朝日系)、さらにTBS中居正広さんとやっていた歌番組『うたばん』。僕より上の世代だと『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)も入ってくるだろう。

 しかもとんねるずさんの場合、バラエティだけに留まらず、第22回日本歌謡大賞の大賞に輝いた「情けねぇ」を筆頭に、数々の曲をヒットさせ「野猿」や「矢島美容室」などの人気ユニットを立ち上げるなど、音楽シーンでの活躍を思い浮かべる人も少なくないはずだ。

 そんな様々な活動をしてきた貴さんだが、僕たちおじさん世代にとって必ず思い浮かべるものがある。それは森永製菓「おっとっと」のCMだ。

 僕が子供の頃、「おっとっと」のCMは毎日のようにテレビから流れ、「おっとととーのおっとっと」というフレーズは子供たちの脳みそを鷲掴みにし、小学校のひょうきん者は必ずと言っていいほどモノマネをしていた。そんな誰もが当たり前に見ていたCMは気が付くといつの間にかテレビから姿を消した。

 だが、なんとこの度、森永製菓「おっとっと」シリーズ発売40周年記念WEB動画として、貴さんが26年ぶりにCMに出演したのだ。「おっとっと40周年ヒストリーwith石橋貴明」と題して、公式Youtubeチャンネルおよび公式ホームページの「CMギャラリー」にて公開された。

 内容は記念すべき初CMとなった1982年から14年間の歴代CMキャラクター達と現在の貴さんが共演するというもの。それにプラスしてメイキングやインタビューまで入っていて、見どころ満載な仕上がりとなっている。

 今回はそんな石橋貴明さんを元芸人として軽掘りしていく。

 僕が、どことなく芸人は破天荒でスリリングなものだというイメージがあるのは紛れもなく、貴さんの影響だ。今現在の貴さんしか知らない人はもしかしたらそのイメージは湧かないかもしれないが、数々の破天荒な伝説がある。

 まずはカメラ転倒事件だ。昔フジテレビでやっていた『オールナイトフジ』という深夜番組で、とんねるずさんの楽曲「一気!」を歌っている最中に貴さんが、1台1500万円もするカメラを揺さぶり転倒させるといったエピソード。

 小学生だった僕は寝る時間が決められていた為、直接見ることは出来なかったが、中学生くらいの時にテレビでこのVTRを見て、現場の空気や、出演者の血の気の引く顔がとても衝撃的で忘れられない映像となっている。

 そしてもうひとつ貴さんといえばTBSでやっていた歌番組『ザ・ベストテン』でのエピソードだ。

 登場する際にお神輿に乗って登場する予定が、お客さんが殺到してしまい衣装を引っ張るなどの邪魔をされ貴さんだけお神輿に乗れず、さらにもみくちゃにされた結果、怒った貴さんがお客さんに殴りかかった。そしてなんとかステージまで辿り着いたが怒りがおさまらず、ステージ上でお客さんに対して「ふざけんじゃねーぞ!コノヤロー!」と怒号を浴びせたのだ。

 収録ではなく生放送だったのでカットされることもなく一部始終放送され、子供ながらにタレントが一般の人に殴りかかるという出来事は凄まじいインパクトで、しかも大人が怒りで喚き散らす様は見たこともない異世界であった。これが僕がいまだに芸人に対して持っている破天荒なイメージの原因である。

 ただ貴さんのこういった破天荒な行動は、したくてしていたのではなく、そうしなければならない理由があったのではと思った話がある。

 当時、とんねるずさんはお笑い第三世代の代表と言われていた。他にはダウンタウンウッチャンナンチャンヒロミさんがいたトリオB-21スペシャルなどが第三世代と呼ばれていた。

 僕はそんな第三世代のウッチャンナンチャンさんの事務所で芸人をしていて、今から25年ほど前、まだ駆け出しの新人だった頃ウンナンさんと飲む機会があり、南原さんからこういう話を聞いた。

「俺が初めてとんねるずさんと会ったとき、貴さんに、『やっと俺たちの後に続く若手コンビが出てきたか』と言われたんだ。たぶん大阪にはテレビで活躍する若手芸人がたくさんいたけど、東京の若手はとんねるずさんだけで頑張ってたから、俺たち(ウッチャンナンチャン)とかB-21がテレビに出てきて貴さん的に少しは肩の荷がおりたんじゃないかな」

と。確かにそう言われてみると、第三世代の芸人でとんねるずさんの後はウッチャンナンチャンさんやB-21スペシャルさんとなる。

ということはとんねるずさんがオールナイトフジで人気が出始めた83年からウンナンさんが人気が出る88年まで約5年間、とんねるずさんしかいなかったことになる。

 5年もの間、第一線で活躍するのは並大抵のことではない。もしかしたら貴さんはお客さんやテレビ関係者が求める石橋貴明という強烈で破天荒なキャラクターを使い、東京の笑いを必死に守り続けたのではないだろうか。

 僕は南原さんの話を聞いた時、薄っすらそう思った。今回「おっとっと」のWEB動画を見て、その思いに対して僕なりに答えが出た。

 インタビューパートで貴さんが「予定調和は絶対にやらないということを肝に銘じてきた」と仰っていた。

これは芸人なら誰しも思うことで、皆さんも聞いたことがあるかもしれないが「リハーサルでやったことは本番ではやらない」とか「台本に書かれているボケは自分なりに変える」などスタッフさんが想像している笑いや用意した笑いは絶対にやらない、その笑いを上回るという思想が芸人の中では当たり前のように根付いている。

 ただ貴さんは動画中に次の発言もしている。

「おっとっともそうだと思うが、求められているのは変わらぬ味であり、とんねるずでやってきた笑い、石橋貴明のやってきた笑いっていうのは絶対変えないし、変えるつもりもない。それは40年やってきた僕のプライドみたいなもの」と。

 予定調和は絶対にやらないのに求められている変わらぬ味を提供すると。一瞬これは矛盾しているように聞こえるがそうではない。

 貴さんに求められている変わらぬ味は『予定調和を絶対にやらない石橋貴明』というキャラクターであり、破天荒な行動なのだ。

 当時東京の笑いを守り続けた予定調和を絶対にキャラクターは、今はとんねるずの笑い、石橋貴明の笑い守っているのではないだろうか。そう思えたとき、あの当時の考えが当たっている気がした。

インタビューの最後はこんな文章で締めくくられている。

「どんなに時代が変わっても、変わらぬ味を貫き通す」

 この言葉は40年間ひとつキャラクターを貫き通した『とんねるず石橋貴明』にこそふさわしい言葉であり、説得力がある言葉である。

追伸
よし、今から貴ちゃんねるずを見ながらおっとっとを食べることにしよう。