女子マンガ研究家の小田真琴です。太洋社の「コミック発売予定一覧」によりますと、たとえば2015年9月には940点ものマンガが刊行されています。

その中から一般読者が「なんかおもしろいマンガ」を探し当てるのは至難のワザ。この記事があなたの「なんかおもしろいマンガ」探しの一助になれば幸いであります。前編では話題のマンガをご紹介します。

◎『ヒモザイル』が大炎上! どこが問題だったのか?
 2カ月連続で東村アキコ先生の話題で恐縮ですが、新連載の『ヒモザイル』(講談社「月刊 モーニングtwo」連載)がまたもや話題です。っていうか炎上しています。第1話が雑誌に掲載された時点ではほとんど反響がなかったものの、ネットで無料公開されて一気に延焼。
一体どこが問題だったのでしょうか。

 『ヒモザイル』は東村先生のもとで働くアシスタント男子たちを、いい感じのヒモ風男子に仕立ててバリキャリ系女子とマッチングさせようとする、結婚ドキュメンタリー作品です。現在発売中の「モーニング two」11号に掲載されている第2話を読む限りでは、「オタク男子改造計画」的な要素こそがこの作品のエッセンスであるようなのですが、その前段階となる第1話には地雷が散見されました。論点をまとめてみたいと思います。

1:“セレブ”ママ友の失礼な物言い
 冒頭に登場する東村先生の“セレブ”ママ友。東村先生とお茶をしに行くために、彼女は子どもを東村先生のアシスタントさんたちに預かってもらうのですが、帰り道で彼女はおもむろにこう言うのです。
「東村さんから見てあの子たち…見込みあるの?」「だってもういい歳じゃない」「うちの子があんな風になったらどうしよう…」。こやまゆかり作品に今にも登場しそうな悪役キター! と思いきや、東村先生はあっさりとその価値観を肯定します。「どう考えてもあっちのほうが圧倒的に普通だ」「あの人は意地悪でそういうことを言ったんじゃない」「あれは子を想う母親の一般的な感覚だ」。

 違和感とともに、苛立ちを覚える表現です。それって本当に一般的なのでしょうか? 思うのは勝手ですが、つい先ほどまで子どもを預かってもらっていた人に関して、わざわざ口にすべきことでしょうか? そして子どもの幸せを親が勝手に規定するのは、典型的な毒親の思考法ではないでしょうか? まったく「普通」などではなく、この“セレブ”ママ友はかなりの無神経であり、その世界観は甚だ偏狭で貧弱です。勝ち負けのある世界の幸せだけが唯一絶対の幸せだと考えるのは、「勝った」人間特有の愚かな驕りに他なりません。
なによりもこのくだりを、アシスタントさん本人はもちろん、もしもその親御さんたちが読んだら……と思うと、いたたまれない気持ちになります。

>2:専業主夫/主婦に対する職業蔑視
 「ヒモザイル」は本作において以下のように定義づけられています。「働く女性を支えるために精神面・肉体面・家事育児 すべてをサポートする代わりに日々の生活費をすべて女性に出してもらう」。その横には洗濯物を干すさわやかなメガネ男子の絵。これは「ヒモ」ではなくてずばり「専業主夫」です。

 「紐」を辞書で引きますと「女を働かせ金品を貢がせている情夫を俗にいう語」(三省堂「大辞林」)とあります。
多分に侮蔑的なニュアンスのある言葉として世間一般には認識されていることでしょう。一方、「専業主夫」は家事労働を主な仕事とする男性を指します(そういえば女性マンガ家さんの夫にも、専業主夫として働いていらっしゃる方が何人かいらっしゃいますよね)。それを「ヒモ」呼ばわりすることは、どう足掻いても正当化できません。このタイトルを事前告知で初めて目にしたときは「おもしろいタイトルだなあ」と素直に感心したものですが、この文脈ではいただけません。

 そしてこれはまた専業主夫のみならず、専業主婦に対する侮辱でもあります。ここでコケにされているのは、「専業主夫」であると同時に「家事労働」であるからです。
先ほどの説明文の「女」を「男」に置き換えれば、それはそのまま専業主婦の説明となることでしょう。家事労働に価値などなく、自らお金を稼ぐことのない専業主婦は「毎月しっかりお給料を稼ぐ」男の「情婦」であると、遠回しに言っているようにも読めてしまいます。

 ここで恐ろしい事態に思い当たります。冒頭に登場した“セレブ”ママ友は、平日(作中に出てくる『ミヤネ屋』から、平日だと判断しました。わずかながら祝日の可能性もありますが)に子連れでやって来た描写などから、総合的に判断して、かなりの確率で専業主婦であると予想されます。一度は「母親代表」のようにして“セレブ”ママ友を持ち上げた東村先生ですが、専業主夫をヒモ呼ばわりすることによって、結果的にこの“セレブ”ママ友のことも貶めているのです。
前述の“セレブ”ママ友の言動といい、この人たちは本当に「友達」なのでしょうか……?

3:アシスタントに対するパワハラ
 先日放送された『漫勉』(Eテレ)を拝見するにつけても(とても興味深い番組でした)、東村先生のもとに何人かの男性アシスタントがいることは事実です。おそらく本作も彼らがアシスタント業務を請け負っていることでしょう。もしかしたら“セレブ”ママ友のエピソードの背景なども、彼らが描いていたかもしれません。

 本作にはパワハラと思われても仕方のない描写がいくつか登場します。外部に対する謙遜込みとは言え「バカ」呼ばわりしている点、仕事上での上下関係を利用した本来の職務外の業務(勤務時間中に“セレブ”ママ友の子どものお守りを押しつけているところ、ヒモザイル研究生にすることなど)の強要、雇用者でありながら「こいつらの将来のことなんて考えたこともなかった」などと言うところ……などなど。このあたりは誇張や演出もあるでしょうし、第三者からは窺い知ることのできない作家とアシスタントの関係性もあるので、なんとも踏み込みづらいところではありますが、ひとつだけ確かなことがあります。東村先生はアシスタントさんたちの将来をちゃんと考えているのです。

 前述の“セレブ”ママ友の言葉を受けて、東村先生は「今まで私は自分の原稿さえ上がればそれでよかったのだ」「こいつらの将来のことなんて考えたこともなかった」などと述懐するのですが、この言葉を額面どおりに受け取るわけにはいきません。たとえば以前にアシスタントだった『ZUCCA×ZUCA』(講談社)のはるな檸檬先生に「ヅカマンガを描いた方がいい」とアドバイスしたのは他ならぬ東村先生ですし、ニュースサイト「ナタリー」での師弟対談では、当時のはるな先生との関係をこのように語っています。

「家族ですね、完全に。もう妹のような感じで。だから『この子の将来どうしようか』とかはずっと思ってましたね。マンガ家志望の子なら『描け描け』って言って、マンガ描かせればどうにかなるんだけど、そうじゃないから私がもう『やめろ』って言ったんです。マンガ家になりたいんじゃないんだったら、ここにいてもあんま意味がないっていうか……」

 作話の都合上、この方が流れが作りやすいから……と、「こいつらの将来のことなんて考えたこともなかった」といったような表現を採用したのだと考えます。となれば、アシスタントとの関係性も、作品中に描かれたとおりに受け取るのは危険です。パワハラ疑惑には検討の余地があります。

◎「炎上」は妥当な結果だったのか?

 東村先生の作家としての最大の長所は、物事を単純化して咀嚼し、シンプルで力強いアウトプットにまで持って行くことのできる理解力と表現力です。かつて『ひまわりっ ~健一レジェンド~』(同)で副主任がマンガ家志望の若者相手に投げかけた端的かつ的確な言葉とアドバイスは、現実社会でもマンガ家が実際に応用できてしまうのではないかという説得力にあふれたものでした。『かくかくしかじか』(集英社)では、美大予備校で名教師として手腕を発揮した様子も描写されています。

 それが今回は裏目に出てしまいました。さまざまな事象を単純化しすぎたがゆえに、やや配慮に欠ける描写があったことは否めません。

 ほかにも『東京タラレバ娘』(講談社)で見られた30代有職独身女性に対するバッシングなどもあり、つまり本作は、将来が不安定な非正規雇用労働者男性と、結婚しそうにない独身有職女性を中心に、返す刀で専業主婦をさらりと叩きつつ、ほぼ全方位を攻撃しながら、自らも含めた経済的・社会的勝者のみを唯一絶対の正義とする構造で描かれています。IT系の経営者などが本作を積極的に評価しているのも納得です。彼らには自らの正当性・優位性を再確認できるエンタメ作品として受容されているのでしょう。

 ところが第2話を読む限りでは、第1話がなくとも、(アシスタントのいじり方に好みが分かれるところとは言え)「オタク男子改造計画」として楽しめる作品になっています。「大傑作」とまでは言えませんが、いつもの東村節が炸裂しているのです。

 “セレブ”ママ友のくだりには不自然な点もあります。普段は無駄に高い飲食代を毛嫌いする東村先生が、わざわざ「高い高い紅茶とケーキを食べながら」なんて煽り気味に書いておきながら、それはなんら回収されることがないのです。さらに「恵比寿で女友達が飲んでいるというので顔を出しに行った」というコマで描かれている店は、おそらく青山の「ナプレ」。単にこれは場所を濁しただけでしょうか? それともこんな女子会は本当は開かれていなかったのでは?

 そもそも東村先生はことのほか炎上を恐れている人です。『ママはテンパリスト』1(集英社)のあとがきには、ネットで叩かれることを恐れて「育児に関するハウツー的な情報を一切描かない」と決めた、と書かれていますし、東京オリンピックのエンブレムに関するTwitterでの発言がやや問題になったときにも、即座に消して謝罪しています(8月26日)。

 本作はまだ第2話です。寄せられた批判や不自然なあれこれは、きっと作中で回収されていくものと信じたいです。安直に謝罪や撤回をするのではなく、マンガ家は、やはりマンガで応えるべきだと思うからです。

小田真琴(おだ・まこと)
女子マンガ研究家。1977年生まれ。男。片思いしていた女子と共通の話題が欲しかったから……という不純な理由で少女マンガを読み始めるものの、いつの間にやらどっぷりはまって、ついには仕事にしてしまった。自宅の1室に本棚14竿を押しこみ、ほぼマンガ専用の書庫にしている。「SPUR」(集英社)にて「マンガの中の私たち」、「婦人画報」(ハースト婦人画報社)にて「小田真琴の現代コミック考」連載中。

※画像は「モーニング・ツー」(講談社)2015年10月号