本題に入る前に、まず、洞窟内にどうしてツララやタケノコが生えるのかをおさらい。鍾乳洞は石灰岩という岩からできている。雨水や地下水が石灰岩に触れると、水の中にほんの少しだけ岩が溶け込む。その水が洞窟の天井からポタっと落ちるとき、溶けた岩の成分がそこで再び固まることがある。落ちる前に固まれば天井からぶら下がるツララに、落ちた後に固まれば地面から生えるタケノコになるわけだ。何百万年もたつと、上下がつながって柱になることも。
龍河洞には昔、弥生人が住んでいた。彼らが洞窟に置き忘れた壺(後に「神の壺」と命名)に水がポタリ、ポタリと落ちるうち、壺はだんだんと石灰岩に埋まっていった。置き忘れてから2000年、壺の3分の1が岩に埋まった頃、同じ洞窟に今度は昭和人がまた別の壺を置いたのである。これが実験の始まり。
「洞窟の発見が昭和6年、実験を始めたのが昭和12年です。
(財)龍河洞保存会会長の岡崎さんはこう語る。実験は長期に渡っており、太平洋戦争や高度成長期を経て既に71年が経過。いったいいつまで続けるのか。
「ずっと続けたい、と思っています」
壺は中に水がたまらないようにするためだろうか。逆さに置かれている。見ると、地面に接した口の部分が岩にくっつき始めている。岡崎さんによると、口の部分だけでなく、表面にも炭酸カルシウム(石灰岩の主成分)が付いているのだという。
残念ながら、壺の変化を写真に記録したりはしていないとか。例えば1年に1枚撮影して、パラパラ漫画風にしてみたら面白いのではないだろうか。この実験、通常の見学ルートの途中で行われているので、観光客でも見ることができる。
「実験の印象はかなり強いようです。
2000年というとちょっとピントこないけど、70年というとかなり現実的。自分の人生の間に岩と壺がくっついちゃうという事実の方が、インパクトが強いのかもしれません。
(R&S)