「星が痛い」
四肢を失った少女、灰原由宇(はいばらゆう)は、対局中につぶやく。
卒業旅行で海外に行った彼女は、拉致され、四肢を切断される。

そして競売にかけられ、賭碁師の大金持ちに買われてしまうのだ。
賭碁によって自由をとりもどすため、由宇は碁を秘かに憶え、その勝負に勝つ。
そして、プロ棋士の相田九段と巡り逢い、棋界のトップへとのしあがっていく。

宮内悠介「盤上の夜」は、盤と石こそが自分の四肢であるような少女を描いて、壮烈な碁の勝負世界を描く短編。

そして一冊の本として上梓された『盤上の夜』は、囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋といった卓上遊戯の対局をめぐる短編集だ。

こ、これが、すごいんですよ。

語り手はジャーナリスト。
表紙に「第1回創元SF短編賞山田正紀賞受賞作品」となければ、卓上遊戯をめぐるルポルタージュが六編収録されていると勘違いする人もいるのではないか。

たとえば「人間の王」は、チェッカーの物語。
人間の王とコンピュータの対局、その果てにあるものを探るスリリングな短編。
主人公は、マリオン・ティンズリー。
40年間でわずか3敗の王者ティンズリーは、1994年コンピュータ対局で、6局連続ドローの激戦後、体調を崩し、翌年亡くなる。

「私は勝てる。ソフトのプログラマーは人間だが、私のプログラマーは神だから」という言葉を残している。
チェッカー好きならご存知だろう、このチェッカーの王、実在の人物だ。

「清められた卓」は、あまりの異様さ、異質さゆえに公式記録から抹消された麻雀の対局を探る物語だ。
戦う四人は、以下の通り。
新興宗教のカリスマ真田優澄。

確率計算の天才、アスペルガー、九歳の当山牧。
Aリーグのプロ新沢駈。
精神科医の赤田大介。
対局は、宗教と科学と美学の争いになり、人間の心を動かす壮絶なバトルとなる!

チェスの起源と考えられているチャトランガを扱った「象を飛ばした王子」は、『ヒストリエ』を連想させる。
“シャカ族の最後の王子にして、かの釈尊、ゴーダマ・ブッダの実子”が主人公。
政治と遊戯、歴史の大きなうねりと個の運命、遊戯の存在意義、多くのものが圧縮された物語に圧倒される。


さすがに「千年の虚空」を読むと、あ、これ、ルポルタージュじゃないんだ、と気づくだろう。
何しろ、「ゲームを殺すゲームを作る」ために歴史学を再構築する「量子歴史学」を模索探求する政治家の兄と(! 新しい世界史!)、「将棋というゲームを通して神を再発明する」ことを望む弟と、謎の美少女の物語だ。

最後の短編は「原爆の局」。
昭和20年8月6日、場所は広島市郊外五日市町、第3期本因坊戦第2局。
橋本宇太郎本因坊と挑戦者岩本薫七段、対局時に、原子爆弾が投下さる。
“窓ガラスは粉々に砕け、障子や襖が倒れ、ドアがねじ切れ、鴨居が落ち、石はバラバラに吹き飛ばされた。
刹那、皆の意識が飛んだ。岩本は盤上に突っ伏し、ややあって、庭に出ていた橋本が戻ってきた。家屋は半壊していた”
そして、その後―。
“「二人は吹き飛ばされた石を元に戻し、碁を打ち続けたのです―」”。
すごいシーンを考えるなーと思ったら、これ、史実なのだ(原爆下の対局:ウィキペディア)。
もちろん、この短編では、それを超えんとする凄い対局が描かれる。


遊戯が、それを模す現実を超えてしまうことがあるように、物語もそうなることがある。
このSF短編集は、ぼくにとっては、すべてノンフィクション以上の、現実を突き抜けた向こう側を垣間見せ、読み終わったいまでも、響きが止まらない。
傑作。(米光一成)

おっと、今日(4月26日)、トークショーがあるようです(→Live Wire [94] 12.4.26(木) 新宿道楽亭|大森望のSF招待席#1 山田正紀x宮内悠介「盤上のオペラ」