2013年10月10日、アリス・マンローがノーベル文学賞を受賞することが決まったと報じられた瞬間、私は早稲田大学の教室で座っていた。来日したロシアの作家ウラジーミル・ソローキン(『青い脂』『親衛隊士の日』)と芥川賞作家・藤野可織(『爪と目』『おはなしして子ちゃん』)の対談講演を聴きにいっていたのだ。

先走って「村上春樹がノーベル文学賞受賞」と流してしまった全国紙のネットニュースがあった。すぐに誤報だと判明するのだが、一瞬だけ騒ぎになった。司会役を務めていた市川真人は客席のざわめきからそのことを知り、「今、日本中がその話題で盛り上がっていますが、この教室内だけは別世界ですね」と言ってみんなを笑わせた。

アリス・マンロー。
新刊、『ディア・ライフ』の著者紹介を参考にプロフィールを書いてみる。

彼女は1931年、カナダ・オンタリオ州の田舎町で生まれた。
その町の情景はおそらく、マンロー作品の随所で見ることができる。書店経営を経て1968年に初の短篇集"Dance of the Happy Shade"が「総督文学賞」を受賞した。
これはカナダ文学会が1937年に設置した賞で、同国ではもっとも権威ある文学賞とされている。最初は英語作品だけだったが、現在では英仏の2つの言語別にそれぞれ選考が行われている、というのはお国柄を表していて、少しおもしろい。マンローの前々年には友人でもあるマーガレット・アトウッドがこの賞を獲得している。マンローもアトウッドも複数回の受賞経験者だ。
その他の日本でも知名度の高い作家だと、1992年にマイケル・オンダーチェが『英国人の患者』で受賞を果たしている(彼も複数回受賞者だ)。

その後の受賞歴を描くと、W・H・スミス賞(1959年〜。英国の小売業者がスポンサーとなる、国籍・性別・年齢などの制約を配した幅広い文学賞)、PEN・マラマッド賞(1986年〜。作家バーナード・マラマッドを記念して贈られるもので短篇が対象)、全米批評家協会賞(1976年〜。英語作品を対象とするアメリカの文学賞)、国際ブッカー賞(2005年〜。ブッカー賞はイギリス連邦およびアイルランドの作品を対象とするが、それにこだわらず、優れた業績を残してきた作家に対して与えられる。
隔年決定)とあり、寡作ながら世界で高く評価されてきた作家だということがわかる。2005年にはタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」にも選出された。
別記事で書いたことと重複になるのでここでは紹介しないが、いわゆるライターズ・ライターとして、プロの書き手たちにも愛され、尊敬されてきた作家の1人でもある。

2013年12月に刊行された『ディア・ライフ』は、そのマンローの最新、かつ最後の短篇集と考えられている作品集だ。最後というのは、2012年に本書を発表したあとで、マンローがおそらくは健康上の理由で引退を宣言しているからである。しかし本書に収録された14篇の作品はいずれも瑞々しく、美しく、そして愛らしく、老齢ゆえの衰えなど微塵も窺えない。
ただし巻末に「フィナーレ」として4短篇が置かれており、作家の意志がそこに示されている。これらはマンローが自らの人生を反映した形で綴ったものであるという。

どの作品も密度が素晴らしく、紹介するのに困ってしまうほどだ。
遠距離列車が駅に近づいてきたところで速度を落とす。そのときに1人の男が飛び降りる場面から始まるのが「列車」という作品である。語り手を務めるその男は、戦争から帰ってきた復員兵だ。
彼は歩き出し、ベルという女性が家畜小屋で動物たちの世話をしているのに出くわす。彼女の父は新聞のコラムニストで、母は1918年にインフルエンザが流行して以降、精神を病んで家に閉じこもって生きていた。しかし両親が相次いで亡くなり、ベルは天涯孤独の身の上になってしまったのである。家の中はあちこち補修が必要で、男はその手伝いをしながらベルとともに暮らし始める。
ベルの父親は列車に轢かれて死んだ。そして同じ列車から男は飛び降りてベルの家にやってきた。
投げつけられるように読者に与えられた2つの出来事は共に、「語られ残された」ものを背景に有しているのだが、それらは読者の予期するようなタイミングではなく、思いがけないときに明らかにされる。マンローの小説では数行の間に長い時が過ぎ去ることがあるため、登場人物の長い人生のどこからどこまでが描かれるのかさえ、読む前には予想をつけることができないのだ。
いつの間にか見えてくるものがある。到来の瞬間はあまりにさりげないため、うっかり通り過ぎてしまった不注意な読者は、数行後に慌てて戻ることになる。「アムンゼン」は結核の子供たちが暮らすサナトリウムに教師として赴任してきた女性が主人公の作品で、恋愛小説としてごく皮肉な結末を迎える。この小説でもびっくりするようなタイミングで決定的な事実を告げる文章が差し挟まれ、不注意な読者である私は慌ててそこに戻ったのだった。作者は読者を驚かせるためにそうしているのではない。物語内の時間を自然に流すために淀みが生じる瞬間を作らないようにしているのだろう。
そのために緊張感が漂うこともある。「安息の場所」は、頑迷と言っていいほどのキリスト教信者である叔父と、彼の支配下に置かれて所在なげに日々を送っている叔母を、彼らの家で暮らすことになった主人公の少女の視点から描いた作品だ。叔母の人生は明らかに揺らいでいるのだが、マンローはそのことを書くのに直截的なやり方はせず、1つの媒介物を置いて語っていく。そのため物語はさしたる緊張感もなくゆっくりと進んでいく。しかしある瞬間にそのムードは失われ、きなくさい臭いが漂うことになるのだ。その焦熱の時間も、あっというまにやってきてすぐまたどこかに去ってしまう。

マンローの小説にはまったくけれんというものが感じられず、静謐な筆致は決して崩れない。しかし読者が受ける感銘は並大抵のものではない。こんな小さな箱にどうしてこれほど大きな物語が詰まっているのだろう。つまるところ、読者が言いたくなるのはそういうことなのだ。本当におもしろい短篇というのはこういう作品のことを言うのである。

マンロー作品はしばらく品切状態が続いていた。ノーベル賞受賞が決まった後で書店に行ってみると、そこにはマンローの作品ではなく、村上春樹編のアンソロジー『恋しくて』が平積みにされていた。「祝ノーベル賞受賞、アリス・マンロー」と書かれた貼紙の下にその本があると受賞者を勘違いしてしまいそうになるが、『恋しくて』にはマンローの「ジャック・ランダ・ホテル」が収録されているのであった。村上春樹、よくわかってらっしゃる。
その後品切れになった作品が復活し、現在では新潮社クレストブックに入った『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』という3作品も読むことができる。この機会にぜひ、マンローを手に取られることをお薦めしたい。あなたの短篇小説観が変わるかもしれません。

※1月24日、午後7時半よりマンロー翻訳者の小竹由美子さんをお招きして外国文学についてのトークイベントを開催します。案内ページをご覧になって、ぜひお越しください。
(杉江松恋)