間もなく宝島社「このミステリーがすごい!」投票が開始される。年末ランキング戦争の時期である。
今年もミステリー界は豊作だが、その中でもひときわ注目を集めている作品がある。若干25歳にて作家デビューを果たしたアメリカの新鋭ロジャー・ホッブズの『ゴーストマン 時限紙幣』(文藝春秋)だ。すでに出版社サイトにインタビューも掲載されているが、今回はその完全版をお届けする。若き俊英の声を聞いてください。
(聞き手:文藝春秋・永嶋俊一郎)

──あなたは20代前半でデビューを果たしました。いつ頃から文章を書きはじめたのでしょう。
RH 自分が何で生計をたてたいのか早いうちに悟ることができたのは幸運でした。はじめて小説を書いたのは──ひどい出来の短いSF小説でしたが──13歳のときです。両親がパソコンを買ってくれて、それを起ち上げるや、わたしはキイボードを叩いていましたね。
それ以降もずっと書きつづけていましたが、これを仕事にしようと決めたのはハイスクール時代で、このあいだに五作の長編を書き上げて、なんとか出版してもらおうと膨大な時間を費やしました。売り込みの手紙を添えて、長編の冒頭部分の原稿を何百もの出版社や版権エージェントに送ったのです。もちろん無駄骨折りに終わりました。
わたしの書きぶりはまだ出版できるレベルにはほど遠いものでしたから。でも、これはいい勉強になりました。

──当初からミステリ作家を目指していたのですか。
クライム・フィクションを書こうと思ってはいなかったですね。キッカケになったのはロバート・クレイスの『モンキーズ・レインコート』を読んだときでした。とてもよくできた小説で、文体も非常に強力で、これこそ自分のためのジャンルだと思ったのです。

──そして大学時代にデビューに至ったわけですね。
RH 最初に才能が公に認められたのは19歳のときでした。わたしが書いたコメディの脚本が二つのフェスティヴァルで上演されたのです。その頃にも何作か長編を書き上げていて、やはり何百もの版権エージェントや出版社に送っていたのですが、梨のつぶてでしたね。もちろん、努力はつづけましたが。
その1年後、20歳のときに、はじめて文章が売れました。
ニューヨーク・タイムズです。そのあとにはハリウッドと映画の契約を結ぶことができました。あの夏のわたしは、できるだけたくさんの短編小説を書き、発表してやろうと思っていました。すると、いまわたしの版権代理人を務めているナット・ソーベルが連絡をくれて、長編を読んでみたいと言ってくれたのです[註:ナット・ソーベル氏によれば、ホッブズ氏はオンラインのミステリ誌に短編を発表していて、それを読んで連絡したとのこと]。
どの作品も彼のお眼鏡にはかなわなかったものの、彼は次の長編を読んでみたいと言ってくれて、翌年、1年かけて『ゴーストマン 時限紙幣』の第一稿を仕上げたのです。原稿をナット・ソーベルに送ったのはカレッジを卒業したその日のことでした。それからわずか数週間で、アメリカをはじめいくつもの国に版権が売れたんです。

──私も、そのタイミングで『ゴーストマン 時限紙幣』の原稿を読んだ一人でした。その段階では確か冒頭の30ページくらいしかもらえなかったと記憶しています。しかし、今でもよく憶えていますが、あのプロローグにはぶっとびましたよ。実際のところ、その瞬間に版権を買うことを決めていました。
原稿を真っ先に読んだのは、アメリカの出版社Knopfのゲイリー・フィスケットジョン氏だと聞いています。
彼もやはり冒頭の部分で衝撃を受けたそうですね。そう聞いて、どんな気持ちでしたか。
RH わたしのエージェントは、そのことをずいぶん長いあいだ教えてくれなかったんですよ! わたしが調子に乗らないようにしていたんでしょうが、ゲイリーがどれほど『ゴーストマン 時限紙幣』を気に入っているのかを知ったのは、はじめて彼に会ったときのことです。
彼と会ったのは、オレゴン州ポートランド、ゲイリーの幼い頃の思い出の場所だということでした。そこで会って話しはじめて、すぐに意気投合しました。彼とわたしはクライム・フィクションについての趣味が似ていて、結局、午後いっぱいずっと、ふたりでドラッグや強盗やミステリの話をしていました。
彼の仕事のスタイルはすばらしいと思っています──これまでに出会った最高の編集者です。わたしのみるところ、たいがいの編集者のアドバイスのうち、有益なものは20%ほどでしょう。ゲイリーの場合は80%以上です。彼がわたしのチームに加わってくれたことはこの上ない喜びですね。彼はいい友人ですし、仕事について多くのことを学ばせてもらいました。

──フィスケットジョン氏はブレット・イーストン・エリスやコーマック・マッカーシー、日本のハルキ・ムラカミといった作家を担当してきたカリスマ文芸編集者です。
そんな彼をまず唸らせたのが文体であったというのは凄いことですよ。『ゴーストマン 時限紙幣』の素晴らしさは第一に文体や語り口にあると私は思っています。どんな修練をしてきたのでしょう。それとも持って生まれた才能ですか。
RH ヘミングウェイがこんなことを言っています。「よい物書きにとって一番大事な才能は、きわめて頑丈なクソ発見器を装備していることだ」。これはわたしのモットーです。
もしわたしに才能があるとすれば、自分の書いている文章の良し悪しがすぐにわかることでしょう。技術は完全に独学です。文章を書き、よいものだけを残して他はすべて捨てて、また同じことを繰りかえす。それだけです。
創作サークルや創作講座から学ぶものは大してありませんでした。
わたしの眼には、ああいったところに集まっているのは自意識過剰でひとりよがりな人ばかりにみえたのです。自分は天才だ、みたいな意識は百害あって一利なしでしょう。わたしは自分の書きぶりに満足したくないのです──もっともっと上達したい。そのためには、自分の《クソ発見器》を常時稼働させていなければなりません。自分にとって最悪の批評家に、わたしはならなければならない。自分が大作家だと思うことはこの先もないでしょうし、これは良いことだと思っています。ずっと成長してゆきたい。ひとりで、部屋のなかで、毎日、何年も何年も努力する──そうやってわたしは小説の書き方を学んできました。「どんな作家も七年はボツを食らいつづける」と誰かが言っていました。真実だと思います。わたしの場合は、ただ単にスタートの時期が早かっただけです。

──では文体や書きぶりについて、「師匠」のような作家はいませんか。

RH 「師」といえるほど特定の作家に入れ込んだことはないのですが、影響を受けた作家ならいます。明晰で、力強い推進力のある文体という点で、リー・チャイルドには憧れます。ロバート・クレイスの文体のセンスや舞台設定の巧さを盗みたいとも思います。
けれどわたしにとって一番大事な作家はドナルド・E・ウェストレイクです。彼はリチャード・スタークという筆名で、「ヒーロー犯罪者(criminal anti-hero)」を発明しました。「悪党パーカー」です。パーカーは、アメリカ文学史上もっとも有名なプロの強盗でしょう。スタークの散文は剛直で、真っ正直で、しかもクレバーです。彼こそはわたしの属するジャンルのパイオニアであり、わたしは彼に多くの借りがあります。

──あなたの主人公「ゴーストマン」も、非常にユニークな人物ですよ。
RH アイデアは、わたし自身の人生経験から生まれたんです。『ゴーストマン 時限紙幣』を書いていたのは、非常に不安定な時期でした。アメリカ史上最悪の就職氷河期だったのです。そのさなか、カレッジを卒業しようとしていた。将来の展望など何もありませんでした。わたしは幼い頃からずっと、一生懸命勉強し、いい大学を出ればいい仕事に就いて幸せに暮らせると信じてやってきました。ところがここにきて騙されたような気になったのですね。これまでの努力はパアになった。いい学位はあっても、自分はハンバーグを裏返す仕事すら得られないのだと。
だから『ゴーストマン 時限紙幣』を書くとき、自分の最大の弱点を強さに転化させようと決めました。自分は「何者でもない(nobody)」というふうに感じていましたから、主人公を「何者でもない」ことのプロにしたのです。「何者でもない」ことを楽しむ男です。ゴーストマンは──わたしのように──高度な教育を受けた若い男で、彼は自分の知性と社会的な地位の低さを利用して、罪から逃げおおせる。わたしは自分には何の力もないと嘆いていましたが、ゴーストマンは、権力と無縁であることを自分の強みに変えます。
それに誰だって、自分の人生を捨てて、まったく新たな人間に生まれ変わることを夢想するものでしょう。ゴーストマンは過去にまったく囚われない男なんです。彼は自分がなりたいと思う者になれる。それが当時のわたしにはすごく魅力的に見えたのです。

──この小説の説得力を生んでいるのは、「ゴーストマン」とその語り口に加えて、無数に織り込まれた裏社会のディテールです。これらは事実ですか。それとも、それらしいことを考え出したのですか。
RH まず第一に、事実でないものも含まれています。物語を面白くするために、自分で考え出したものもたくさんあります。さすがに『ゴーストマン 時限紙幣』に書いてあることを全部信じこむひとはいないでしょうけれど。
この小説には膨大な事実が含まれていますが、それはわたしの創作した嘘を隠すためでもあります。実際、わたしは多くの犯罪者に直接取材をしました。煙草を5、6箱もってバーに行き、それと引き換えに体験談を聞いたこともしょっちゅうです。彼らの語る話が事実であるかどうかはどうでもよかった。わたしが知りたかったのは、犯罪者はどんなふうに武勇談を語り聞かせるのかということでした。そして、どうすればそれを真似ることができるのかを学びました。

後編に続く
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