カメラを見つめて彼は言う。
たどり着いてしまったこの日を噛みしめて。
(イラスト/小西りえこ)
国民的アイドルグループ「SMAP」。そのエースとして立つ木村拓哉には、誰にも明かせない秘密があった。
彼の秘密、それは──何度もタイムリープを繰り返し、世界線を乗り越えることができること。そう、木村は「時間遡行者」であり、「世界改変者」だったのだ。
「1周目」がいつだったのか、正直はっきりとは覚えていない。
夢から目覚めるように、木村は「気が付いた」。この世界は、なにかがおかしい。叔母の応募によって入ることとなった事務所。そばで草なぎ剛が興奮して語る。
「これで永遠のアイドル・少年隊に一歩近づける! 嬉しいなー!」
「ハハッ、何言ってるんだよ剛。少年隊はもう解散状態だろ?」
「……? ちょっと、冗談にしてはフキンシンだよ、木村くん! もう少年隊はボクらにとっての先輩なんだからね!」
「えっ……」
少年隊が、解散──? 自然に、半ば無意識に唇からこぼれたその言葉は、明らかに「現在」の事実とは反していた。けれど木村は、それが「真実」であることを知っていた。
その世界線での木村は、オーディションに合格はした。けれどデビューはできなかった。
はっと目が覚めた。そこはオーディション会場だった。
木村はぼんやりと、やたらと口になじんだ自己紹介と自己PRを声に出した。オーディションは危うげなく終わり、当然のように合格していた。
レッスンの日々、先輩たちの後ろを踊る日々が続いた。そして、そこまで親しくもないはずなのに、奇妙に覚えのある5人と出会った。
「YOUたちは『SMAP』としてデビューしてもらうよ」
念願のデビュー! 木村も、そしてほかの5人も必死で歌い、必死で歌った。
コンサートをこなし、ついにCDデビュー。しかし、オリコンで1位をとることはできなかった。
もっと歌を、ダンスをがんばれば、世の中で輝けるはず──木村はそう考え、がむしゃらに練習を重ねた。5人も同様だった。しかし、彼らのスキルは上がっても、人気も注目度もぴくりとも上がらなかった。
アイドルグループ・SMAPは、鳴かず飛ばずのまま、解散させられた。
はっと目が覚めた。
「なあ、コントをやってみないか。おもしろいことをしようよ」
そう言い出したのが誰かはわからない。木村だったかもしれないし、中居だったかもしれないし、他のメンバーでも、大人の誰かだったかもしれない。
歌もダンスも、今はたくさんの人には届かない。でも、笑いだったら、今の自分たちでも人の心を動かせるかもしれない──。
アイドルが体当たりのコントをするという前代未聞の番組は、それなりに好評を博した。
はっと目が覚めた。
もう木村はなりふり構わなくなっていた。なぜ自分がここまで必死なのかはわからない。わからないけれど、どうしてもこんな気持ちのままで終わるのは嫌だった。
他のメンバーも必死になった。グループ全体の仕事も、個人の仕事も、少しずつ増え始めた。念願のオリコン1位も獲得した。これならいける。そう思った。
「──昔からの夢を、叶えたいんだよ」
まさに青天の霹靂だった。
森且行、脱退。
大きな歯車が、ひとつぽっかりと抜けてしまったようだった。
「6人じゃないなら、もういいんじゃないの」
誰かが諦めたようにそう言った。せっかく決まった冠番組も、憔悴が見えていたのか、視聴率は下がり続けた。
ひとり、ふたり、いなくなっていく……。
はっと目が覚めた。
森がいなくならない道は、何度移っても見つからなかった。彼の夢への想いは、それだけ強かった。
だから木村は考えを変えた。森がいなくなっても、みんながバラバラにならない道を探そう。
それは細い糸をたどるようなものだった。何回も経験した木村にさえつらいこの体験を、一周目の彼らが乗り越えるのは酷だった。
それでも──うまく行き始めた。
しかしその世界は、いろんなところが少しずつ「違って」いた。一緒に過ごしていくうちにわかった。この世界線では、草なぎ剛の叔父が自動車事故を起こし、その被害者が草なぎを脅していた。
草なぎを守る。そんな想いは次第に歪んでいき、とうとう彼らは、手を朱に染めた。隠し通せる、そう思った。
「昨夜のコンサートの振付が変わったのは、どうしてですか?」
にこやかに訊いてくる怪しい刑事に、木村は吐き捨てるように答える。
「リハーサルで、振付が合ってないと思ったんですよ。卵と一緒で、割ってみないとわからない」
言いながら、頭の片隅で思っていた。
この繰り返しも同じことだ。割ってみないとわからない。自分はいったい、これまでに何個卵を割ってきたんだろう?
謎の刑事は鮮やかに罪を暴いた。いっそすがすがしいほどだった。
はっと目が覚めた。
はっと目が覚めた。
はっと目が覚めた。
繰り返すうちに、グループは軌道に乗っていった。しかし予想外のことは、たやすく彼らを翻弄した。メンバーの不祥事で致命的なダメージを受けることもあった。けれど不祥事を回避することは、森の時と同じで、ほぼ不可能なようだった。だから木村は、事件が起こっても、今のままの5人でいられる世界を目指し続けた。
世界を繰り返しているうちに、恋をした。昔から憧れていたひとだった。結婚したい、そう思った。意を決して、話しに行った。
「彼女と、結婚させてください」
事務所の返答はにべもなかった。絶対に認めない。何度も頭を下げた。けれど結局、認めてはもらえなかった。
恋が無残に踏みにじられて、それでも木村はステージに、テレビに出続けた。みなが求める「木村拓哉」の笑顔は、今や意識せずとも顔に貼り付けることができた。グループの人気は落ちることはなく、永遠とも思える絶頂期を迎えた。
これでいいんだ、これでいい……そう頭では思っていた。
けれど心は擦り切れていた。
はっと目が覚めた。
目が覚めたとき、すこし泣いた。
「ごめん」
誰にともなく呟いた。
その世界線では、また殺人事件が起こった。木村は思わず笑ってしまった。オレたち、違う世界では、違うヤツをみんなで殺しているんだぜ──。もちろん言わなかったが、とにかくおかしかった。
メンバーがいつのまにかアナウンサーと深い仲になり、それをきっかけに三角関係ができていたらしい。らしいというが、木村も巻き込まれて容疑者のひとりとして数えられていた。
本当の犯人は結局木村にはわからなかった。けれどそんなことはどうでもよかった。
はっと目が覚めた。
いつの間にか、グループは人気実力ともに安定するようになっていた。不人気で解散しかかっていたなんて、最近できたファンの誰に言っても冗談だと思われるのではないだろうか。
半ば騙し討ちのようにして、5人で旅に行くことになった。
考えてみれば、5人で旅に出ることなんて、初めてのことだった。ずっと一緒に走り続けてきてはいたけれど、こうやって共にゆっくりと歩く日が来るなんて。
気まずさは、次第に解けていった。なんだか昔からの友達と一緒にいるような気さえしていた。
学生生活らしき学生生活は、彼らには存在していなかった。だからこれが本当に「そう」なのかはわからない。きっと、あのころは行けなかった修学旅行なのだと思った。
カラオケボックスにノリで入ることにした。大の大人がやることではない、わかってはいたけれど、とにかく楽しかった──楽しかったのだ。
自分たちの歌を入れだしたのは誰だったのか。歌詞表示もメロディガイドも必要ない、彼らが歩いてきたあかし。
中居正広が突然泣き出した。彼の涙の意味を、木村は、わかるような気がしたし、わからないような気もした。
目が覚めた。
昨日と連続する、ただの朝だった。
最近はもう世界線を移ることはなくなった。求めていた未来に、もうたどり着いたように思っていた。
安心していた……いや、油断していた。
「SMAPが解散する」
そんな噂が、どこからか流れてきた。もちろん解散報道はたえずあった。しかし今回の噂は、真実味がありすぎた。FNSの総合司会の準備に追われる中、どんどん加熱していく噂。それぞれのコメントを、彼らはテレビを介して知った。誰も「解散しない」と断言することはなかった。
木村も、断言はしなかった。脱けることを選ぶのならそれでいい。たとえ自分ひとりになったとしても、SMAPは続けていく……それが木村にとっての、グループへの愛情だった。
「話をしよう」
召集に従うと、5人が揃っていた。彼らの瞳を見た瞬間、木村にはすべてがわかった。心のつながりはもう、いまにもほどけかかっていた。
「SMAPは解散します」
噂に乗った、といってもいい。しかしそこには確かに限界があったし、美しい幕引きのようにも感じた。
終了した冠番組の後には、とある大物芸能人の番組が入ったらしい。それを聞いても、木村の心は揺らがなかった。
はっと目が覚めた。
全身を違和感が走り抜けた。
木村はあの世界線から逃げ出すつもりはなかった。あのまま、行けるところまで行ってみようと思っていた。
なのにどうしたことだろう。
SMAPが解散した、木村にとっては真実のできごとが、たった一夜目をつむっただけで、実験的なフェイクドキュメンタリーのお話に変わっていた。しかも物語のラストも、正反対のものになっていた。
世界線が変わったことは間違いない。でも、どうして? 無意識に力を発動させてしまったのか?
釈然としない気持ちは残った。しかし日々の忙しさは、疑問を押し流していく。
そして今、木村はカメラに向かって語りかけている。
「今日は、2016年1月18日です」
己に語りかけるように、日付を口にした。こうやって日付を確かめないと、いま自分がどこで何をしているのか、ふわふわとしてわからなくなってしまいそうだった。
予兆はずいぶん前からあった。でも見ないふりをしていた。そしてもう、取り返しのつかないところまで来てしまった。
このままでは、SMAPは空中分解する……そう気付いたとき、木村はみなを繋ぎ止めることを選んだ。
黒いスーツで5人並ぶ。まるで誰かが死んだように。誰が? ……なにか大事な取り返しのつかないものが。
ひとりひとりの挨拶を、歯を食いしばって聞く。挨拶の途中で、香取慎吾が言葉に詰まった。いつもなら、バラエティでもドラマでも、よどみなく台詞を話している彼が。
木村の頭の中に、2015年に香取とともに遊園地に行ったことがよぎった。仕事ではあった。でも無邪気にカメラを持つ香取の姿は、弟がはしゃいでいるようにも見えて、そう、楽しかったのだ。
世界一有名な時をかける車のそばに、木村は座っている。うっすらと悟っていた。
もう自分は、デロリアンの鍵を持っていない。
(イラスト/小西りえこ)
みんなやつれていた。中居にちらりと視線を投げると、彼は手の甲をぎゅうっとつねり、見たこともない顔をしていた。司会業で活躍する彼がこんなふうに立ち、こんなふうに話しているところを、初めて見たような気がした。
……ふと、押し込めていた違和感が、胸の中によみがえる。
木村が、俳優「木村拓哉」として評価されるようになったのは、数えきれないほどのドラマをこなしたからだ。繰り返した分経験は蓄積され、彼の糧になっていった。
では、ほかのメンバーは?
中居がここまで司会者として成長したのは、いったいどうしてだったのか?
ぞくりとした。
前回の解散。もしあれが自分ではなく、ほかの誰かの意志によって乗り越えられていたとしたら?
時を繰り返し、世界線を超えていたのは、自分だけ──木村はそう思っていた。
それが間違いだったとしたら?
デロリアンの鍵は二本あり、そして今は彼の手の中だけにあったとしたら?
木村は中居の瞳の中を必死で探る。しかし求めている答えは、どこにも見つかりそうになかった。
はっと目が覚めた。
「アイドルはやめられない……ね」
少し前にしたゲームの広告の仕事、キャッチコピーを彼は呟く。アイドルはやめられない。その言葉は、うつくしい祝福であり、消せない呪いだった。手の甲には、爪のあとが残っている。
(青柳美帆子)