56,000bps。何の数字かおわかりの方はインターネット使用歴20年以上のツワモノに違いない。

これは日本で初めてインターネットのサービスが開始された1993年頃の標準的なモデムの通信速度だ。今なら、モバイルでの通信速度は4G(LTE)の場合、理論値で下り150Mbps、上りが50Mbpsといったところか。地下など場所による電波の強弱に悩まされることはあるにせよ、これらの数値をいちいち気にすることすらなくなったが、20数年前の数字をこうして並べるとその進化は凄まじいと実感する。そんな黎明期のインターネット世界の扉を開いたのは世界初の本格ブラウザ、ネットスケープ・ナビゲーターだった。

パソコン戦国時代の幕開け


90年代前半の一般的なパソコン事情はというと、NECのPC9801シリーズが国内の市場を席巻。とある雑誌には“98幕府”と形容されるほどだった。そこに、IBMが提唱した国外産PCとの互換性が高いDOS/V規格が登場。東芝や富士通など国内の家電メーカーが相次いで参戦。98幕府の牙城を脅かしつつあった。

一方、当時の一般的なPC環境は、インテル製16ビットの8086系CPU搭載。フロッピーディスクドライブは5インチタイプから3.5インチタイプへの移行期にあり、ハードディスクは100MBもあれば大容量と呼ばれた。

IEとネスケが激しく拮抗


インターネットという言葉が日本で一般的に初めて認識されたのが、95年1月の阪神大震災だ。広い災害現場をカバーしきれないテレビや新聞の隙を突くように、細かい情報を即座にネットにアップし、短時間で多くの人に伝わるインターネットの仕組みは革命的と言えた。
それに加えて、それまでの文字列しか扱えないパソコン通信とは違い、カラフルで表現豊かなウェブサイト(当時はホームページと呼ぶのが一般的だったが)を扱えるのは画期的なことと言えた。
ただ、写真を載せているサイトともなると上から下へ徐々に画像が開いてくるのを数10秒待たされることが度々。このため、画像を掲載するサイトはかえってアクセス数が上がりにくいとして嫌われる傾向があった。

その頃、インターネットブラウザの主流を占めていたのが、ネットスケープ・ナビゲーター、通称ネスケだ。ネスケは原則有料のシェアウェアとして広がり、日本にもインターネット先駆者たちがこぞって使用していた。
そして95年、マイクロソフトがWindows95をリリースするとこれに付属していたブラウザ、インターネット・エクスプローラー(IE)がネスケの対抗馬に浮上した。しかし、当初のIE2.0は使い勝手があまり良くないとの評判もあり、すでに多くのユーザーがいたネスケをわざわざ手に入れてWindows95で使うケースも少なくなかった。このため、しばらくネスケとIEの拮抗時代が続いた。

消えゆくネスケ、されどその魂は滅びず


しかし97年にIE4.0が登場した頃から、その勢いは一気に加速。Windowsが組み込まれているパソコンを買えばすぐに使える手軽さを武器にシェアを拡大。一方、ネットスケープはメールソフトなどを組み込んだ統合型のネットスケープコミュニケーターへと発展、さらに98年には無償化に踏み切った。
しかし、Windows98の登場で、IEがシェアトップに。一方のネットスケープはAOLに買収され、シェアは急速に低下、2001年の調査ではIEが92%に対しネスケはわずか7.2%だった。


ネスケはその後、IEとは無縁のMacユーザー向けに存在を維持するが、2003年にAppleが独自のブラウザSafariのリリースにより、その地位をも失った。しかし、ネスケのコードネームであるMozillaの名は、Firefoxへ引き継がれ、その理念は今なお脈々と生き続けているのである。
(足立謙二)

食うか食われるか ネットスケープvs.マイクロソフト
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