ノスタルジーだけじゃない新しさ。ラジカセとそのカルチャーを楽しむ展覧会「大ラジカセ展」が東京・池袋パルコで開催中だ。
展示されているのは、家電蒐集家・松崎順一さんの5,000点にもおよぶコレクションからセレクトされたラジカセ、約100点。松崎さんの解説とともに、各コーナーを紹介していこう。
AIWA「TPR-101」は日本で最初に生まれたラジカセで、1968年に1号機が製造された。当時まだラジカセという言葉はなく、ラジオ録音機と呼ばれていた。
ベーシックなラジカセが並ぶ。1973~79年ぐらいに発売されたものが中心だ。当時の購買層は大人の男性。そのためシルバー、黒、グレーが多く地味な印象。男性が好みそうな高級感・メカニカル感を演出している。
1979~80年代前半、男女ともにファッショナブルになる時代だ。それに合わせ若い人向けのポップでかわいいラジカセが好まれるようになる。カタログにも女性アイドルやアイドルが起用されている。
この時代でもっとも有名なラジカセが、SANYOのU4である。青春時代に見覚えのある人も多いだろう。
自由でユニークなラジカセも生まれている。UFOのようなものや、ビビッドなカラー、自転車に付けて走りながら音楽を聴けるものなど、さまざまだ。
子ども向けのラジカセも発売していたソニー。公式サイトによると、“「マイ・ファースト・ソニー」のネーミングは、子供が始めて音響製品に触れ、それが科学への興味を触発できればという願いが込められていた。” とある。
バブル経済の時代に発売されたラジカセ、通称「バブカセ」。これまでと大きく違う点は、丸みを帯びたデザインだ。直線的に構成されたデザインから変化し、コンピューターによる3次元的なデザインが主流となる。当時はそれがカッコイイとされていたのだ。
ラジカセは、ラジオとカセットがくっついた「合体家電」。そこからさらに進化したのがラジカセ+テレビ、通称「ラテカセ」だ。
当時のテレビはブラウン管で奥行きがあった。そのため、後ろが飛び出している。それでも作ってしまったというところがユニークでもある。キーボードやレコードプレーヤーと合体させたものもあった。
もっといい音で聞きたいというニーズに応えてできたラジカセ。ハイパワー、ハイクオリティを意識したため、とにかく本体がデカい。
日本の一般家庭ではカラオケ機器として使用された。ホームカラオケが流行った時期で、マイク端子が2つある。(つまりデュエット用)
一方、このラジカセは海外に輸出され、アメリカでヒップホップのカルチャーと融合する。ラッパーたちのアイコンとしてラジカセが使用されたのだ。「ヒップホップの歴史を作った一つの要因としてラジカセが担った役割は非常に大きい」と松崎さんは話す。
もうひとつ、80年代に出てきたのが竹の子族。歩行者天国で踊っていた若者たちの真ん中に、このラジカセがあった。お父さんはカラオケ、若者はホコ天、アメリカではヒップホップと様々な形でカルチャーに影響を与えたのは興味深い。
ラジカセ本体の他にも、さまざまな展示がある。アート&ミュージックを紹介する伝説のカセットマガジン「TRA」や、YMOのブックカセット「テクノポリス」、80年代の勉強部屋を再現したコーナーも。ここでは実際にラジカセを聞くことができる。
各ラジオ局の協力により、当時の資料や音源を聞くことができるコーナーも。
クリエイターによるカセットアートのコーナー「カセットは語る」。水道橋博士、みうらじゅん、三戸なつめ、スージー甘金、本秀康、和田ラヂヲ、安齋肇、永井博、常盤響などのカセットアートが展示されている。(敬称略)
個人的に気になったのは、ステレオテニスの展示。ファンシーなデザインがいかにも80年代だ。奥にある手紙は当時流行った「丸文字」で書かれている(笑)
カセットテープとラベルもずらりと展示されていた。昔は東武ストア、西友、ダイエーなどのスーパーもオリジナルのカセットテープを作っていたそうだ。
5000点にもおよぶラジカセをコレクションしており、同展のナビゲートを務める松崎順一さんに話を聞いた。
――カルチャーとラジカセの話がすごく面白かったです!
これだけカルチャーに影響を与えた家電って、ほかに無いんじゃないでしょうか。日本のラジカセがなければ、ヒップホップの歴史も変わっていたかもしれない。そういう影響力のあるものづくりが、もう1度日本で起きてほしいと思っています。
――松崎さんプロデュースの新しいラジカセ「MY WAY」も展示されていますね。
実はいろんな家電メーカーに「未来のラジカセを作りませんか?」と打診したんですが、どこもダメで。じゃあ自分で作るしかない、と。いまはSNSなど、個人の影響力が大きくなっていますしね。
――最近またカセットテープが流行っているようですが、この状況をどう見ていますか?
素直に、すごく嬉しいですね。かつてはオーディオの一部でしたが、いまの若い人たちはファッションアイテム、自己表現する一つのツールとして認識しているのかなと思います。そういう新しい形での捉え方も応援したい。
もっといろんなアーティストがカセットテープで作品をリリースして、またハード面でもいろいろ選択できるようになればいいですね。いま仕掛けないと、一過性のブームに終わってしまう可能性もあるので。
――今回の展示に込めたメッセージなどあれば聞かせてください
いま日本の家電メーカーも、いろいろ模索していると思うんですね。この「大ラジカセ展」が、家電メーカーが今後取り組む一つのヒントになればいいな、と。最初は小さい流れだけど、拡散されることで大きなムーブメントになるように発信していく。それが僕の使命だと思っています。
洋楽を聞き始めた中学時代、オールナイトニッポンにハマった高校時代、そこには確かにラジカセがあった。自由な発想で作られたラジカセの数々。懐かしさと同時に新鮮さも感じられる展示会であった。
日本発のアナログ合体家電「大ラジカセ展」は現在、池袋・パルコミュージアムで12月27日まで開催中。
http://dairadicasseten.haction.co.jp/#section-1
(村中貴士/イベニア)

Photo:harumi obama
展示されているのは、家電蒐集家・松崎順一さんの5,000点にもおよぶコレクションからセレクトされたラジカセ、約100点。松崎さんの解説とともに、各コーナーを紹介していこう。

AIWA「TPR-101」は日本で最初に生まれたラジカセで、1968年に1号機が製造された。当時まだラジカセという言葉はなく、ラジオ録音機と呼ばれていた。
ラジカセの基本形「スタンダード」

ベーシックなラジカセが並ぶ。1973~79年ぐらいに発売されたものが中心だ。当時の購買層は大人の男性。そのためシルバー、黒、グレーが多く地味な印象。男性が好みそうな高級感・メカニカル感を演出している。


日本で最初のダブルラジカセ「SHARP GF-808S」
カラフルな「カジュアルラジカセ」

1979~80年代前半、男女ともにファッショナブルになる時代だ。それに合わせ若い人向けのポップでかわいいラジカセが好まれるようになる。カタログにも女性アイドルやアイドルが起用されている。

当時のカタログ。女性タレント・アイドルが起用され、明るいイメージだ
この時代でもっとも有名なラジカセが、SANYOのU4である。青春時代に見覚えのある人も多いだろう。

SANYO「MR-WU4mk3」
いま見ると面白い「チープ&キュート」
自由でユニークなラジカセも生まれている。UFOのようなものや、ビビッドなカラー、自転車に付けて走りながら音楽を聴けるものなど、さまざまだ。


ラジカセ「UFO」。インベーダーゲームの影響だろうか。メーカーは不明

ノベルティーとして製作されたラジオ

サイクリング・ステレオ・カセット
子ども向けのラジカセも発売していたソニー。公式サイトによると、“「マイ・ファースト・ソニー」のネーミングは、子供が始めて音響製品に触れ、それが科学への興味を触発できればという願いが込められていた。” とある。

子ども向けブランド「my first Sony」
時代のあだ花? 「バブルラジカセ」
バブル経済の時代に発売されたラジカセ、通称「バブカセ」。これまでと大きく違う点は、丸みを帯びたデザインだ。直線的に構成されたデザインから変化し、コンピューターによる3次元的なデザインが主流となる。当時はそれがカッコイイとされていたのだ。

とにかく合わせる「多機能系」
ラジカセは、ラジオとカセットがくっついた「合体家電」。そこからさらに進化したのがラジカセ+テレビ、通称「ラテカセ」だ。

当時のテレビはブラウン管で奥行きがあった。そのため、後ろが飛び出している。それでも作ってしまったというところがユニークでもある。キーボードやレコードプレーヤーと合体させたものもあった。


カシオのキーボードとコラボしたSANYO「KBX-7」

真ん中にレコードプレーヤーがついたSHARP「VZ-V2」
ヒップホップに影響を与えた「ビッグスケール」
もっといい音で聞きたいというニーズに応えてできたラジカセ。ハイパワー、ハイクオリティを意識したため、とにかく本体がデカい。

日本の一般家庭ではカラオケ機器として使用された。ホームカラオケが流行った時期で、マイク端子が2つある。(つまりデュエット用)

一方、このラジカセは海外に輸出され、アメリカでヒップホップのカルチャーと融合する。ラッパーたちのアイコンとしてラジカセが使用されたのだ。「ヒップホップの歴史を作った一つの要因としてラジカセが担った役割は非常に大きい」と松崎さんは話す。

もうひとつ、80年代に出てきたのが竹の子族。歩行者天国で踊っていた若者たちの真ん中に、このラジカセがあった。お父さんはカラオケ、若者はホコ天、アメリカではヒップホップと様々な形でカルチャーに影響を与えたのは興味深い。

カセットテープとラジオとクリエイター
ラジカセ本体の他にも、さまざまな展示がある。アート&ミュージックを紹介する伝説のカセットマガジン「TRA」や、YMOのブックカセット「テクノポリス」、80年代の勉強部屋を再現したコーナーも。ここでは実際にラジカセを聞くことができる。


アート&ミュージックを紹介する伝説のカセットマガジン「TRA」

YMOのブックカセット「テクノポリス」

80年代の勉強部屋を再現したコーナー

ラジカセの分解展示
各ラジオ局の協力により、当時の資料や音源を聞くことができるコーナーも。
TBSラジオ「パック・イン・ミュージック」、文化放送「セイ!ヤング」「ミスDJリクエストパレード」、ニッポン放送「オールナイトニッポン」ほかを試聴することができる。


模擬DJブース。上には「ON AIR」のランプも
クリエイターによるカセットアートのコーナー「カセットは語る」。水道橋博士、みうらじゅん、三戸なつめ、スージー甘金、本秀康、和田ラヂヲ、安齋肇、永井博、常盤響などのカセットアートが展示されている。(敬称略)

個人的に気になったのは、ステレオテニスの展示。ファンシーなデザインがいかにも80年代だ。奥にある手紙は当時流行った「丸文字」で書かれている(笑)


カセットテープとラベルもずらりと展示されていた。昔は東武ストア、西友、ダイエーなどのスーパーもオリジナルのカセットテープを作っていたそうだ。


日本随一の家電蒐集家・松崎順一さんにインタビュー
5000点にもおよぶラジカセをコレクションしており、同展のナビゲートを務める松崎順一さんに話を聞いた。

松崎順一さん
――カルチャーとラジカセの話がすごく面白かったです!
これだけカルチャーに影響を与えた家電って、ほかに無いんじゃないでしょうか。日本のラジカセがなければ、ヒップホップの歴史も変わっていたかもしれない。そういう影響力のあるものづくりが、もう1度日本で起きてほしいと思っています。

――松崎さんプロデュースの新しいラジカセ「MY WAY」も展示されていますね。
なぜ個人で作ろうと思ったのですか?
実はいろんな家電メーカーに「未来のラジカセを作りませんか?」と打診したんですが、どこもダメで。じゃあ自分で作るしかない、と。いまはSNSなど、個人の影響力が大きくなっていますしね。

松崎さんプロデュースのラジカセ「MY WAY」

――最近またカセットテープが流行っているようですが、この状況をどう見ていますか?
素直に、すごく嬉しいですね。かつてはオーディオの一部でしたが、いまの若い人たちはファッションアイテム、自己表現する一つのツールとして認識しているのかなと思います。そういう新しい形での捉え方も応援したい。

もっといろんなアーティストがカセットテープで作品をリリースして、またハード面でもいろいろ選択できるようになればいいですね。いま仕掛けないと、一過性のブームに終わってしまう可能性もあるので。
――今回の展示に込めたメッセージなどあれば聞かせてください
いま日本の家電メーカーも、いろいろ模索していると思うんですね。この「大ラジカセ展」が、家電メーカーが今後取り組む一つのヒントになればいいな、と。最初は小さい流れだけど、拡散されることで大きなムーブメントになるように発信していく。それが僕の使命だと思っています。

洋楽を聞き始めた中学時代、オールナイトニッポンにハマった高校時代、そこには確かにラジカセがあった。自由な発想で作られたラジカセの数々。懐かしさと同時に新鮮さも感じられる展示会であった。
日本発のアナログ合体家電「大ラジカセ展」は現在、池袋・パルコミュージアムで12月27日まで開催中。
http://dairadicasseten.haction.co.jp/#section-1


(村中貴士/イベニア)
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