昨今のヒット曲の傾向を見てみると、音楽配信の多様化の影響もあり、「CDの売上が多い曲=多くの人が歌えるような楽曲」とは一概には言えないような状況が続いている。オリコンが発表した16年度の年間CDシングルランキングでは、AKB48・乃木坂46・嵐の楽曲がTOP10を独占しており、先述の『花束を君に』や『前前前世』はシングルCD化さえ、されていない。

しかしCD がもっとも売れた時代と言われる90年代は、間違いなくCDの売上と世間での認知度の高さとが直結していた。実際にネットでは、「昔の年間CDシングルランキングの楽曲は今でも歌えるものばかり」と話題になることも多い。
今回はそんなCDセールスの黄金期といえる、90年代の音楽シーンを振り返っていきたい。
ダブルミリオン連発! 「月9」主題歌のヒット
90年代初頭、フジテレビ系で月曜9時に放送されるドラマ、通称「月9」が社会現象ともいえるヒットを記録していた。現在は「月9」人気が下火となっているが、当時は『東京ラブストーリー』(最終回視聴率32.3%)や『101回目のプロポーズ』(最終回視聴率36.7%)など、軒並み大ヒット。

そんなドラマの主題歌に起用された楽曲も相乗効果で大ヒットを記録している。『東京ラブストーリー』の主題歌であった小田和正の『ラブストーリーは突然に』(売上:約254万枚)は1991年のオリコン年間CDシングルランキングの1位に輝き、『101回目のプロポーズ』の主題歌だったCHAGE&ASKAの『SAY YES』(売上:約250万枚)は同年間ランキング2位に入った。
また、翌年以降も「月9」主題歌のヒットは続いており、1992年のオリコン年間CDシングルランキング1位になった米米CLUBの『君がいるだけで』(売上:約276万枚)も、月9『素顔のままで』(安田成美と中森明菜のダブル主演。最終回の視聴率は30%を超えた)の主題歌であった。

「月9」主題歌に選ばれた曲のうち、『ラブストーリーは突然に』、『SAY YES』、『君がいるだけで』の3曲がダブルミリオンを超す大ヒットを記録。
このように、「月9」のような大きなタイアップがついた楽曲がヒットにつながるというケースが、90年代には数多く見られた。
B'zやZARD、大黒摩季も……ビーイング系の台頭
1993年ごろからは、大手音楽プロダクション・ビーイングに所属するアーティストのヒットが目立つようになった。当時、ビーイング系のアーティストとして人気だったのは、B'z、ZARD、TUBE、WANDS、大黒摩季、DEEN、T-BOLANなどが挙げられる。
特に1993年はビーイング系列がもっとも躍進した年であり、総売上はビーイング系だけで450億円を超えるほど。この年には、オリコンランキングの上位をビーイング系列が占める現象も度々起きている。
■3月29日から7月26日までの18週間、連続して1位を独占
■6月21日から7月5日の3週間、1位から5位を独占
■1993年の年間ランキング30位の内、15曲がビーイング系列のアーティスト
<1993年のビーイング系列アーティストの代表曲>
■「このまま君だけを奪い去りたい 」DEEN
■「もっと強く抱きしめたなら」WANDS
■「負けないで」ZARD
■「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」B'z
■「あなただけ見つめてる」大黒摩季

ではなぜ、ビーイング系列のみがここまでのセールスを記録できたのだろうか。それはビーイングの戦略の巧みさが要因の一つだ。
ビーイングはタイアップ戦略に長けており、特にテレビアニメ作品の主題歌タイアップは有名。1993年から放映が始まった『SLAM DUNK』では、96年の終了まで一貫してビーイング系列のアーティストがOPとEDを担当し、多くのヒット曲を生んだ。(詳細はこちら)
また、あえて歌手をテレビ番組やライブに登場させず、「実在するのか」という神秘性を高める戦略をとることもあり、大黒摩季やZARDが代表例といえる。
その効果もあってか、1999年に行われたZARDの初ライブには、600名の定員に対して100万通の応募があった。(詳細はこちら)
ミリオン連発! 凄かった「ミスチル現象」
そして翌1994年、現在も活躍中のモンスターバンドがブレイクを果たす。それはMr.Childrenである。94年6月にアクエリアスシリーズのCM曲だった『innocent world』が約194万枚を売り上げる大ヒットを記録。その後も『Tomorrow never knows』(売上:約276万枚)、『シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜』(売上:約181万枚)、『名もなき詩』(売上:約230万枚)など、立て続けに大ヒット曲を連発し、「ミスチル現象」と呼ばれた。

当時の人気を証明するかのように、Mr.Childrenは多くの記録を持っている。
上記で紹介した『シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜』はノンタイアップのシングル売上歴代1位であり、『名もなき詩』はAKB48に抜かれるまでシングル初動売り上げが歴代1位だった。また、シングルのダブルミリオン2曲(『名もなき詩』、『Tomorrow never knows』)もCHAGE and ASKAと並んで歴代1位タイだ。
しかしそんなブレイクの最中にあっても、Mr.Childrenは多くの挑戦的な試みをしており、それまでの楽曲のイメージとは大きく異なったコンセプトアルバム『深海』のリリースも大きな話題になった。(詳細はこちら)

ところでこのミスチルの活躍は、同年代に活躍したライバル達にも大きな刺激を与えていたらしい。「ミスチル現象」とほぼ同時期に音楽シーンを席巻していた小室哲哉は、当時を振り返り、「ミスチルが良きライバルだな、あの桜井君たちがいて良かったなと思った時は多かった。負けないように次は頑張ろうみたいな」と2013年放送の『FNS名曲の祭典』で振り返っている。
天才プロデューサー・小室哲哉の黄金時代
小室哲哉が日本の音楽シーンを席巻した時期は1994年から1998年にかけて。その最大瞬間風速は凄まじく、90年代の音楽シーンを語る上で誰か一人を挙げろと言われた場合、小室の名を挙げる人物も多いのではないだろうか。
小室プロデュースによってヒットした人物は数多い。観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、、H Jungle with t(浜田雅功)、dos、globe、華原朋美、鈴木あみ、安室奈美恵などがその代表例であり、彼らは「小室ファミリー」と呼ばれていた。
ちなみに小室にプロデュースされる以前は、篠原涼子は「東京パフォーマンスドール」の一員であったし、華原朋美は遠峯ありさという芸名でグラビアアイドル活動をしていた。ダウンタウンの浜田雅功のプロデュースも含め、小室がプロデュースした人物のジャンルの多様さに気がつくだろう。

この時期の小室プロデュース作品の売り上げは凄まじく、シングル4枚がダブルミリオン、アルバム3枚がトリプルミリオン以上を記録している。
<ダブルミリオンを達成したシングル>
■『CAN YOU CELEBRATE?』安室奈美恵 (約230万枚)
■『DEPARTURES』globe (約229万枚)
■『WOW WAR TONIGHT』H Jungle With T (約213万枚)
■『恋しさとせつなさと心強さと』篠原涼子with t.komuro (約202万枚)
<ダブルミリオンを達成したシングル>
■『globe』globe (約413万枚)
■『SWEET 19 BLUES』安室奈美恵 (約336万枚)
■『FACE PLACE』globe (約324万枚)
また、1996年4月15日付のオリコンCD週間シングルランキングでは、プロデュース曲がトップ5を独占する快挙を達成した。
1位 『Don't wanna cry』安室奈美恵
2位 『Im proud』華原朋美
3位 『FREEDOM』 globe
4位 『Baby baby baby』dos
5位 『Love&Peace Forever』trf
ところで、90年代の音楽シーンを振り返っていくと、ヒットの裏には音楽プロデューサーの存在が大きいことが分かる。先述のビーイングを率いていたのは音楽プロデューサーの長戸大幸であるし、Mr.Childrenのプロデューサーとしてブレイク前から支えていたのは、サザンオールスターズのプロデュースも行っていた小林武史だ。
そして「小室ファミリー」の勢いが衰えてきた1998年頃からは、モーニング娘。のプロデューサーとして、シャ乱Qのつんく♂が取り沙汰される機会が多くなっていった。
「アイドル冬の時代」はSMAPが終わらせた!?
モーニング娘。は1998年にメジャーデビューを果たし、その後国民的アイドルグループへと成長した。しかし、90年代全体を通してみると、アイドルは「冬の時代」であったと言える。

このアイドル冬の時代の90年代にあって、存在感を発揮したのが、このモーニング娘。と昨年12月31日に解散したSMAPであろう。
SMAPはそれまでのアイドルが行ってこなかったコントにも積極的に挑戦し、知名度を獲得。国民的アイドルへの足がかりとした。
モーニング娘。はつんく♂プロデュースの元、一躍スターの座に上り詰めたが、その上で大きな貢献をしたのが、テレビ東京系で放送されていた『ASAYAN』。オーディションからレコーディング、パート割り争奪戦など舞台裏の様子が密着ドキュメンタリーで放送される手法が人気を博した。(詳細はこちら)
このメンバー達が成長していく様子を公開する手法は、現在のAKBグループにも通ずる部分がかなりあるだろう。
その後の文化に影響を与えた「渋谷系」とは?
ところで、これまでに紹介してきたビーイング系や「小室ファミリー」、ミスチルなどに比べると売上面では劣るものの、その後の音楽、カルチャーに大きな影響を与えたものがある。
それは「渋谷系」と呼ばれるカルチャーだ。この「渋谷系」は、HMVに代表される外資系のCDショップや輸入レコード店が数多くあった宇田川町界隈で人気があったアーティストを総評する言葉。
ピチカート・ファイヴ、ORIGINAL LOVE、フリッパーズ・ギター(小山田圭吾・小沢健二)などが「渋谷系」の代表的なアーティストとして知られる。
彼らの導入したサンプリングやクラブカルチャー、ジャケットデザインなどはその後の音楽シーンに絶大な影響を与えた。
昨年もリオデジャネイロで行われたパラリンピックの閉会式では、椎名林檎のアレンジによって「東京は夜の七時~リオは朝の七時」が流れたが、これは1993年にリリースされたピチカート・ファイヴの「東京は夜の7時」が元となっている。(詳細はこちら)
衝撃を与えた宇多田ヒカルのデビュー
そして90年代も最終盤となる1998年12月、一人の天才歌姫がデビューした。その歌姫の名前は宇多田ヒカル。
デビューシングルの『Automatic/time will tell』はラジオ出演のみという最小限のプロモーションであった。しかし、曲の良さはもちろんのこと、藤圭子の娘であることや15歳にして作詞作曲を行っていることなど、話題性は充分。デビューシングルながら、『Automatic/time will tell』は200万枚以上の売上を記録したのだ。
そして翌年に発売されたファーストアルバム『First Love』の売上はさらに凄まじく、約767万枚の大ヒット。もちろんこれは、国内アルバムセールス歴代1位である。

この宇多田の登場は音楽関係者にも大きなインパクトを与え、あの小室哲哉は「宇多田ヒカルが僕を終わらせた」とまで公言している。(詳細はこちら)
このように90年代の音楽シーンを振り返っていくと、ヒットの裏には大型タイアップ戦略や大物音楽プロデューサーなどが隠されていることが分かるだろう。しかし最近では趣味や視聴形態の多様化もあり、狙ってヒットを出すことが難しくなっている。
今後、アメリカなどと同じように日本でもストリーミング視聴が一般化し、CDが衰退するのか、それともしぶとくCDは残り続けるのか。そういった点にも注目して音楽をチェックしてみても面白いかもしれない。