第25週「大好き」第147回 9月20日(水)放送より。
脚本:岡田惠和 演出: 福岡利武

連続朝ドラレビュー 「ひよっこ」147話はこんな話
裏の広場で、女たち(みね子、世津子、愛子、早苗、鈴子、富)が集まって、語り合う。
「あかね坂独身女性の会」
この集まりを「あかね坂独身女性の会」と命名する早苗(シシド・カフカ)。
冗談はともかく、「奥茨城村母の会」「月時計会議」「あかね坂独身女性の会」と共同体好きなのは、脚本家の岡田惠和であろう。前にも書いたと思うが、「おひさま」(11年)には「白紙同盟」というのがあったし、
「ちゅらさん」(01年)では、アパートのリビングでみんなよく集まっていた。峯田和伸、白石加代子、宮本信子、光石研、浅香航大の出ていた「奇跡の人」(16年)でもアパートの中庭でよく登場人物が集っていた。
さて、この日の主な議題は、女優を休んでアパートに身を隠している世津子(菅野美穂)問題と、愛子(和久井映見)の恋問題。
実(沢村一樹)問題以前に、叔父さん叔母さん問題がある。ひどい仕打ちに絶縁しようと思ったが、結局考え直す世津子。ほんとうに、このドラマでは、他人をやりこめるってことがない。
そういう意味では、ドラマで悪意を描くことは、人間心理のバランス上、大事なことのように思えてきた。
実際問題、善意ばかり描いていたら、視聴者みんなが優しくなるわけじゃなく、だんだん焦れてきて、不満という負の感情がぽつりぽつりと浮かんでくることを否定できない。
この感情を溜めるのは、精神衛生上よろしくないので、早苗の提案するように、ちゃんと論理的に言葉にしてみよう。
初期は土曜日放送の特別な時間という感じだったのが、平日にも侵食し、これは「やっぱり猫が好き」(88〜91年 フジテレビ 三人姉妹がマンションの一室でだらだらしゃべるシチュエーション・コメディ。三谷幸喜の出世作)をやりたいのだろうか? と思えてきたのが、後半戦の「ひよっこ」。
NHK の「ひよっこ」公式サイトの、岡田惠和インタビューでは、
“(1964年)から10年間ぐらいを書く予定だったのですが、割と早い段階で、「そこまで進まないな」って気づいちゃって(笑)。” とあり、結果、68年までの4年間の話になるという。
さらに、
“もしまた機会があったら? ぜひ4度目もやりたいと思っています(笑)。でもそれよりもみね子たちの人生を、僕自身もう少し先まで見てみたい――、今はそんな気もしているんです。”と、4度目の朝ドラは、みね子たちのその先の話の可能性も示唆している。
これだけの発言で判断できるわけでは当然ないが、本来書こうと思った70年代前半は、歴史的にはなかなかおもしろい時代で、70年には大阪万博があって、オリンピックにつづいて日本が沸くが、73年にオイルショックがはじまって、ついに高度成長期が終わる。そんな激動の数年で、みね子たちはどうなるのか。トイレットペーパー買占めようと、おろおろしているみね子なんて姿も見たかったけれど、たしかにそれを描くには、もう尺がない(半年あったのに!)。
脚本家は、それをまた別の機会にとっておき、いまは、それまでの、日本がなんだかんだ言いながらも、誰もがなんとなく豊かになってきて、「一億総中流」意識が芽生えてきた最初の頃の空気を、女たちののんびりした姿から描き出すに止めようとしたのだろうか。
それはそれでいいけれど、せっかく、ドラマの中盤までは、社会問題を通奏低音のようにうっすら流していた
のだから、やっぱり高度成長期の終わりまで描いてほしかった気もする。
この感じ、何かに似ていると思ったら、73年にはじまった「ウルトラマンA」だった。
それまで男がヒーローだったドラマを、男女が合体することでヒーローになるという画期的な設定ではじまった(しかも、その新ヒーローの誕生は広島である)ものの、男女合体なんて・・・と視聴者から否定意見が出て、中盤になってヒロインは降板させられ、ごくふつうの男ヒーローものになってしまった。
「ひよっこ」は、そこまで大改革ではないし、「ウルトラマンA」とは逆で、作家のやりたいことを後半優先してしまった感じーーそれこそ、世津子が漢字の練習していたときに書いていた「我流」に寄せてしまったようである。その好きな方向にちょっとひよってしまったことがもったいない。
たわいない日常の風景を描き続けることは、意義深いことだとは思う。それにそのほうがすごく難しい。
女性たちのおしゃべりは楽しい。
「木俣冬)