原宿のおかげで「バイセクシャル」の私は悩まずいられた 

バイセクシャルである私がセクシャリティに関して悩まずいられたのは、好んできたものによる部分も大きいのかもしれない。ヴィジュアル系バンドやマリリン・マンソン、嶽本野ばら、ゴシックやユニセックスなファッション、原宿、そして雑誌『KERA』。
“ストリートカルチャー”といえば分かりやすいだろうか?

それぞれのオシャレが集う原宿


2000年代後半のストリートカルチャーは、雑誌『KERA』や原宿に象徴される。当時、若者の間で流行していたストリートファッションは、ロリータ系やゴスロリ系、パンク系、それから目が眩むような蛍光色をまとったサイバー系。様々な好みをもった人々が原宿を舞台にごちゃ混ぜになっていて、思い思いの“オシャレ”をしていた。共通しているのは、服装の奇抜さと色とりどりの髪色。まるでアニメの世界のようだ。

竹下通りには人が溢れてなかなか前に進めない。そんなイメージがあるけれど、夜は意外と店じまいが早く人もぐんと減る。20~21時頃になると多くの店がシャッターを閉めて、半袖からのぞく腕いっぱいにタトゥーを入れている人や、ホスト風のスーツに身を包んでいる人などが、人通りまばらな通りをスイスイと歩く。昼と夜とでまるで違う街のように様変わりし、そんなところも多様性を感じていた。

“周りと違う”を求めすぎて黒歴史誕生


奇抜なストリートカルチャーの世界に触れると、“普通と違うこと”が何より素晴らしく感じるようになる。そのため、迷走することもあった。私の場合、『KERA』のストリートスナップに感化されて、大量の安全ピンを洋服に刺していたし、リメイクをしてみようとTシャツをずたずたに破ったりもした。ピアスホールを5個ほど空けてみたら、もっと増やしたいという欲が湧き、結局耳たぶ・軟骨・舌と合わせて21個空けた。それでも足りずに拡張にも挑戦して、もはやどこかの民族のようになってしまった。


やりすぎて、坊主になったこともある。髪の毛をセルフカットしているモデルやバンドマンに憧れて自分で髪を切ってみたら、見事に私の毛は消えた。それから、ヴィジュアル系バンドに多い“細くて短い”眉毛を目指したはずが、抜きすぎてほとんど眉毛がなくなってしまったことも。これについては、「もう眉毛を抜きません」から始まる反省文を学校の先生に書かされた。私の黒歴史だが、当時は似たような経験をした人も多かったのではないだろうか。


バンギャの初ライブは緊張の連続


ヴィジュアル系バンドの追っかけを指す、“バンギャ”とは、今ではずいぶん浸透している言葉だ。ただ、ヴィジュアル系と一口でいっても、ナチュラルメイクで一般受けしそうなソフビ系、初期のDIR EN GREYなどに代表される、黒とエナメル素材を基調とした衣装のコテ系、カラフルな色使いとカジュアルさで原宿系っぽいオサレ系、コテ系とオサレ系の要素を兼ね備えたコテオサ系、中世ヨーロッパの貴族を思わせる衣装の耽美系、目周りを黒くしたり口紅をはみ出して塗ったりする地下室系など系統はさまざま。これらは時代や人によって認識が変わるので、あくまで私から見た定義ではある。

ただ、どんなに好きなバンドのライブでも、初参戦は緊張の連続だった。初めて行ったライブハウス・HOLIDAY SHINJUKUは地下に降りる階段が暗く、それだけで妙にアドレナリンが放出される。感情が高ぶっているせいで、「目当てのバンドは?」と聞く受付の声も聞こえない。勝手が分からずアタフタするけど、会場に入ると別世界が広がっていた。
目当てのバンドでないときは地面に座るバンギャ、トイレへの通路で化粧をするバンギャ、そして、好きなバンドを目の前にして必死でヘドバンやフリをするバンギャ……。演奏前は気だるそうにしていたバンギャたちが、誰の目も気にせず暴れまくる姿は、バンドの演奏以上に目を引いた。

あくまで個人的な感覚ではあるけれど、色んな系統がごちゃ混ぜで、自由な空気が漂うストリートカルチャーは、セクシャルマイノリティである自分には心地よかった。ほかにも、小説家・嶽本野ばらの書籍を読み漁ったことも、自分がバイセクシャルであることを素直に認められた大きなファクターかもしれない。次回は嶽本野ばらについて、お話したい。

(上西幸江/HEW)
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