連続テレビ小説「わろてんか」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)
第7週「風鳥亭、羽ばたく」第39回 11月15日(水)放送より。 
脚本:吉田智子 演出:本木一博
「わろてんか」を支えるふたつの層を考察してみた39話
イラスト/まつもとりえこ

39話はこんな話


お客さんが入らず途方にくれるてん(葵わかな)と藤吉(松坂桃李)のもとに、伊能栞(高橋一生)が現れ、喜楽亭文鳥師匠に会ってみないかと助言する。

「わろてんか」は、伝統派? オチャラケ派?


売れっ子の落語家をつかまえたいが、端席ではなかなか引き受け手もない。
おりしも、落語界では伝統派とオチャラケ派が争っており、どちらの派閥でもない風鳥亭は相手にされようもなかった。

この時代は落語が最高峰で、芸人は売れっ子落語家と同じ高座に立つことが誇りとされていたから、
藤吉は仲間のためにも奔走する。だが、伝統派にもオチャラケ派にも断られてしまう。
寄席小屋を欲しがっていた寺ギン(兵藤大樹)にまで頼みに行ってはみたものの、案の定、冷たくされる。

藤吉の頼みを断るとき、寺ギンはこう言う。

「わしは笑えたらなんでもええ。
芸に上等も下品もない。

客に安うておもろいもん売るだけや。
そのためには伝統伝統いう目障りなやつは潰さなあかん」

伝統とポスト伝統といえば、朝ドラのことを思う。
「わろてんか」は、ついに99作め(「まんぷく」という作品になる)が発表になった朝ドラという長い伝統の中で、どういう位置づけでつくっているのだろう。伝統を引き継ぐ派なのか、オチャラケ派のようなポスト伝統派なのか。
近年の朝ドラは、伝統を引き継ぎつつ、ちょっと新しい要素を盛り込んだものが評価を受ける印象がある。

昨今の人気作では「あさが来た」(16年)は、女性の社会進出がまだまだ難しい時代に、結婚し子育てをしながらも、女だてらに事業を拡大していく主人公を生き生きと描いて、まさに朝ドラオリジンを蘇らせた。


たとえば、笑いをたっぷり取り入れた「あまちゃん」(13年)はかなりオチャラケている(当然いい意味です)ようで、朝ドラの心(故郷や家族愛、親子三代の歴史など)をふまえつつ、アクチュアルな問題(東日本大震災)まで盛り込んだ傑作となった。

「わろてんか」と近い、大阪を舞台に笑いをテーマにした「ちりとてちん」(07年)は、上方落語の魅力を芳醇に描いたことが最大の功績で、その世界で生きる主人公は新作落語をやり、朝ドラ視聴者の中心であるはずの専業主婦を否定するという前衛にもトライ。でも最後は家に入って子育てすることを選ぶという、人生の多様性を存分に描ききった。

「わろてんか」はオチャラケ派であろう、なぜなら


落語家がみつからずしょんぼりの藤吉を、伊能様が飲みに誘って、議論の挙句、つかみ合いの喧嘩になり・・・
でもすぐに和解して、肩組んで藤吉に家にふたりでやってくるという流れ(正しくは伊能が藤吉を支えていた)は、オチャラケと思うほかない。

しかも、彼らが飲んでいる店、吉蔵(藤井隆)の店なのだが、吉蔵も女房もでてこないところがシュールだった(俳優のスケジュール問題なのはわかりますが)。寄席が忙しくて、バイトに任せちゃっているのだろうか。

このようにオチャラケ派寄りかとは思うが、その半面、「男はんというは夢ばっかり語って酔いつぶれて気楽なもんやな。
そやからおなごの助けがなくてはならんのや」「手綱しめるのはあんた(てん)の仕事」と、旧来の男女観を啄子(鈴木京香)に言わせてしまう伝統派的なとこもあるからややこしい。

「わろてんか」を支える層にはふたとおり考えられる。


理想をぶつ藤吉に、「一番大事なのは客だ」という伊能様。
「まずお客がおもしろいと思う芸人にでてもらうべきじゃないか」と。
しごくまっとうなご意見。
「わろてんか」は視聴者のことを一番大事に考えてくれているのだろうか。


このドラマを支える層にはふたとおり考えられる。
1.なんとなく見ている層
難しいことや整合性を考えずに、瞬間瞬間のイベントを楽しむタイプ。
回転寿司やバイキングのように好きなものをつまむ感じでドラマを見ている。

2.想像力が豊かな層
自分でいかようにも行間を想像して楽しめるタイプ。
パンがなければお菓子を食べればいいではないけれど、サブテキストや過程が考えられてないのではないかと思う視聴者に対して、そんなの自分でいくらでも好きに思いつくという、置き換え型自己表現派。

例えば、藤吉と伊能は喧嘩したことをおそらくてんには話してなくて、転んだと言っているのだろう。

ふたりは完全に仲良くなったわけではなく便宜上、てんの前では仲良いふりをしているが、きっとどこかで
引っかかりはもっているだろうということを自主的に想像して満足できる聞き分けのいい方々もいるはず。

視聴率20%支えているのは、視聴習慣にプラスして、上記のような人たちがいるからだろう。
そうはいっても、井上ひさしの言葉に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに」というものがあるように、国民的番組には、これを意識していただきたいと思うのは贅沢であろうか。

今日の、わろ点


伊能様に「なんで落語にこだわるのか」と聞かれ、「なにも知らないんですな」とちょっとだけ鼻が高くなる
藤吉。男として伊能にかなわないと思っていたところ、芸に関する知識は自分のほうが上とプライドをくすぐられた様子が見事に表現されていて、笑えた。

ちなみに、史実でも、正統派の落語をやる寄席に対して、おもしろければなんでもいい派が台頭していき、吉本興業の創設者・吉本夫婦は後者に加担したという。

そうはいっても、高橋一生


喧嘩のあとの髪の毛バサバサの伊能さまは眼福でした。

(木俣冬)