「大切な思い出って、支えになるし、お守りになるし、居場所になるんだなって思います」

昨年『カルテット』でドラマファンを熱狂させた脚本家・坂元裕二が、ホームグラウンドともいえる水曜ドラマに帰ってきた。先週スタートした『anone』である。


主人公は広瀬すず演じる少女、辻沢ハリカ。家もなく、家族もいない彼女は孤児だ。坂元が脚本を手がけた『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の音(有村架純)と練(高良健吾)を思い出した人も少なくないだろう。『カルテット』の4人だって家族からはぐれた孤児のような存在だった。

ハリカは特殊清掃業のバイトで生計を立てており、普段は一泊1200円のネットカフェで暮らしている。似たような境遇の有紗(碓井玲菜)と美空(北村優衣)は家族のような存在だ。3人は一緒に廃棄されたコンビニ弁当を食べ、同じシャワーを使う。そしてハリカはスマホのチャットアプリで、カノン(清水尋也)と名乗る少年と会話を交わす時間を大切にしている。ハリカのあだ名とアカウント名は「ハズレ」。彼女は病床にいるらしいカノンに外の世界の様子や、幼い頃の祖母(倍賞美津子)との美しい思い出などを語って聞かせていた。
広瀬すず&坂元裕二「anone」1話の衝撃。お金も家族も居場所もない少女を救ったのは「物語」だった 
イラスト/Morimori no moRi

彼女にとって、有紗と美空と暮らすネットカフェは大切な居場所だった。しかし、有紗が見つけた450万円という大金の魔力の前に3人の関係はいとも簡単に崩れ去る。
美空が2人を裏切り、金を持って逃げようとしたのだ。有紗も去り、ハリカは一人残される。その大金とは、初老の女性・林田亜乃音(あのね/田中裕子)が隠していた偽札だった。

第1話にして、あっという間に『カルテット』的な疑似家族、共同体を粉々に打ち砕かれる主人公。『anone』は『カルテット』のミステリー要素を抑えて、寓話性を一歩押し進めたような作りだが、裏側には過酷な現実がべったりと貼り付いている。おまけにその過酷な現実――孤独と貧困は連鎖し、過去から現在、未来へと続く(金を持ち逃げしようとした美空が「留学したい」と語っていたのは象徴的。貧困は学習の機会を奪う)。それは拭い去ろうとしても、簡単には拭い去れない。ハリカが特殊清掃の現場で向き合う、死体の腐臭とよく似ている。

少女を守る「ニセモノ」の思い出


家族も疑似家族も居場所も失った(お金は元からない)ハリカにとって、唯一拠りどころとして残されているのは、8歳から12歳まで一緒に過ごした祖母との美しく楽しい思い出だった。

大金(偽札)をめぐる騒動を繰り広げているうちに、ハリカは幼い頃に過ごした祖母の洋館にたどりつく。しかし、そこで彼女と視聴者は驚きの事実を知ることになる。これまで彼女が拠りどころにしていた祖母との美しい思い出は、実は施設で虐待されていたことを忘れるために自ら捏造したものだったのだ。


思い出の中で「あなたは少し変な子だけど、それはあなたが当たりだからよ」とハリカの欠点を丸ごと肯定してくれていた祖母は、個性を一切認めない冷酷な施設長に変貌し、ハリカから名前を奪って「ハズレ」の名を強制する。『千と千尋の神隠し』の湯婆婆を思い出した人も少なくないだろう。

虐待の描写はそれほど激しいものではないにせよ、子どもが辛く当たられる場面は見ていて悲しい。なにより、ハリカがついに思い出まで奪われてしまったことに戦慄する。本当に彼女には何も残されていないではないか。事情を察した亜乃音はハリカに石を握らせ、施設の窓に投げさせる。

ところで、『anone』のキャッチコピーは「私を守ってくれたのは、ニセモノだけだった。」である。ハリカは偽りの思い出で自分を守ってきた。偽りの思い出、それはすなわち物語そのものだ。

『Mother』『Woman』で坂元と組んできた次屋尚プロデューサーはこう語っている。「本作で描く、記憶だったり、人がそれぞれ心の中に持っているものもひとつのリアリティであって、必ずしも目の前で起こっているものばかりがリアリティではないと考えています」(リアルサウンド映画部 1月10日)。

現実=リアル、物語=ニセモノとばかりとは限らない。
ニセモノである物語が、その人にとってリアリティを持つ場合だってある。過酷な現実に立ち向かうには、物語の力が必要なのだ。

タイトルの『anone』とは、亜乃音の名前であり、子どもが誰かに呼びかけるときの言葉である。両親に捨てられて以来、ずっと「あのね」を封印されてきたハリカはカノンに「あのね」と呼びかけて偽の思い出(=物語)を語り続けてきた。そもそも子どもはリアルに見せかけて、おかしな物語を語りはじめるものだ。

「努力は裏切るけど、諦めは裏切りませんしね」


坂元裕二のドラマといえば、非常に印象に残るセリフが多いことで知られている。ドラマが放映されるや否や、ツイッターなどに引用され、またたく間に“名言”として多くの人に共有される。

しかし、『anone』は第1話のオープニングでそうした風潮に釘を刺してきた。意味ありげで実はたいして意味のない名言を繰り返す医師とうっとりしている患者を登場させてみたり、持本(阿部サダヲ)と青羽(小林聡美)に「名言怖いんです」「名言っていい加減ですよね」と言わせてみたり。これは、セリフだけ切り取るのではなく、物語そのものを見てほしい、というアピールなのだろう。これまでも坂元と組んできた次屋尚プロデューサーは「もちろん定評のセリフにもこだわりますが、それ以上に坂元さんには物語性を大切に取り組んでもらっています」と語っている(マイナビニュース 1月10日)。

それでも、『anone』にはパンチのあるフレーズがそこかしこに散りばめられている。一瞬たりとも目も耳も離せないのが坂元裕二のドラマだ。
もう引用したくてたまらない。

「努力は裏切るけど、諦めは裏切りませんしね」
「いいことある人は最初からいいことありっ放しなの。ない人は最後までないっ放しなの」
「お金じゃ買えないものもあるけど、お金があったら辛いことは減らせるの!」
「死にたい、死にたいって言ってないと生きられないからですよね? 生きたいから言うんですよね!」
「大丈夫は2回言ったら大丈夫じゃないってことだよ」
「みんなって誰? みんなって誰のことかわからないから同じにできないんだよ」
「誰だってね、過去に置いてきた自分はいます」
「今さらもう、過去の自分は助けてあげられないんだから、せめて今を……」

パウル・クレーと谷川俊太郎


ハリカがずっと身につけている青色も気になる(他の登場人物は犬を探しているヤンキーカップルに至るまで徹底して赤系統の服を着ている)。ただし、子どもの頃は逆で、ハリカは赤い服を来ていて、カノンが青い服を着ていた。スマホのアバターもハリカは赤、カノンは青だ。青色は人の心を落ち着ける効果がある。ハリカはカノンになりたかったんじゃないだろうか。

そしてハリカの分身のようなスケートボードに描かれているのは、キュビズム時代の作家、パウル・クレーの「忘れっぽい天使」だ(この天使も青く彩られている)。クレーがこの絵を含む一連の天使の絵を描いたのは、難病を患って死の直前にあった時期だった。また、「忘れっぽい」というタイトルからわかるように、クレーが描いたのは不完全な天使たちである。ハリカもまた不完全な天使なのだ。

詩人の谷川俊太郎は『クレーの天使』という本で、この絵に詩をつけている。


「わすれっぽいてんしがともだち
かれはほほえみながらうらぎり
すぐそよかぜにまぎれてしまううたで 
なぐさめる」

「忘れっぽい天使」が意味しているのが子どもたち特有の無邪気に人を裏切るようないたずらっぽい無垢さなのだとしたら、矯正施設に飾られていた白黒反転していた「忘れっぽい天使」の絵は矯正しなければいけない無垢さを象徴している。谷川の詩をもう少し引用する。

「ああ そうだったのかと すべてがふにおちて
しんでゆくことができるだろうか」

カノンは死に直面しており、青羽は死ぬ場所を探している。死に関する仕事をしているハリカの家族は全員死んでいる。死の匂いが濃厚にたちこめる中、ハリカは生きていくために何を持てばいいのだろうか? 

「『Mother』、『Woman』の時も、“いま必要なドラマとはなんなんだ”ということを世の中に問いかけた作品で、その第3弾として『anone』があります」と次屋プロデューサーは語っている(リアルサウンド映画部 1月10日)。現実のほうが騒がしくなり、子どもや少年少女を容赦なく貧困や孤独が襲う今の時代に必要なのが物語なのだとしたら、これから坂元裕二が『anone』でどんな物語を紡いでいくのだろうか? 第2話は今夜10時から。
(大山くまお)
編集部おすすめ